35 心の傷
「石動!どうした!またカバーが遅れたぞ!」インカムに教官の怒鳴り声が響く。もう何回目か。翌日の訓練、石動さんは完全に集中力を失っていた。
単純なカバーが遅れる。至近距離での射撃を外す。技術班が突貫作業で完成させたVRソフトを使った訓練。石動さんは仮想の倉庫内で、細かいミスを繰り返していた。
「石動?どうした?体調でも悪いのか?」事情を知らない教官が、少し苛立った声を出す。「だ、大丈夫です。やります!」おどおどした表情で狼狽しながらも、彼女は懸命に声を絞り出す。
しかし、遂に教官の怒りを爆発させる出来事が起きた。俺と石動さんが室内に突入する訓練の時だった。二人が突入し、俺が室内の左側、石動さんが右側を警戒する手順だった。
雄山三曹が、こちらを見ながら頷くと扉を開ける。すぐさま、姿勢を低くして突っ込む。銃を構えて室内の左側に銃口を巡らす。無人だ。
「左、クリア!」と叫んだ瞬間、右眼の端に何かが映った。咄嗟に身体を返そうとした瞬間、右のわき腹に猛烈な衝撃を感じ、その場に尻もちをつく。身体の各箇所に付けられた、被弾センサーが作動したのだ。余りの衝撃に立つことが出来なかった。
「被弾したっ!」叫びながら、首だけ捩じって右側を見る。銃を構えた蜥蜴人間が、こちらから扉へ銃口を向けるのが見えた。次の瞬間、短い射撃音がし、蜥蜴人間は崩れ落ちるように倒れた。雄山三曹が倒したのだ。彼は短機関銃しっかり構え、銃口を左右に振りながら油断無く部屋に入ってきた。
室内の安全確認を終えると、雄山三曹がこちらに近づく。「大丈夫か?」「大丈夫です」俺は顔をしかめながら、差し出された三曹の手を借りて立ち上がった。……なんで撃たれた?右側の警戒が遅れたからか?
「石動ィィィィィ!」インカムに教官の喚き声が響き渡る。
「あ。あの……」同時にか細い声がインカムに漏れる。石動さんの声だ。
扉を見る。入り口で腰砕けでしゃがみ込んでいる石動さんの姿があった。銃を胸の所で抱きしめるようにしている。パニックで顔面は蒼白。荒い息を喘がして、肩が上下に揺れていた。警戒が遅れたのではない。雄山三曹の合図が見えなかったのか、見ていなかったのか、彼女は突入しなかったのだ。
乱暴な足音が聞えて来た。怒り狂った教官だ。ここまで怒っている教官を見たことが無かった。彼も顔面を蒼白にしていた。だがこちらは怒りのせいだった。
教官は彼女を睨み付けた。凄まじい視線だった。視線で人を殺せるなら石動さんは死んでいただろう。
「石動、お前、なんで突入しなかったんだ」憤怒を押し殺した声。それが却って凄みのある声になっていた。
「…………」
「合図に気が付かなかったのか?」
「…………」
「お前、いま仲間を殺したぞ。お前のせいで伏木は死んだ」
「…………」
「なんとか言え。聞こえているだろ」
「…………」必死で口を動かそうとするが、言葉が出ない。
「帰れ。今日のお前は集中できていない。そんな状態では訓練に意味は無い。帰れ」
冷酷なナイフのような口調で畳みかける。ただ、石動さんは『帰れ』の言葉にだけは反応した。教官の眼を必死で見返すと、激しく首を横に振った。
「いや、今日はもう訓練に参加しなくても良い。邪魔なだけだ。体調を万全にしてから参加しろ。帰れ」突き放すような声だった。
教官以外誰も声を発しなかった。室内は恐ろしいくらいの沈黙に包まれ、何とも言えない重たい空気に満たされていた。
「……」石動さんは無言だった。教官を見ながら、その切れ長の瞳からは涙が零れ落ちていた。嗚咽で身体を震わせながらも、泣き声を出さないように懸命に堪えていた。
ふと、教官は石動さんから眼を離すとこちらを見た。もう石動さんが存在しないかのような振る舞いだった。その動作が、俺には何か非常に冷酷な動作に映った。
「お前ら。集中力を欠いた訓練が、いかに無駄な事か分かったか。隊の状態は常にベストに保て。分かったか」
「はいっ」全員が返事をする。教官は一息つくと
「雄山、上市、伏木。半ば左向け左。その場に腕立て伏せの姿勢を取れ」
『一人のミスが隊を危険に晒す』この連帯責任の思想は徹底していた。だから一人のミスは全員のミスとして扱われた。陸自での訓練中も、この罰は数えきれないくらい受けた。石動さんのミスの時もあれば、俺のミスの時もあった。自分のミスの時、回数が男性よりも少ないとは言っても、顔を苦痛で歪ませながら腕立て伏せを行う石動さんに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
ただ、訓練終盤になるとミスも減り、罰は殆どなくなっていた。だから今日の腕立て伏せは久々だった。しかし作戦実行直前でのミス。腕立て伏せが終われば解決……という問題では無かった。
雄山三曹、上市三曹、俺の三名は腕立て伏せの姿勢を取る。教官も腕立て伏せの姿勢を取った。文字通りの連帯責任。その時、石動さんも銃を傍らに置くと、ノロノロと腕立て伏せの姿勢を取った。
「石動、お前はもう良い。帰れ」教官が石動さんに冷ややかな視線を送る。
「いえっ……やりますっ。最後までやります!すみませんでした!」声を絞り出す石動さん。
「もういい……とにかく今日は帰れ」教官は執拗に『帰れ』を連呼する。怒りはもっともだったが、少し感情的になっていた。今迄、どれだけこちらを罵倒してきても感情を乱す事は無く、こんな状態の教官を見るのは初めてだった。
感情的になった教官と、落ち込んで集中力を欠いた石動さん。二人をそんな状態にした責任の一端は俺にある。石動さんに安易な励ましをしたのが切っ掛けだ。その事が心によぎった瞬間、勝手に口が動いていた。
「教官殿。私が石動さんの分もやります」教官は、ゆっくりとこちらを見る。冷徹な顔だった。静かに怒るタイプ。そう。鬼では無かった。死神としか形容できない顔だった。
「伏木。かっこつけんな。彼氏気取りか?」絡むような声。教官は石動さんの事情なんて知らない。そのため俺の言動は、彼の怒りに油を注いでしまったようだ。だが、こちらも後には引けない。
「かっこつけている訳ではありません」
「つけてるじゃねーか。恋愛ドラマじゃねーんだぞ」口調が豹変していた。死神の眼が俺の眼をひたと見据える。
(は?ふざけんな)
教官のヤクザのような口調と難癖に、思わずカッとなった。筋が通った事で、どれだけ罵倒されようが、罰を受けようが平気だ。筋の通らない事でも或る程度は我慢できる。ただ、これはしつこすぎた。俺は負けじと教官を睨み返した。
「おぅ伏木。なんやその眼は。文句あんのか?」
(うっさいわ。殺されたって睨み続けてやる)
瞬間、二人は睨みあった。ただ先に冷静さを取り戻したのは教官の方だった。突然、ハッとした表情をすると、一瞬こちらに対して『感情的になってしまった』という表情をみせた。その後、こちらから視線を外すと「腕立て準備。各員三十回。伏木は申告通り、三十回に十五回を加算して四十五回。石動、お前は休め。常願寺三曹が迎えに来ている」口調が少し柔らかくなっていた。
連絡を受けたのか、いつの間にか常願寺さんが部屋の後ろで立っていた。彼女は教官の言葉を受け、石動さんの傍に行くと、はっきりと一言、「石動さん、行こう」と言った。厳しい口調ではないが、有無を言わせない迫力と説得力があった。教官の言葉に抵抗した石動さんも、その言葉に思わず立ち上がり、銃を拾うと、常願寺さんに付き添われて部屋を出て行った。
「腕立て開始!」
「いーちっ!……にーぃっ!」
室内に男四人の声が響く。完全装備での四十五回はきつかった。痛みで肩と肘が外れそうだった。だけど石動さんの心の痛みは、これ以上だろう。それに比べたら、肉体の痛みなんて痛みのうちに入らないだろう。
彼女の気持ちを考えると、俺の心まで痛く重くなっていった。




