3 フランス料理店にて
「いらっしゃいませ」
店内にいた男性客と雑談していた店員が、俺に気が付くと微笑みながら挨拶をした。
「お一人様ですか?」
「はい」
「では、こちらにどうぞ」
俺は促されるまま、テーブルの一つに案内され椅子に座った。店員がメニューを目の前に広げる。(こういうのはラーメン店とか牛丼店では無いな……いつも壁を見て注文しているからな。一人での食事でメニューを見るのは久しぶりだ)
ぼんやりとそんな事を考えながら、メニューを見た。……メニューには写真が無い。そして、文字だけでは一体如何なる料理か想像もつかない料理名が並んでいる。これは困ったことになった。
(鴨の胸肉のロティって……何? コンフィって……食べ物? フランス産ヴァンテ地方バルバリー鴨……へぇ……フランス人って鴨食べるんだぁ。フランスってパリとノルマンジーくらいしか地名知らないんですけど……ヴァンテってどこ?日本の隣?)
メニューを見た瞬間、レストラン……いやレストローに入店した事を後悔した。おすすめディナーセットなるの甘鯛のポワレを頼んでも良いが、ポワレという気分では無かった。(……いや、ポワレって何か知らないけどさ、語感的に浮かれた感じが嫌だ。気分じゃない。何だよ ポ・ワ・レ・♪って。チャラついてる)
俺はポワレに対して、心の中で不当な怒りをぶつけながら、微笑みながら立っている店員に声を掛けた。
「すみません、フランス料理のことよくわからないんですが……」
「はい。何でもおっしゃって下さい」
「お腹が空いているんで、ガッツリ行けて、すぐに出てくる料理を下さい」
俺はラーメン屋の大将にでもぶつけるような失礼な質問の仕方をしたが、店員は微笑みを崩さず即答した。
「では仔牛肉を使った、クロケットなど如何でしょうか?仔牛は高級ホワイトヴィールを使用しておりまして、絶品でございます」
「あぁ、クロ……あれね……あれだよね……あれは美味しいよね!」俺は鷹揚に頷いたが、クロなんとかが如何なる料理か、想像すらできなかった。なんなの?本当に食べられるの?
「では、クロケットと……あとパンはサービスで付いて参ります。お飲み物はワインでよろしいでしょうか?」
「ええと、そのグロ……グロカッタにはワインが合うの?」
「クロケット」
「そう。そのクロケット」
「もちろんお客様のお好みによりますが、ロゼワインなんかが良く合いますよ」
(あっ……ロゼワイン! なんかそれ聞いたことある! ええと……なんだっけ……あぁんっ!……思い出せないぃッ……!)
ワインといえばスーパーの紙パックに入ったワインしか飲んだことが無い程度の俺にとって、やっと聞き知った「ロゼワイン」という単語も、記憶が手指の間から零れ落ちる砂の様に、するりとどこかに行ってしまい、結局その正体は分からずじまいだった。俺はロゼワインの事は諦めて店員に質問した。
「ワインじゃないといけない……って訳ではないですよね」
「もちろんでございます。当店にはお飲み物は各種取り揃えております」
「ビールはあります?」
「もちろんございます!『クローネンブルグ』など如何でしょう?なかでもフランスでも良く飲まれている、『セーズ・ソワソン・キャトル』などはお勧めですよ」
店員は、またもや宇宙語を話し始めた。ここは日本だろ。なんでビール一つ頼むにこんなに苦労しないといけないんだ。
「スーパードライとかあります?キンキンに冷えて喉がピリピリするのん」
「ございません」
「そう……じゃぁ、そのセーラームーンで良いです」
「セーズ・ソワソン・キャトル」
「そう。それ」
「かしこまりました」
オーダーを通そうとした店員に、俺はふと或る事を思い出して慌てて声を掛けた。
どうでも良い事だが、フランス料理ともなると聞いておかないと気が済まない事柄である。俺にとっては重要な事。
「あっ!すみません!」
「はい、何でしょう?」微笑みを崩さず店員は応じる
「やっぱり、クロなんとかに『季節の彩り野菜』は添えられる訳?」
店員は満面の笑みを浮かべた。
「もちろんでございます!」
やっぱりな
◇
テーブルでスマホを弄りながら料理を待った。暫くすると調理場から何かを油で揚げる良い匂いがしてきた。反射的に腹が鳴る。どうやらクロケットは揚げ物のようだ。(仔牛の丸焼きが出てきたらどうしよう)とか考えていたが、どうやらそれは杞憂のようだった。
「お待たせしました。こちら仔牛肉を使用したクロケットでございます」
暫くすると店員が皿をテーブルに置いた。俺はその料理を見た瞬間、思わず声が出た。
「なんだコロッケか」
「クロケットでございます」
「はい」
「仔牛肉を使ったクロケット。クロケットでございます」
「そんな畳みかけるように言わなくても……もしかして怒ってます?」
「とんでもございません!お気に障ったのなら失礼いたしました。……こちらが高級ホワイトヴィールを使用したクロケット!でございます」
「あなた、『一言多い』って他人から言われません?」
「いえ……そのようなことは……。こちらがパンとお飲み物のセーズ・ソワソン・キャトルでございます」
「はいはいありがとう」
「ごゆっくりどうぞ。ただし閉店は23時でございますが」
「やっぱ、あんた一言多いわ。それとも接客するの面倒くさくなってきました?」
「とんでもございません。失礼いたしました」
店員はそそくさと店の奥に引っ込んだ。(やっぱフランス料理に無知すぎる客は鬱陶しいんだろうか?)と考えながら、『1664』とラベルに大きく印字された緑の小瓶を手に取り、見たことも無いような洒落たグラスに注ぐ。
俺は男だし、そういった小物のデザインとかにはあまり興味は無かった。それでも、いつも夕食で通っている中華料理店やファストフード店とは、当然のことながら、グラスのデザインやテーブルクロスの質感などひとつひとつが余りにも違い、そしてそうした細かい事の違いの積み重ねが『良い雰囲気』に繋がっているのだと悟った。
(一人でもたまにはこういう所に食事に来るべきかも……なんだっけ……『自分磨き』ってやつ?)
俺はそんな事を考えながらクロケットを頬張り、ビールを飲んだ。クロケットを一口食べて驚いた。俺がいつも食べている・店で揚げているコロッケとは比較にならないくらい美味しかった。料理はあっという間に無くなった。……そう。残念なのは、こういう所の料理は量が少ないのだ。
料理を食べ終わるのを見計らったように店員が近寄って来た。俺は店員に声を掛けた。
「ごちそうさまでした。美味しかったですよ」
「ありがとうございます」
「これは……コロッケでは無いですね。確かにクロケットです」
「そうおっしゃって頂きますとうれしゅうございます」
俺は、腕時計に目を走らせた。二十二時二十分。
「えっとラストオーダー過ぎているけど、ビールだけってオーダー行けます?」
「あぁ、もちろんでございます」
「じゃぁ、このセイントセイヤをお代わりお願いします」
「セーズ・ソワソン・キャトル」
「言いにくいね」
「そうでしょうか?そうは思いませんが」
「……やっぱ怒ってますよね?」
「いいえ」
(やはり、対応が雑になってきている気がする……)そう思って俺が待っていると、店の奥に姿を消した店員は、すぐに戻ってきてセーズ・ソワソン・キャトルの小瓶と新しいグラスをテーブルに置く。俺は新しいビールに口を付けながら、『自分磨き』の一助になればと、洒落た内装の店内をぼんやり見廻した。さっきまでは空腹とクロケットの謎解きで店内を見廻す余裕などなかったからだ。
印象派と思われる油絵の複製画が壁に何枚掛かっている。(あ、あれは教科書で見た事あるなぁ……あれはルノワールって画家だっけ……あれは……モネだっけ?)そんな事を考えながら視線を動かしていたが、ある所で俺の視線は完全に止まった。
(なんだ?なんで……フランス料理店にこんなモンがある……?)
俺は、最初それを西洋の甲冑か何かだと思った。洒落たフランス料理店の照明……といえば間接照明に決まっている。ラーメン屋のギラギラした白色蛍光灯で照らされた店内とは違う。その薄暗い店内で、壁際に立っている人型のモノを、最初は西洋の甲冑と思ったのは或る意味当然の事だった。
ただ、良く見るとそれは甲冑などでは無かった……何か人型の標本のようだった。俺は眼を凝らして、それが何なのか確認しようとした。
心臓が止まりそうになった。




