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蜥蜴人間と彼女  作者: あおかえる
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2 フランス料理店『フォンテイン』

  大騒ぎの一日が終わった。総菜売り場の他、各部門の売り場が落ち着いたの確認すると、マネジャーは遅番で出勤してきた副マネジャーと共に、反乱を起こして無断欠勤したパートスタッフの自宅へ訪問しに廻った。

 

 やはりヨコヅナと、彼女の腹心であるもう一人のチャアミィと綽名を付けられた癖のあるパートが、二人して結託して今回の反乱を企てたらしい。他のスタッフを巻き込んでの集団無断欠勤なので、その行為は悪質として、マネジャーはヨコヅナとチャアミィをクビにしたいようだった。

 ただ、いくら騒動を起こした結果だとしても、マネジャーの権限……いや3階に鎮座ましましている店長ですら、その一存ではクビにはできない。『本部の人事部に連絡した上で』という話になるらしい。

 

 俺は閉店前、人気のなくなった総菜加工場でマネジャーから、そんな話を聞かされた。人事部に連絡というと、当然俺の名前も出てくるだろう。指導内容などの細々した事も。気持ちが暗くなった。更にマネジャーは言葉を続けた。

 

 「伏木。お前、明日は店長と個別面談だ」

 「……はい」

 

 予想はしていたが、その言葉を聞いた瞬間、胸が苦しくなった。

 

 (あぁ、もうやだ。消えて無くなりたい)俺は切実に思った。自分がそこまで悪くないという事は分かっていた。ヨコヅナとチャアミィの性格の悪さは皆知っているし。それでも、こういう結果を招いてしまったのは自分の責任だ。

 明日から始まる店長との面談や、人事部の裁定などを思うと冗談抜きで心臓が止まりそうな気分だった。

 

 「取りあえず、二人以外のスタッフは明日から出勤してくれるし、二人以外には処分は出さない。あいつら二人、他のスタッフを今回の事件に無理やり引き込んだらしいからな」

 「分かりました。ありがとうございます」

 「おぅ。あと手伝ってくれた他の奴らには、ちゃんとお礼言ったか?今日はだいぶ世話になったからな」

 「はい。皆さんにはお礼は言いました」

 「そうか。あと、仲谷と今日の伝票とか原料の部門振替の話をちゃんとしとけよ。お金のことだからな」

 「はい。明日、細かい話をするように彼と約束しています」

 「そうか。もうすぐ閉店だ。今日は早く片付けて帰れよ」

 「分かりました。本日は申し訳ありませんでした」

 「おう」

 

 マネジャーが加工場を出た後、一人掃除をし、明日の準備をしてから店を出た。手早く済ませたつもりだったが、退勤する時は他の社員は全員あがった後だった。俺はタイムカードを押し、着替えを済ますと一人で店外に出た。初夏の夜。少し蒸していた。俺は、いつもの最寄り駅に向かって歩き始めた。

 駅の近くまで来た時だった。携帯が電子音を鳴らす。俺はポケットからスマホを引っ張り出して画面を覗き込んだ。そこには

 

 『AAA路線運行情報サービス 路線名 私鉄B線 7月5日 20時05分ごろC駅で発生した人身事故の影響で、運転を見合わせています』とあった。

 

 まじかよ……。私鉄B線は俺が通勤で使っている路線名だ。こんな日に限ってなんで。俺は腕時計を見た。二十時三十分。事故は起きたばかりだ。……電車は3時間くらい動かないだろう。家に着くのは0時超えるかもしれない。

 明日もまた6時起きだ。睡眠時間もまともに取れない。俺はこみ上げてくるイライラした感情を抑えながら駅に向かった。

 

 駅からタクシーを拾おうと考えたのだ。ただ、考えることは皆同じ。タクシー乗り場は有り得ないほどの長蛇の列だった。これはこれで恐ろしい位時間が掛かるだろう。

 

 (……歩いて帰ろうかな)

 

 ふと、俺の頭にそんな考えが浮かんだ。電車で帰宅するには1時間弱掛かる。これを徒歩で。となると、とてつもない時間が掛かる。ただ、俺が利用している路線は、一度かなりの遠回りをしてターミナル駅を経由するのだ。直線距離だとそれほどの距離は掛からない。

 俺は思いついたついでに、スマホのナビ検索を行った。出発地を現在地に、目的地を自分の下宿先のワンルームマンションに設定すると答えは瞬時に表示された。

 

 『11.9km 2時間22分』

 

 (歩けるな)俺はそう思った。タクシー待ちの長蛇の列に並ぶのも、人で溢れた駅のホームで待つのもうんざりだった。それなら歩いていた方が良い。どこかでタクシーを拾えるかもしれないし。何よりも今日の出来事を悶々と抱えて電車に乗りたくない気持ちが強かった。一心不乱に歩けば、少しは気が紛れるかもしれない。

 

 心は決まった。俺はナビをセットすると人で溢れている駅を素通りすると、家の方角に向かって歩き始めた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 休憩時間以外は、ほとんど座る事も無く、立ち仕事・歩き仕事中心の小売業。疲れるという事は無かった。ただ、ずっと歩いていると、歩くことに飽きて来た。

 俺はスマホの画面をのぞき込む。すでに一時間くらい歩いていた。

 

 『6.2km 1時間11分』

 

 暗闇の中、スマホの画面が鮮やかに光る。ナビの予定通りだ。あと一時間か。タクシーを拾いたかったが、通り過ぎるタクシーに空車は無かった。駅で待っている人を載せているのだろう。運よく空車が通る、といった旨い話は無かった。

 ナビは大通りを外れ、住宅街へと誘導を始めた。大通りをひたすらに家の方向へ進めばよいと思っていた俺は訝しく思い、地図を確認してみた。ナビによると一本道では帰ることが出来ず、中間地点で一度大きく道を変えて、別の国道沿いを進まないとワンルームマンションには帰りつけない事が分かった。

 

 そして、今がその中間地点付近。大通りから住宅街に入り、無理やり住宅街を突っ切って別の大通りに出る経路の始まりだった。

 この辺りは通った事は無い。土地勘なんて全くないためナビだけが頼りだった。俺の持っているスマホは最新の型から三つくらい古かった。最初は喜んでいじっていたものの、ゲームをせずメールと音楽にラジオを聴くくらいに使用目的が限定されてからは、機種変更が面倒で古い型をそのまま使っていた。

 

 ただ、三年以上使っていると電池が消耗して減りが速くなる。ナビを使っていると余計酷い。俺はスマホの電池残量が半分を切っているの見て、国道に出たらナビを切ろうと考えた。住宅街でのルートは複雑で覚えきれないと思ったからだ。

 暗い住宅街の中を、何度も右折左折を繰り返す。新しく土地を分譲しているらしく、昔からある昭和を思わせる古い民家と、そこに場違いなセンスの良い新築の家が混じり合って建っている不思議な住宅街だった。

 

 暫く歩いていると突然開けた場所に出た。眼前に緩やかな上り坂がある。その坂を道なりに超えると国道と交差し、あとは国道沿いに歩けばワンルームマンションまで辿り付けるはずだった。

 登坂を貫く道に沿って建っている建物は商店が多かった。道沿いには街灯が設置されていて、こじんまりとはいえ商店街のようだった。もう夜の九時半を過ぎている。どの店舗もシャッターを下ろしているが、普段は営業している生気のようなものを、どの建物からも感じられた。

 

 (こういった商店街で元気なのは珍しいな)俺はニュースなどで全国の商店街が『シャッター街』になってしまっている事を見聞きしていたので、営業している店舗が多い商店街を珍しく思った。

 

 (……八百屋に鮮魚店に、肉屋か……豆腐屋もあるのか。書店もあるし、荒物屋もある。本当に昔ながらの商店街なんだな)

 

 俺は物珍し気に、閉店して暗い店舗の看板をきょろきょろ見ながら歩いた。その時、自分の歩いている少し先に、一軒の店舗に明かりが灯っているのに気が付いた。

 (こんな時間まで営業しているのか……何屋さんだろ?喫茶店かな?)

 多分、喫茶店とかスナックとかそんな類だろう。俺はそう予想して歩を進める。そして店の前まで来て、看板を見た時に意外な気がした。

 

 『フランス料理 レストロー フォンティン』

 

 ……フランス料理店か。腕時計を見る。二十一時四十分。もう夕食時は過ぎている。 個人経営の小さな店で、よくある民家を改装して小洒落た外装にした建物だ。外から中を覗くと、暖かいオレンジ色の照明が点き、男性客が一人、従業員と雑談しているのが見えた。やはりこの時間でも営業しているらしい。

 俺は入り口に立て掛けてある小さな黒板を見た。カフェとかでイーゼルに載せられて「本日のおすすめメニュー」とか書かれているアレ。この店にも同じものが設置されていた。

 

 「本日のおすすめディナーセット 甘鯛のポワレ バターとビネガーのソース 季節の彩り野菜を添えて グラスワイン付き 営業時間23時まで(ラストオーダー22時まで メニューによって変更あり)」

 

 (あぁ、甘鯛のポワレ……ポワレね。あぁ、あれね……うん。全然わからん)

 

 『甘鯛』は知っている。余裕で知っている。ただ俺にはその後に続く『ポワレ』という言葉の意味も料理も、一体如何なるものか全く想像出来なかった。ポワレって何? 更にフランス料理特有の『~を添えて』という表現が大嫌いな人間だった。……なんか、こまっしゃくれた感じがダメだった。ラーメン屋の『店主からの挑戦状!衝撃デカ盛りチャーシューメン!』という表現に喰い付くタイプの人間だ。

 

 ただ、店からほのかに流れてくる食材の良い匂いを嗅いだ時、自分が空腹であることに気が付いた。今日の大騒動である。応援してくれた社員は、自分の売り場と惣菜売り場を往復して手伝いに来てくれた。昼休みも明らかに短く切り上げて手を貸してくれたことに気が付いていた。

 事件を起こした張本人である俺が昼休みなど取れるわけがない。実際、緊張と作業に追われて、空腹など感じなかったのが正直なところだった。なので今日は昼抜きだった。

 

 しかし、一日が終わりそれなりに落ち着きを取り戻し、なおかつ一時間歩き詰めに歩いた後である。空腹を覚えて当然だった。朝食に、食パンをコーヒーで流し込んでから何も口にしていないのだから。

 俺は財布をポケットから取り出すと中身を確認した。一万円札が一枚と千円札が数枚入っていた。

 

 (……変わり映えの無い弁当やラーメンで今夜の晩御飯を終えるか……それともフランス料理でも食べて明日への英気を養うか……)

 

 俺は少し考えたが、いつも食べている出来合いの料理とは明らかに違う食材の匂いと、洒落た内装の店舗に惹かれ、更に匂いによる空腹感に我慢できず、これまた小奇麗で雰囲気のある木製の扉を押して店内に入った。

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