17 訓練
チームに加入してからは目が廻るような忙しさだった。職場では引継ぎと退職の手続き。そして引っ越し。母親にも転職の事を連絡した。
「急だけど、俺、転職する事になった。公務員試験に受かったんだ」
「へぇぇぇえ?! アホなアンタが良く受かったわね」
「環境省なんだ」
「ゴミの分別も出来ないアンタが環境省か。環境省も見る目が無いね」
「うるさいな。これからは地球を愛するよ」
「そうなれば良いんだけどね。で、ゴミの分別の仕事でもするのかい?」
「いや……害獣駆除の仕事になるらしい」
「サルとかイノシシの駆除かい」
「まぁ、そんなもんだ」
「ま、あんたが決めた事だから良いんだけど、気を付けなさいよ?」
「うん?」
「最近のサルは頭良いらしいからね」
「そうらしいね」
「アンタがサルに駆除されないようにしなさいよ」
失礼な事を言うだけ言って電話は切れた。会話に愛情は感じられたが、『おめでとう』の言葉は無かった。
ただそんな事を気にしている暇も無く、対策室ビルに引っ越しをし、スーパーでの最終出勤が終わると、翌日から教育班の居る駐屯地に移った。
銃器の取り扱い。射撃訓練。室内戦及び近接戦闘の訓練。そして体力向上のための地獄の基礎訓練。実戦が行われるのは必然のチームである。実際、同じ陸自の対策班は、例の倉庫で撃ち合いこそしていないが実戦を経験している。『実戦には理不尽さが付きまとう』というセオリーに従って、指導の方針も厳しく、一般人からすれば理不尽に等しい事を言ってくることが多かった。
俺は柔道部時代を思い出し、歯を食いしばった。こういう時は、『嫌だ、早く終われ』『もう、こんなのやってられません。おかしいです』と思うと、『時は流れを止めてしまう』という事を知っていた俺は、『俺はやると決めたんだ。絶対に成し遂げてやる。絶対にやり切って見せる。教官、次は何をするんだ。やってやる』と言う気持ちで訓練に立ち向かった。気持ちが折れたらそこでおしまいだった。
実際、蜥蜴人間と戦うのは俺である。その本人が『こんな訓練やってられません』『いちいち怒鳴らないでください』となったら死ぬのは自分である。一撃喰らったら、死ぬか致命的状況に陥るのは自分である。当たり前だが、ゲームとは違うのだ。
更に教官達は、俺と石動さんを『一般人から戦える人間』に速成教育しようとしている。無理を承知で。彼らには職務上の責任がある。
責任がある故に必死になり、時には感情的になるのは、仕事上『主任』という、ちっぽけながら責任を担わされていた俺には理解できた。
だから、『やってられませんっ!その言い方は無いと思いますっ!』とは思わなかった。
(あああ、むかつく。だけど出来てないのはこっちだ。同じ事を注意されたのは三回目だ。怒鳴られても我慢する。その代わり絶対にやり遂げてやる)
毎日がこの思いで訓練に挑んだ。いや、実際はそこまでの余裕は無く、とにかく前向きに付いて行こうという気持ちだけだった。
ただ、教官も飴と鞭の使い方は知っていた。上手く出来た時や個別訓練をやり切った時は滅茶苦茶褒めてくれた。『掌で転がされている』と分かっていても悪い気はしなかった。
俺は褒められた時は、斜に構えずに素直に感謝して喜んだ。そうしないと、とてもじゃないが訓練を乗り越えられないからだ。俺自身も、出来なかったことが出来るようになるのは、自分の成長を実感する事が出来、それが嬉しさとやる気へと繋がった。
石動さんも、男の俺に比較して軽いが、まともに身体を鍛えた事が無い女性にとっては、過酷の一言に尽きる訓練を受けた。
最初の任務で『やる気』を挫いてしまう出来事があったが、彼女はどうやら立ち直ったらしい。訓練に前向きに取り組んだ。
厳しい訓練と教官の罵声で、一時期は食事も喉を通らなかったらしくガリガリに痩せてしまっていた。ただ、医官に訓練を休むように言われても、従わずに首を横に振って参加した。
彼女はよく泣いていた。ただ、決して泣き崩れたり、声を上げて泣いたりしなかった。蒼白で痩せてしまった頬に滂沱と涙を流しながらも、無言で必死に訓練に取り組んだ。彼女の強い意志は、教育班の教官達を驚かせた。
(「……もうつらい事から逃げたくないんです。つらい事から逃げる人間にはなりたくないんです」……「私は何もできなかった」)
俺は、涙を流し表情を歪めながらも、決して弱気を見せない彼女を見る度に、彼女の言った言葉を思い出した。
彼女への教育は、罵声より励ましが多くなった。罵声を浴びせなくても、自発的に訓練に取り組む姿勢が教育方針を変えたのだろう。俺にとっては、あまたの『死神』達が、彼女の行動に心を動かされているの見て驚嘆した。俺への態度は変わらなかったが。なんで?
訓練の終盤、VRソフトを使った実戦訓練が行われた。VRゴーグルと実銃そっくりのゲーム用の銃を渡され、俺と石動さんがチームになって、例の倉庫の間取りを再現した室内を捜索する訓練だった。
ゴーグルの視界には、CGの蜥蜴人間がリアルな挙動で動き、銃を撃ち、襲ってくる。それに対して短機関銃や拳銃で反撃しながら捜索を進める。
銃弾を浴びた蜥蜴人間は、実際に撃たれたかのように、体液を撒き散らし悶絶し痙攣する。もちろん教育班の意図によるものだろうが、俺にはそれが一番辛かった。実戦でためらいを無くすためなのだろうが、家庭用のゲームとは違うリアルな挙動に精神的なダメージが酷かった。
(これに慣れないと……でも慣れたくない自分がいる……この罪悪感が無くなったら、俺は一般人ではなくなるのか)
女性の石動さんは余程のショックだったのだろう。訓練初日に彼女が撃った弾が蜥蜴人間に吸い込まれ、蜥蜴人間がのたうち回るのを見るや否や、ゴーグルを乱暴に外すと訓練室の隅にあるバケツに激しく嘔吐した。教育班はこうなることを事前に予想していたらしく、ご丁寧にビニール袋を入れたバケツを二つ用意していた。
俺と石動さんの二つ分。まったく準備の良い事で。
(俺は絶対に吐いてたまるか)と意思の力でVR訓練をこなしていたが、ある日突然襲って来た蜥蜴人間を撃つ時、焦りのあまり銃口が上ずってしまった。
胴体を狙う筈が、蜥蜴人間の顔に短機関銃の弾が集中した。蜥蜴人間はCGとは思えない位のリアルさで、脳漿や体液や頭蓋骨の破片を撒き散らし、その場にぶっ倒れた。俺はそれを見た瞬間に胃袋が激しく収縮するのを感じた。何とかそれを抑えようとしたが、食道が胃袋が、自分の意思とは無関係に痙攣した。
「ゲフッ」
変な声が出た瞬間、俺はVRゴーグルを投げ捨てるとバケツに向かって突進した。同じ画像を共有している石動さんも、自分専用のバケツを抱え込むことになった。
その後、何度もその訓練を繰り返すうちに、蜥蜴人間の断末魔には慣れて来た。そんな自分は嫌だった。だが、『慣れて行かないと自分が危険になる』そうやって言い聞かせ続けた。
石動さんも慣れてきたようだった。だが、表情には何かを耐えるような感情が常に見え隠れしていた。たぶん俺と同じ気持ちだったんだろう。




