13 遭遇(2)
(何がここまで彼女を決意させるんだ?)
俺は考えた。石動さんは、最近までハンバーガーショップでアルバイトをしていたごく普通の若い女性だ。銃なんて撃った事もない。訓練も受けたことも無い痩躯の女性だ。それが、何故そこまで。
(『……もうつらい事から逃げたくないんです。つらい事から逃げる人間にはなりたくないんです』)
彼女の吐き出すような言葉を思い出した。何が彼女を決意させたのだろう。過去の経験か?それでも『つらい事』と『命を危険に晒す事』とは意味が違う。
石動さんの顔をもう一度見る。眼の表情は変わらない。……だがよく見ると彼女の顔全体が強張っていた。青白い顔色をしている。口は真一文字に引き締められ、両手は固く拳が握られている。
……彼女の様子を見て、俺は初めて気が付いた。
(彼女も、これからの任務に恐怖している。俺と一緒だったのか。……よく考えたら当たり前だ。……それでも任務に赴こうとしている。彼女はこの経験を通じて、自分を本気で変えようと思っているのか。何がそこまで彼女を突き動かしているのかは分からないけど)
俺は石動さんに声を掛けた。
「分かりました。行きます」
俺自身、今日の反乱事件をきっかけにして、自分の心が色々煮詰まっている事を気づかされた。彼女の『決意』は俺の心を動かす切っ掛けになりそうだった。
(俺も、この任務を経験して、今後の自分の生き方を考えたい。こんな経験、一生に一度も出来ないだろう)
「ありがとうございます。では、行きましょう」
彼女は、ほんの少し表情を緩めて返事をする。
そして、俺から視線を外すと少し顔を下に下げると小声でつぶやいた。
「こちらロミオ。これよりヴェローナのバルコニーへ向かいます。ジュリエット、バックアップをお願いします」
無線機に向かって言ったらしい。コードネームを連発していたが何となく意味は分かった。
二人は再び並んで歩き始めた。百メートルほど先に、灯りが付いている建物が見える。それが例の倉庫らしかった。俺は正面を見ながらも視界の端に倉庫が映っている方向に視線を固定した。
少しづつ、倉庫が近づいてくる。他の倉庫はシャッターを閉め電気が消されている。俺と石動さんが向かう建物だけが明かりがついていた。
倉庫は駐車場付きのコンビニぐらいの大きさだった。余り大きくない。駐車場に面して大きなシャッターが設置されていた。そのシャッターは半分ほど上に上げられており、倉庫内の明かりが漏れていた。
俺は作業している人間がいないかどうか、ほんの少し首を倉庫の方に捻じ曲げた。二人が居る方は暗く、向こうは倉庫の照明で明るい。向こうから、こちらの様子は余り分からないだろう。それでも用心することに越したことはない。
……倉庫に人影がある。二人……三人か。特に作業をしているわけでは無くぶらぶらとした感じで歩いている。その影は……人型だったが、頭の形はスペード型の爬虫類のモノだった。
一人が、もう一人に向かって手を挙げて、挨拶か合図のような仕草をする。拡げられた手のひら。指が異常に長く、特に中指らしき真ん中の指が、他の指の倍くらいあった。それぞれの指先には鋭い鉤爪が付いていた。
俺は影絵のように浮かび上がる彼らから眼を離すことが出来なかった。
蜥蜴人間。
フランス料理店で見た蜥蜴人間は、剥製で動いていなかった。『作り物』と言っても何とか通用しただろう。……ただ、今、倉庫で動いている蜥蜴人間は生き生きと動いていた。着ぐるみのような不自然さも無かった。ただ、照明に照らされて動き回る影法師のような蜥蜴人間のシルエットは、俺の想像を絶していた。余りにも非現実的だった。
俺と石動さんは、息を詰めて倉庫の前を横切っていた。石動さんを見る。彼女も自然を装って歩いていたが、全身が緊張して歩き方が固いのが分かった。俺と同じように、首を少しだけ倉庫の方へ向けて、建物内の蜥蜴人間を観察している。
歩道に面して建てられた倉庫。それほど大きくないため、通過するのに十秒も掛からない。問題の倉庫の前を通り過ぎ、隣の建物が近づいて来た。俺は少し気が緩みホッと息をついた。
倉庫と隣の建物の間には自販機が設置されていた。誰かが飲み物を買っている。自販機の照明に照らされた姿を見て、一瞬心臓が止まった。蜥蜴人間だった。
長い指と鉤爪があるのに器用に硬貨を摘まんで、投入口に入れていた。商品を選んでいる。
蜥蜴人間との距離が近づく。今、距離を取ったら不自然だ。二人とも無言で傍を通り抜けようとした。動き出した心臓がバクバク音を立てる。
(……自然に……自然に。何気なく通り過ぎる)
蜥蜴人間がボタンを押し、飲み物を買う。体を屈めて飲み物を取り出し立ち上がって身体を返したとき、ちょうど石動さんが傍を通り抜ける所だった。
余りにもタイミングが悪かった。二人は勢いよくぶつかり、石動さんが尻もちをついた。蜥蜴人間の手から飲み物が離れ道路を転がる。
「あ、すみません」
蜥蜴人間が蜥蜴そのものの口を滑らかに動かして、言葉を発した。ピンク色の口内とびっしり生えた小さな歯が見えた。チロチロと舌が見える。蛇のように先端がYの字に分かれていた。
「大丈夫ですか?」
蜥蜴人間は、尻もちをついたままの石動さんに手を差し伸べた。……彼女を見ると、尻もちの姿勢で固まっている。両手は後ろ手で地面に突いたまま。顔は恐怖で凍り付き、切れ長の眼から眼球が飛び出しそうになっている。唇は震えていた。
(ばれる)
俺は思った。しかも彼女は無線機を付けている。蜥蜴人間がこの世界の事をどこまで知っているか知らないが、少しでも調べていたら気が付くだろう。日本の女性は、普通は無線機なんて身に付けていないって事を。
彼女の恐怖におののく表情を見て、蜥蜴人間が首を傾げた。当たり前だ。違和感ばりばりだ。そして彼女の首に巻かれた咽頭マイクに眼をやった。
(まずい)
俺は咄嗟に二人の間に入って、なんとか誤魔化そうと思った。その時、恐怖に駆られた石動さんがとんでもない悪手を打った。
彼女は右腰の後ろに手を廻すと、ホルスターに手を掛けたのだ。その動作に気が付いた蜥蜴人間は、すぐに異常事態が発生したと悟ったらしい。
「fajja-sojfjaop-jfjawpjp-wap-wap!」
空気を裂くような言葉を発する。こちらには全く理解できない。ただ心の中の警報が一気に鳴り響いた。俺はその瞬間、自分の身体を蜥蜴人間に叩きつけた。
石動さんに気を取られていた蜥蜴人間は、完全に油断していた。成人男性の体当たりをまともに受けて、そのまま後ろの自販機に体をぶつけて昏倒した。
俺は高校入学時は170㎝59kgというヒョロヒョロの身体だった。高校から未経験で柔道部に入部した。それこそ勇気を持って。ただ、体重上限60㎏の軽量級を希望したところ、顧問と先輩から『伏木、お前170㎝で軽量級なんて背負いの餌食だぞ。66kg級も中途半端だ。軽中量級にしろ。体重増やせ。ただし筋肉で。だぞ』と言われ、三年生の時は軽中量級上限近くの70kgまで体重を増やした。
地獄のような練習が、脂肪少なめ筋肉マシマシの体つくりに大いに役立った。ただ、身長には役立たなかった。三年間で1cmも伸びなかった。くそったれが。
痩せたカマキリみたいな体型だった俺は、米と野菜と肉と魚をモリモリ食べ、激しい練習を経て、三年で体重70㎏体脂肪率11%という精悍なゴリラに変貌を遂げた。
メタモルフォーゼ。 人は変われる。何にだってなれるんだ。シックスパックに割れた腹筋を持つゴリラにだってなれるんだよ。ただし身長は伸びない。くそったれが。
そのゴリラ体型から繰り出されるチャージを、油断して居る蜥蜴人間の側面に思いっきりぶつけた。ぶつけられた蜥蜴人間は全く動けなかった。さすがゴリラ。無敵のゴリラ。ゴリラ万歳。ゴリラ最高。ゴリラとして生を受けて本当に良かった。
俺は後ろを振り返る。声を聞きつけ倉庫内にいた蜥蜴人間が、トラックホームを飛び降りてこちら目掛けて走って来る。俺は石動さんの襟首と右腕を掴むと引きずり上げるように立ち上がらせた。
「す、す……みません……!」
「いいからっ! 逃げよう!……大丈夫?走れる?」
「はっ……はいっ」
二人は歩道を走った。石動さんは走りながら叫んだ。
「こちらロミオ。ターゲットに追われている。ジュリエット!援護を!助けてください!助けてっ!助けてっ!」なりふり構わない悲鳴のような声。
後ろから複数の足音が聞こえてくる。間違いなく追われている。石動さんは息を喘がせながら必死に走っているが、訓練を受けていない女性。みるみるうちに走るスピードが落ちてくる。
(無理だ。追いつかれる)
「石動さん。時間を稼ぐ。銃を抜け!」俺は叫びながら立ち止まると、後ろを振り返った。試合の時のような緊張感が喉元をせり上げる。
(当たったらどうしようとかは、当たっちまってから考えればいい)
石動さんの言葉が脳裏を走る。柔道の団体戦で、百キロ越えの重量級の選手と対峙した時のようなクソ度胸が湧き上がる。闘争心が心の奥から燃え上がるのが自分でも分かった。うなじの毛が、頭髪が、興奮で持ち上がるのを感じた。
(来いよ。やってやる)
蜥蜴人間三人は、十メートルほど後ろまで迫っていた。突然振り返った俺に驚いたのか、向こうも急停止する。俺は左半身の姿勢を取ると、先頭の蜥蜴人間の感情の見えない黒い眼球を睨みつけた。背後で石動さんの足音が止む。
(頼む。落ち着いて銃を抜いてくれ)フォンテインで彼女が四苦八苦して銃を抜いているのを思い出し、俺は心の底から祈った。
蜥蜴人間の眼が……どこを見ているか分からない黒い眼のその視線が、少し俺からずれた気がした。
(銃を抜いてくれたのか?)
後ろを振り返りたかったが、大きな隙を作る事になる。俺は後ろを振り返りたい誘惑に必死に耐えた。蜥蜴人間は警戒したように動きを止めている。もし銃を抜くのに手間取っているようであれば、彼らは、迷いなく俺に襲い掛かって来ているだろう。……つまり彼女は銃を構えているということか。




