10 彼女と蜥蜴人間の接点
「そんな。オバサンだなんてとんでもないですよ」俺は即答フォローを入れながらも、それはお世辞でもなんでもなく本心からの言葉だった。
石動さんがオバサンなら、ヨコヅナはどうなる。霞でも食って生きているのか。
「でも、二十歳を過ぎてから一年過ぎるのが早くて……特にバイトを始めてからは毎日の繰り返しに慣れてしまうと、ほんと流されてしまって……」
「分かりますよ」
俺もそうだった。大学を卒業してスーパーの食品部門に配属されて、最初の一年は濃密だった。日本の食文化は四季とイベントを重要視している。総菜部門も、それに沿って打ち出す商品は大きく変わる。一年目は作業を覚えるのと、一年の流れを覚えるのに必死だった。
二年目になると、売り場を任され始める。売り上げや利益を考えて売り場図面を書き、発注し加工指示を出す。『作業から仕事』に業務内容が変わり始めた。主任ほどではないが、仕事に対して責任を持たされるようになった。
ただ、三年目からは仕事の流れを覚えたことで、毎日がルーチンになって来た。四年目で主任に昇格して、『売り場の最終責任者が自分になった』という事で緊張感は取り戻した。ただ、三年目で総菜部門の全業務は習得していたので、作業や仕事面で不安になる事は余り無かった。
(これではダメだ。毎日が流されている)そんな気持ちを抱いているのも事実だった。会社側もそういう事は分かっているらしく、大抵の場合は五~六年で店舗異動か部門異動を行っていた。なので俺は、そろそろ店舗か部門が変わるんだろうなと思っていた。
それが今日の出来事で、異動どころか『転職』になりそうな雲行きである。しかも刺身包丁とトングを握っていた手を、拳銃に持ち替えるという驚きの転職である。
「石動さんは……なにがきっかけで蜥蜴人間を見るようになったのですか?」
「……最初に新卒で入った会社で、嫌な事が続いて……自分でも甘いと思うんですが退職してしまって……その時、ちょっとの間ですが、少し精神的に参って何もせずに、一人暮らししていたワンルームマンションに籠ってた時期があるんです」
「会社では事務職だったんですか?」
「ええ。そんな感じでした。……総務になるのかな?」
(いじめられた……のかな?)言葉を濁す彼女の言葉に、俺の心に直感的に『いじめ』という言葉が浮かんだ。何の確証も無いが、そうは言っても目立つ容姿の石動さんである。女性が多い総務と言う職場で新卒で配属されたら、何かのきっかけで、『新卒イビリ』という罠に嵌まってしまう可能性はあるだろう。女性の世界に対する男性の想像にしかすぎないが。
勿論、それはただの憶測だ。本人に向かって『苛められたの?』と訊く訳にもいかない。俺は黙って石動さんの言葉を待った。
「それで、時々単発のアルバイトをしたり、少しだけあった貯金を使って生活していたんです。でも、さっき言ったみたいに、精神的に少し参った状態は続いていたので、心療内科で軽い安定剤を貰ったりしてました」
「ええ」
「その後、落ち着いてきたので、ハンバーガーチェーンでバイトを始めて……そこでは普通に仕事が出来て、最近まで働いていたのですが」
「はい」
「二か月くらい前、休みの日に晩御飯の材料を買おうと出かけたんです。その時、いつもの道では無くて、たまには散歩がてらに違う道を通ってみようとルートを変えたんです」
「はい」
「そしたら、今から向かう物流倉庫があって」
「あぁ、じゃあこの辺に住んでいたんですね」
「ええ。もう、住んでいたワンルームマンションは引き払いましたが」
「なるほど……あ、ごめん。それで……?」
「で、倉庫の入り口って大きいシャッターとか鉄扉がついていて、その前にはトラックの荷物を運びやすいように、出っ張りみたいな床みたいなのがついてるじゃないですか?」
「あぁ、トラックホームですね」
「トラックホームって言うんですか?倉庫で働いている人って、作業が一段落したら、そこで休憩とかしてません?」
「うん。トラックホームに座ってジュース飲んだり煙草吸ったりしてますよね」
「そうそう。私が倉庫の傍を通った時も、そのトラックホームに何人かの人が座っていて……で、さっき伏木さんが言ったみたいに『ああ、休憩してるんだな』って、ちらっと見たら……」
「もしかして」
「そうなんです。三人くらいの人が座っていたんですが、人間じゃなかったんです。人型の蜥蜴が三人座って談笑していたんです。夕暮れ時に」
日が落ちかけた時間帯に、倉庫に3人の蜥蜴人間が座って談笑している光景が目に浮かんだ。夕焼けで空が赤かったのだろうか。それとも薄暗かったのだろうか。
細長い蜥蜴の頭蓋のシルエットが、人間には無い長い尻尾の影が、黒く浮かび上らせた三人の蜥蜴人間の姿を想像すると、流石に薄気味悪い気分になった。
石動さんも、その時の光景を思い出したのだろう。少し黙って視線を地面に落としていた。
「それで……?」俺は思わず石動さんに問い掛けた。
「えぇ……最初はもちろん信じられなくて……蜥蜴人間の方をじっと見てたんですが……、一人が私の視線に気が付いたみたいで、こちらを見たんです……いや、暗くてはっきりとは分かりませんが、確かにこちらに顔を向けたんです。私は慌てて視線を外したんですが、不自然だったみたいで、目の端で他の二人もこちらを見ているのが映りました……」
「それは……怖いですね」
「ええ。怖かったです。もちろんその時は、私が見たものが本物かどうかなんて確証はありませんでした。倉庫の前を急いで通り過ぎて……買い物する気も無くなって……念の為、かなり遠回りしてワンルームマンションに帰りました」
「それは、そうでしょうね……」
「家に帰ってから、精神的に参っていたのが治ってなくて、幻覚を見たのでは。って考えたんです。気のせいだったんでは?って」
「ま、普通はそう思うでしょうね」
俺は、蜥蜴人間の剥製を見た時の事を思い出した。あの時、酒に酔って幻覚を見たと思ったから、彼女の考えに完全に同意できた。
「一晩寝てから、やっぱりアレは幻覚だったんだ。って思って。それでバイトに出かけたんです。午前中は何事も無く仕事をしていて、昼の繁忙時が過ぎてカウンターでお客さんが来るの待機していたら、外から誰かが窺うのが見えたんです」
「ああ、建物がガラス張りになっているから、外から混んでいるかどうか確認する感じの?」
「そうそう。そんな感じです」
「俺も、それはよくしますよ」
「そう。皆さんそれしますよね。私もしますし。その時も、そうなんだと思って、その人影に眼をやったら……」
「もしや……」
「そう。蜥蜴人間だったんです。今度は白昼で」石動さんは、その時の光景を思い出したようだった。声が震える。
「……ホラーですね」真昼間に、ハンバーガーショップの前を蜥蜴人間がうろついているなんて、余りにも非現実な光景で……ホラーだ。
「私は、心臓が止まりそうになって……ただ、その時、他のお客様や、同じように外を見ていたクルー……スタッフも、その蜥蜴人間に全く興味を示さなくて、それで私、思い切って隣にいたスタッフに訊いたんです。『外から覗いている人、コスプレしてるのかな?』って」
「そうしたら?」
「その子、『え?コスプレ?どうしちゃったの?冬香、そんな人いないけど? サラリーマンぽいおじさんがこっち見てるね。入店しようか考えてるのかな?』って」
「やっぱり他人には見えないんですね」
「そうなんです。それで私混乱して。幻覚なのか。私しか見えない蜥蜴人間が実在して私を探しているのか……。でも、普通は幻覚って考えますよね?」
「それが正常だと思いますよ」
「仕事は早番だったんで、仕事が終わってから、私は以前通っていた心療内科に行ったんです。先生に言ったんです。『精神的に疲れた状態が再発して幻覚を見える』って」
「先生はどう言ったの?」
「『何が見えるんですか?』って。それで私は『信じて貰えないかも知れないですけど、人間が蜥蜴に見える』って、そしたら先生は安定剤を処方してくれて、『経過を知りたいから、次回必ず受診して下さい』って。その場で予約をしました」
石動さんは一息つくと、直ぐに話し続けた。
「安定剤を飲んで、その後一週間は蜥蜴人間の姿も見えなくなって。それでやっぱり幻覚だったんだって。疲れていたんだ。って思って少し安堵していたんです。それで、心療内科に行くのは止めようと思ったんですが、薬を飲み切ってしまって、もう少し薬が欲しかったから病院に行ったんです」
「もしかして」
「そう。病院に行ったら、先生の横に射水さんが座っていたんです。先生は『患者の情報を第三者に漏らすのは、重大な守秘義務違反になるのは分かっている。でも、それ以上に大切な事なんです。理解してほしいんです』と何回も謝っていましたけど」
「国が、秘密裏に精神科や心療内科に、内部通達を出していたんですね。『見える』人が、それを幻覚だと考えて、精神科や心療内科に来院すると予想していたんですね」
「そう考えるのが自然ですね。やっぱり国が本気出すと凄いですね」石動さんは少し苦笑めいた笑みを浮かべた。




