101話 堕ちた太陽1
『PM 4:10 アウイン西部地区』
アウイン中央通りにつながる西部地区のメインストリートをただ走る。
空にはドラゴン、街中にはアンデッドの戦士。
そして、中央通りに降り立った黒騎士。
この展開は予想していたはずだった。それでも現実はこのザマだ。
備えが無駄だった訳ではない。しかし相手に上を行かれたのだ。
アウインの西部地区は主戦場である城壁に近いため、アンデッドの処理も住民の避難も間もなく終わるだろう。
問題はそれ以外の地区に落ちたアンデッドの戦士達だが、それらはこの街の守備兵とリゼットに任せた。
そして、アウイン上空を飛ぶドラゴンの相手は、レオン率いる東部教会の聖騎士団に任せた。
ならば、自分は自分の仕事に専念すべきだろう。
自分の役割は、アウイン中央通に降り立った黒騎士を倒すこと。
ただそれを成すために走る。
「よし見えた!! って、何でミレーユさんが!!」
中央通りまであと少しという所で自分が見たのは、
血だらけで黒騎士と対峙するミレーユさんだった。
なぜ、という疑問はすぐに分かった。
ミレーユさんの後ろには負傷し、動けなくなった兵士や住民達が居た。
彼女は彼らの盾にならんと、黒騎士相手に立ち向かっていたのだ。
しかし、相性は絶望的であった。
後衛職のミレーユさんが、全身鎧に大剣まで装備した黒騎士を相手に、正面戦闘で勝つのはまず不可能だ。
事実、ミレーユさんの足元には血が水溜りのように流れ出ており、
杖を支えに立っているのが精一杯という状況だった。
これでは、意識があるかすら怪しい。
そんなミレーユさんに黒騎士は剣を構え、ゆっくりと近づいていく。
「くそぁがあああがぁあ!!」
全力で走るが、駄目だ、間に合わない。
敵は剣を振り上げている。
後は振り下ろすだけで終わりだ。
「っうああああああ!!」
意味も分からず、叫ぶ。
だが、そんなものに何の意味もない。
足が千切れんばかりに力を込めて走る。
だが、それでも間に合わない。
しかし……その時、一筋の閃光が走った。
「あ……」
それは音を置き去りにするかのように、ただ速く速く疾走する。
それが何なのか、視認で来たわけではない。
だが、それでも分かる。
あれは……リゼットの矢だ。
光は一直線に剣を振り下ろそうとした黒騎士に向かう。
だが……
「……フン!!」
ザン、と黒騎士は剣を一閃。
ミレーユさんに振り下ろそうとした剣で、難なくリゼットの矢を打ち落とした。
だが、問題ない。間に合った。
「うおあああああ!!!!
ミレーユさんに、何してくれてんだラァアア!!」
ミレーユさんと黒騎士の間に身体を割り込ませ、そのままの勢いで聖剣を全力で叩きつける。
ガギン、と剣と剣がぶつかり合い、火花が飛び散る。
「……フ」
「チッ!!」
黒騎士はあえて自分から後方に飛ぶことで、剣の威力を殺す。
敵の剣ごとへし折ってやるつもりだったのだが……やはり、こいつ強い。
だが、今はこれで良い。奴が後ろに飛んだおかげで黒騎士とは距離が開いた。
「ミレーユさん、生きてますか!!」
黒騎士への警戒は緩めず、前を向いたまま後ろにいるミレーユさんに問いかける。
「まあ……なんとか、ね……
ソージ……私のことは、いいから……あいつを、この場から……引き、離して……
あいつがいると……皆の治療が、出来ないじゃない……」
ミレーユさんは息も絶え絶え、立っているのがやっとという状態だった。
それでも優先するのは自身の治療ではなく、他者の治療とは……
まったく、この世界の神官達の職業意識の高さ、あるいは信仰の高さには驚かされる。
普段は言いたい放題、やりたい放題やっているミレーユさんでも、
逃げれば良いのに、弱者のために己を省みずに戦っている。
だいたい、ミレーユさんは結婚を控えている身だろう。
こんなところで死んで良い人間じゃない。
いや……この場に死んで良い人間なんていない、か。
すでに中央通りには、20を越す遺体が転がっていた。
彼らにだって彼らの人生があり、この戦いがなければ明日を迎えることが出来たのだ。
……これも、自分の責任か。
自分はこうなる可能性が高いことを知っていて、それでも、この作戦を選んだ。
「……それでも、反省は後だ」
もう戦いは始まっている。すでに退路はなく、ゲームのようにリセットも出来ない。
それならば、自分に出来ることをやろう。
まずやるべきは、負傷者の回復だ。
しかし、自分はアンナやカグヤと違って、範囲回復魔法は持っていない。
自分が使える回復魔法は、単体効果の『ヒール』のみ。
そして、単体効果の魔法は、相手を視認しなけば使えない。
しかし、目の前には黒騎士がいる。
距離は10メートル程度離れているが、こんなもの自分にとっても、おそらく相手にとっても一瞬で詰められる距離だ。
この状況で後ろを振り向くなど、ただの自殺行為だろう。
では、どうするか? こうするのだ。
目の前にいる黒騎士に対して警戒はそのままに、聖剣を構える。
良く磨かれた白銀色のその刀身は、鏡ほどではないにしろ自分の背後を映し出す。
目線だけを動かし、背後を確認する。
負傷者は12名、その内、重傷者はミレーユさんを含め8名。
ショートカットから『ヒールLv5』を選択し、ミレーユさんを対象に3回実行。
同様に、ミレーユさんの背後にいる重傷者に対しても『ヒールLv5』を3回ずつ実行する。
このあたりは『アウインの水場』での経験が活きている。
重傷者にはヒールは効き難く、また、ヒールの効き方にも個人差がある。
ならば、最初から出し惜しみせずに、最大レベルのヒールを複数回実行する。
このやり方では無駄が多く消費が重くなってしまうが、ポーションのストックには余裕がある。
何より余計なことを考えなくて良い、重い消費は必要経費として割り切ろう。
ミレーユさんやその他の重傷者の身体は、淡い光に包まれ傷が再生する。
これで一先ず安心だ。あとは目の前の黒騎士をどうにかすれば良い。
「ちょっと、私はいいって言ったでしょ!!」
ミレーユさんの抗議に、振り向かずに答える。
「そうなんですか? よく聞こえませんでした」
「絶対に、聞こえてたでしょ……
ふん、まあいいわ。ソージ、援護は必要?」
「不要です。
俺は今からあの黒騎士を南部地区に誘導します。
その隙にミレーユさんは怪我人の治療と、避難をお願いします」
先程ヒールを使ったのは、重傷者に対してだけだ。
まだ、この場には負傷者も、逃げ遅れた者もいる。
剣を構えたまま、周囲に居る守備兵に向けて叫ぶ。
「この黒騎士は、俺に任せろ!!
援護は不要!!
戦える者は負傷者の警護、街中に散らばったアンデッドの退治、
レオンの聖騎士団に合流しドラゴン退治にあたれ!!
これは総大将としての命令だ!!」
『りょ、了解!!』
守備兵たちは黒騎士に対して警戒しつつも徐々に後退し、それぞれの役割にしたがって動き出す。
「ミレーユさんも今のうちに!!」
「そうね……――眠れる力を解き放て――『ブレイブ』!!」
『ブレイブ』、物理攻撃力を上昇させる補助魔法。
その魔法の力によって、自分の身体に力がみなぎる。
しかし……
「……自分に援護は不要と言いましたが」
ブレイブの魔法のMP消費は、そこまで重い訳ではないが、軽い訳でもない。
それに、この魔法は自分も使える。だったら自分よりも他の人を優先するべきだ。
「そうなの? 聞こえなかったわ?」
しかし、ミレーユさんはとぼけた様にそう言った。
「絶対に聞こえてましたよね」
「ふふん?」
「まあいい……まだ上空にもドラゴンはいますので、なるべく死なないで下さいよ」
「人の心配とは余裕があるわね。あんたも死ぬんじゃないわよ!」
その声と共にミレーユさんの気配が離れる。
同時に、自分は黒騎士に向けて突撃する。
「うらぁあ!!」
敵に対して左側に踏み込みつつ、聖剣を左から右に振り抜く。
「フ……」
「チッ!!」
結果は先程と同じ。
黒騎士は巨大な大剣を自在に操り、自分の斬撃を弾く。
攻撃が当たらないのは残念だが、深追いはしない。
黒騎士に一撃与えると距離を取る。
いわゆる『ヒット&アウェイ』戦法。
これを駆使して、敵を南部地区へ誘導する。
今度は右から踏み込み剣を叩きつけるが、やはり自分の剣は防がれる。
「このくそ野郎が!!」
一撃入れると、南部地区の方向に距離をとる。
敵は自分に狙いをつけたのか、自分の後を追うように動き出す。
こちらの作戦通り、誘導はうまく行きそうだ。
しかし、ここまで3回の攻撃はすべて防がれている。これは如何にもまずい。
そもそも敵を倒せるなら、わざわざ南部地区に誘導せずに、この場で倒してしまえば良いのだ。
だが、それはかなり厳しいと言わざるを得ない。
頼りのチート『剣スキル』は間違いなく発動している。
しかし、普段はどこを斬れば有効打になるか示してくれる『剣スキル』が、まったく機能していない。
これはつまり……敵に一切の隙はなく、一撃で倒すことは適わないという事だ。
であるならば、目標を下方修正。
一撃狙いの大攻撃から、牽制狙いの小攻撃で相手の出方を伺う。
目標を下げたことで、『剣スキル』が機能し、自分の狙いに沿う攻撃案が示される。
「せい!!」
指示された剣筋に従い、敵に対して左側に踏み込みつつ、剣を左から右に振り抜く。
その剣は、やはり敵の大剣に弾かれるが、今度は想定通りだ。
毒にも薬にもならない一撃だが、どうせ誘導ついでの様子見だ。今はこれで良い。
一撃入れると、南部地区の方に距離を取る。
あとは南部地区につくまでこれの繰り返す。
その後、数十回の打ち合いを続け、黒騎士を南部地区の路地裏に誘導することに成功した。
なぜ今回は南部教会ではなく、路地裏にしたのかと言えば、南部地区の路地裏は無計画の増改築で道幅が狭いからだ。
その道幅は約5メートル。剣を振れないほどではないが、それでも戦うには窮屈に感じる。
まして人の背丈はあるだろう大剣ならば、なおさらなはずだ。
ただし住居が密集しているため、大規模魔法の『バニシング・レイ』は使えない。
まあ、敵は六重聖域が効いていないことからも、光属性を無効化するアイテムを装備しているのだろう。
ならば、最初から威力は期待できないので、問題はない。
それよりも、敵の行動を妨害する方が重要だ。
敵が間抜けにも大剣を壁に引っ掛けてくれれば言うことはないが、さすがにそこまで間抜けではないだろう。
あくまでもこちらの狙いは、敵に戦いにくいというプレッシャーを与えることだ。
一応、戦場をここにしたのには、もう1つ狙いがあるのだが……
まあ、そちらは確実ではないし、あまり頼りたくない奥の手だ。
まずは真っ当に勝利を目指すとしよう。
そう頭の中で作戦を考えていると、今までほぼ無言だった黒騎士が、兜の奥からくぐもった声で問いかける。
「どうした? 鬼ごっこは、もう終わりか?」
「……ああ、ここがお前の終着点だ」
やはり、こいつは分かった上で、こちらの誘いに乗ってきた。
つまり、本能のままに戦っていた『アンデッド・ジン』とは違う。
こいつには意思がある。
それは最初に襲われた兵士は死んでいて、ミレーユさんが死んでいなかったことからも分かる。
……こいつは明らかに獲物を選り好みしている。
「クク、良い殺気だ。
観客が居ないのは大いに残念であるが……その代わり、余計な邪魔も入らない、か。
良かろう、貴様の誘いに乗ってやったのだ、その分、私を楽しませてくれるのだろう?」
そう言うと、黒騎士は自分に見せ付けるように大剣を振るう。
人の背丈ほどもある漆黒の大剣、その重さを物ともせずに、真っ直ぐに正眼の構えを取る。
その構えは堂に入っており、隙は欠片も見当たらない。
「我が名は『太陽の聖騎士マルク』!!
この聖剣『ブラック・サン』を託された聖騎士として、正々堂々貴様に決闘を申し込む!!」
黒騎士はまるで物語の主人公のように、名乗りを上げる。
その名前に、自分は聞き覚えがあった。
『太陽の聖騎士マルク』……いや、『堕ちた聖騎士マルク』か。
シモンが言っていたことを思い出す。
『太陽の聖騎士マルク、いえ、今は堕ちた聖騎士マルクと呼ぶべきなのでしょうね。
彼は司教の位にまで就いたにもかかわらず、邪教徒に魂を売った裏切り者です。
その名を語ることは教会では禁忌とされていますので、軽々しく口に出さないように注意して下さいね』
シモン曰く、生前は多くの邪教徒を倒した英雄であったらしいが、
より『強さ』を求めて邪教徒になったらしい。
しかし、そうなると先程のマルクの名乗りに、強烈な違和感を覚える。
奴は自分のことを『聖騎士』だと名乗った。
だが、それは過去の話。今の奴は聖騎士でありながら、自分の欲のために邪教徒に魂を売った裏切り者だ。
そんなクソ野郎が聖騎士を名乗っている。
それに奴が装備している大剣『ブラック・サン』はフラグメントワールドに存在していたレア装備で、
フィールドボスである『暗黒騎士』を倒した時のレアドロップでしか手に入らない。
マルクとゲームの『暗黒騎士』の関係は分からないが、少なくとも『ブラック・サン』は聖剣ではない。
つまり、マルクはこの期に及んでまだ自分は聖騎士のつもりでいるらしい。
だとするなら、こいつはただの狂人だ。
「……どうした?恐怖で声も出ないか?
しかし、貴様にも背負っているものがあるだろう。
であるならば、貴様は戦わなければならない。さあ、名乗られよ!!」
こうして台詞だけを聞いていると、まるで正々堂々とした武人のようだ。
しかし、実際には黒い鎧に身を包んだ、ただのアンデッドである。
『何言ってんだ、こいつ』とは思うが、奴が強敵であることも事実。
体感ではあるが、自分よりも10レベルは上だろう。
MMORPGにおいて10レベルの差は勝てないほどの差ではない、装備や戦術で十分に覆せるレベル差ではある。
しかし、それは順当に戦うと、順当に負けるということでもある。
自分が勝つには装備の差か、戦術で奴を上回らなければならない。
まず装備について、今回の戦いにはポーション等の消耗品は十分に持ち込んでいるし、
所有しているレア装備……
炎属性の片手剣『フランベルジュ』、
水属性の片手剣『青龍刀』、
土属性の山刀『フォレスト・マチェット』、
風属性のナイフ『フェザー・カッター』、
光属性の刀『白光』、は全て持って来た。
さらに、ベルトに付けたホルスターの中にはマジックガン。
ポーチの中にはいつもの聖水や聖布の他にも、エルに貰った煙幕弾や薬品。
そして、右手には白銀に輝く聖剣『フルムーン』。
これだけの装備があるのだ。
なら、あとは戦術さえ間違えなければ勝てない相手ではない。
ここで選択する戦術は……
聖剣をしっかりと構え、腹に力を入れて声を出す。
「我が名はソージ!!
此度の戦の総大将である!!
女神『ルニア』に聖剣『フルムーン』を託された担い手として、貴様を討つ!!」
「そうだ!出来るではないかソージよ!!
さあ、戦おうぞ!!強者との戦いこそが我が生きがいよ!!」
ヒートアップする聖騎士とは逆に、自分は敵の一挙手一投足を見逃さないように心を静めていく。
こちらの作戦は何てことはない。
まずは相手の誘いに乗り、正々堂々と戦い……期を見て不意打ちを行う。
正々堂々? 冗談ではない。
こいつは善良な住民を殺しただけでなく、ミレーユさんを嬲っていたのだ。
その落とし前はこいつの命でもって付けさせる。
恐怖と後悔と絶望の中で、苦しんで死ね。