後見人 1 ナジューラ・ダンホフの異母兄、ロジューラの話
「発表致します」
ナジューラ様の誕生会で、新しくナジューラ様の側近筆頭に指名されたルマ・セバロスが資産目録を読み上げ始めた。
私の父、ダンホフ公爵には愛妾が二十人おり、子供は四十人以上いる。 誕生会には誕生日を迎える子の将来に深く関わる者が多数招待されるが、出席者が百人を越える誕生会であっても忙しい父が出席する事は滅多にない。 その例外が、男子が二十五歳を迎えた時に行われる誕生会だ。
ダンホフ公爵の息子は正嫡子、庶子の別なく全員十五歳の誕生日に資本金一千万ルークを受け取り、二十五歳の誕生会に公爵と公爵の息子全員が出席する前で、その資本金がいくらに増えたかを報告する。 その金額が一番であった者が次代となるしきたりだ。
父の息子の誕生会は私を含めほとんどが終わっており、現在の所ユーエンの七千八百万ルークが筆頭。 次がニアンの六千四百。 三位がエミラの五千五百となっている。 ナジューラ様より年下の男子が三人いるが、一人はダンホフ公爵軍に、二人は近衛軍に入隊しており、金儲けに才のある者達ではなく、次代争いに参戦していない。 つまり今日、ダンホフの次代が決まる。
私の試算ではナジューラ様の資産は三千百万。 大方の予想では三千を越えるのは難しかろうと見られていたから健闘したとは言える。 国外資産のほとんどを手放し、それがそこそこの値で売れた結果だが、先頭を走る三人の足元にも及ばぬ数字である事に変わりはない。
ダンホフ公爵家資産の増加を唯一無二の目標となさっている父の事だ。 いくら正嫡子であろうと、この程度の業績しか残せなかったナジューラ様を次代に御指名なさる事はないだろう。 今日の誕生会が終わればナジューラ様は廃嫡され、ユーエン、ニアン、エミラの内の誰かが次代様に選ばれる。
金額的にはユーエンが最高だが、歴代の指名を見ると必ずしも金額だけが考慮されている訳ではない。 ユーエンの業績は二年連続の好景気が追い風となった。 それはユーエンが賢い投資をしたからと言うより運の要素が大きい。 強運こそ蓄財の根幹ではあっても一億や二億の金ならともかく、ダンホフ公爵家のように国家予算に匹敵する資本を動かしている場合、投資を選んだ理由に説得力がなければ。 兄の投資が順調なので同じ事をしたら当たった、という理由では心もとない。
三人の中ではエミラが一番年上で、昨年の一月に二十五歳を迎え、その時点では五千五百で終わったが、その後も順調に店舗数を増やし、業績を伸ばしている。 彼の資産の発表日が今日だったら八千万で第一位になれただろう。 ニアンも似たような状況で、今年二月の誕生会の後に大口の成約が続いたらしく、せめて五月生まれだったら、と歯噛みしていた。
しかし金儲け以外の資質となると、三人共母が国内貴族の出自で外国との強い繋がりがないだけに未知数と言える。 ダンホフ公爵家は国の財政を左右する影響力を持っているので政治的センスも要求されるし、外国ともどう立ち回るか、為替や交易に関する知識も必要だが、三人共投資は全て国内投資で海外投資の経験はない。 それをしたのはナジューラ様だけだ。
私にとって誰が選ばれようと大した違いはないが。 そもそも投資の成功は長期的な成長をどう見極めるかにある。 この三人の資産が他の追随を許さなかったのは私の助言に従って早くから北への投資を開始したからだ。 私はこの三人の内の誰かが爵位を継ぐ事になると目を付け、それ以来様々な形で援助をしてきた。 その報奨として爵位継承の暁には私を別家として分家してくれるよう、念書を交わしている。
ナジューラ様の資産がせめて五千万に手が届く辺りだったらこの誕生会も相当な関心を呼んでいたであろう。 だが今日で廃嫡が決まる継嗣の誕生会など茶番以外の何物でもない。 誰の誕生会であろうと一度も出席なさった事のない義母上が出席なさっている事は人目を引いたが。
この誕生会だけは出席したくなかったに違いないと思うと、些か同情の念を禁じえない。 とは言え、私の同情など義母にとって塵芥も同然であろう。 余計な口出しなどしないに限る。
お顔を拝見する限りでは常の通り。 もっともダンホフ公爵夫人の内心など余人に窺い知れるものではない。 何らかの感情が読み取れたとしても、それは出しておいた方がよいという計算から来るもの。
私にした所で自分の感情を面に出した事はないし、それは私に限った事でもない。 今この会場内にいる者は全員互いにとって競争相手なのだから。
資産額にしても互いの数字を発表前から把握している。 差があったとしてもせいぜい数十万程度だろう。 このような仰々しい会を開いて発表する必要等少しもないのだが、誰もが今初めて聞くかのような真剣な表情でセバロスが読み上げる不動産及び商売関係の資産評価額を聞いている。
それというのもこの誕生会が内輪の祝い事と言うより、公爵家の爵位継承を決める公式行事だからだ。 加えて資産読み上げの後に会食会がある。 これは重要な情報交換の場で、数少ない父の顔を見、言葉を交わす事が出来る希な機会。 父が興味を示せば自分の投資案に出資か、そこまでいかなくとも何らかの助言がもらえるかもしれない。 次代争いからは脱落しても金儲けの種はどこに転がっているか分からないのだ。 皆退屈そうな様子を欠片も見せず、辛抱強く終わりを待っている。
だが私は読み上げは勿論、その後の会食にも無関心だ。 父が私に対し無関心であるように。
これは言葉のあやなどではない。 私を養育した乳母、侍従、側近の給金は全て私の母の遺産から出されている。 金だけではない。 子供の頃から私は母が所有する別邸で育てられ、父の顔こそ遠目に見た事はあったが、直接会って話した記憶は数える程しかなかった。 私の二十五歳の誕生日に今後の投資計画について話したのが初めての父との会話らしい会話と言えるが、それでさえ父と子の会話と言うより投資家と起業家の談合だった。
親子の交流がない事を残念と思った事はない。 幼い頃から父の金をあてにするつもりなどなかったし、父母がいなくても子は育つ。 それに父と何の交流もないのは私に限った事でもない。 息子の中で私が父に一番よく似ていると誰からも言われるのは不本意だが。 顔立ちだけでなく、独立独歩、他人をあてにしない性格がそっくりらしい。 そう言われれば、成る程その見立てに誤りはない。 それは残念だが私にはどうしようもない事だ。
自分の財産くらい自分で築ける。 私は早くから分家となる事に向けて準備していた。 柵だらけで自領内の経済政策一つ変えるのでさえ陛下は元より、親族やら他の貴族やらへの根回しをせねば何も出来ない公爵のどこが面白い。 私のために何かをしてくれた訳でもない家の為に滅私奉公するなど真っ平だ。 それにこの家は何百年もの間、庶子が爵位を継承している。 ダンホフ公爵軍を掌握している訳でもない私が下手に資産を増やしたら毎日暗殺に怯えて暮らす事になるだろう。 だから自分の資産が増え過ぎて爵位を継承する羽目にならぬ様、長期的な投資を中心に行ってきたのだ。
五年前、私の誕生会で発表した時の資産は四千万だが、現在私の資産は一億ルークを越えている。 もし父の投資戦略に従っていたら年率一割程度の成長しか見込めなかったであろう。 ナジューラ様のように。
金融関係だけではない。 私が愛するニーナは子爵家の庶子だ。 もし私がダンホフ公爵となったらダンホフ公爵夫人に相応しくないと反対され、愛人にしか出来ないだろう。 そして爵位を継いだら正妻を娶らない訳にはいかない。 正妻の性格にもよるだろうが、ニーナに対して嫉妬されたら私にニーナを守る術などないと言っていい。
分家しても正妻がいない事や、愛人でさえ一人しかいない事に嫌みを言われるとは思うが。 大概の嫌みは金で方が付く。 代替わりしてしまえば本家が介入する事はないだろう。
公私に渡り、父からの関与は少なければ少ない程良いと思っている。 それでも今日ここに出席したのは出席が半ば強制されたものであるだけでなく、本邸で済ませねばならない用事があったからだ。 ここまで来ていながら誕生会を欠席したとなると余程の理由がなければ痛くもない腹を探られる。
愛人が出産する等、欠席の理由にならない。 医師は全て順調と言っているし、私が側に居た所で手助け出来る訳でもないが。 出産で命を落とす女性は少なくないだけに気掛かりで、出来るだけ早く帰りたい。
それにいくらナジューラ様の廃嫡が決まっているとしてもナジューラ様の実母がダンホフ公爵夫人である事に変わりはない。 誕生会を欠席した所為で愛人を本邸で教育してやるから連れて来いという類の嫌がらせをされたら面倒だ。
ダンホフ公爵夫人が過去にそんな事をしたという噂を聞いた訳ではないが、それに似た様な話ならどの家にもある。 いつまで経っても正妻を迎えなかったらニーナが私にとって特別な女性である事は私が何も言わなくても誰の目にも明らかとなろう。
幸い読み上げは三十分足らずで終わる。 終わり次第、帰宅するつもりで馬車の準備をさせていた。 誰が次代様に選ばれるかはどうせ後日発表となるだろうし、それは決定し次第、連絡が届くように手配してある。
今にも雨が降りそうな曇り空を気にしていると、ようやく最後の項目が読み上げられた。
「紅赤石。 時価五千万ルーク、二個。 合わせて一億ルーク。
資産総額、一億三千百八十二万ルークとなります」
常ならばそこで拍手が湧き上がる誕生会会場が、水を打ったかのように静まり返った。 庶子達とその側近全員が青ざめている。 普段なら何があっても余裕の表情を崩さない私の側近筆頭、ライーラボルトでさえ真っ青だ。 私自身の顔色も変わらずにいたかどうか心許ない。
時価五千万ルークの紅赤石だと。 そんな物がこの世に存在すると言うのか? しかも二個? 一体、どのような手段で手に入れた?
私達の無言の懐疑に答えるかのようにセバロスの隣に立っていた側近二人が進み出る。 捧げ持っていた美しい直径二十センチ程の陶製のドームをおもむろに取り外す。 そこからかつて見た事のない大きさの紅赤石が現れ、辺りを燦然と照らした。




