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弓と剣  作者: 淳A
零れ話 III
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推理  ジルジエ小隊長の話

 ヴィジャヤン大隊長は時々上着やシャツを裏返しに着ている事がある。 しょっちゅうとは言えない。 いついつだったらある、と言えるような規則性がある訳でもないが、一年を振り返れば十回以上見かけている。 つまり平均すれば一ヶ月に一回はそんな日があるのだ。

 もっと頻繁に着ているのに気が付いていないだけじゃないのか、と言われるかもしれないが、若ファンの繋がりを舐めてもらっては困る。 軍の序列はあるにしても若ファンであるという事に変わりはない。

 一口に若ファンと言っても様々なタイプがいるし、若ファンならこうすべきという決まりがある訳でもないが、私達に共通している事がひとつある。 それは自分が見聞きしたヴィジャヤン大隊長の言動をみんなで共有したいという気持ちだ。


 ヴィジャヤン大隊長という御方は日常の何気ない行動にお気持ちが素直に表れる。 例えば新婚当時、奥様がもうすぐ到着なさると言う日に食堂前の廊下でヒャラを踊り出された時のように。

 それだけ見れば受け狙いと誤解されるような行動だが、それならはっと気が付いて照れくさそうに頬を染めたりしない。 若ファンにとってはあの恥じらいこそがたまらない萌えポイントと言える。 だが、いつも幸せな御様子を拝見するばかりではない。 だからこそ余計気になるのだ。


 ヴィジャヤン大隊長が入隊なさってようやく一年が過ぎたばかりの頃、タケオ大隊長と御一緒にある任務に出発なさった事がある。 何の任務だったのかそこで何があったのか誰も知らない。 だがその任務から戻られて以来、ヴィジャヤン大隊長は稽古を始める前に弓をぎゅっと握りしめ、目を閉じて呼吸を調えるようになった。

 新兵の頃、ヴィジャヤン大隊長は人に向かって矢を射る事が出来ず、タケオ大隊長に特訓された事があったが、それはあっさり克服なさり、その後は全然問題があるように見えなかったのに。 まるでその頃に逆戻りしたかのよう。 いや、それ以上と言える。 緊張のあまり弓を握りしめる拳の白さ。 あれを見るだけで胸が締め付けられた。

 任務の後で皇太子殿下より感状を頂戴なさったし、お二人共に昇進された所を見ると任務は成功しているのだろうが、ヴィジャヤン大隊長にとって体の一部とも言える弓を引くのに心の準備がいるだなんて。 余程の事があったに違いない。

 翌年、大審院証人喚問から無事お戻りになり、稽古の前に目をぎゅっと閉じる習慣が消えているのを見た時、皆どれだけ安堵のため息を洩らした事か。 それだけ見ても御結婚がお幸せなものである事が分かろうというもの。


 但し、ヴィジャヤン大隊長の行動で即座に理由が推測出来るものは意外に少ない。 ロックと飛ぶとかの度肝を抜かれる場面を目撃したり、秋祭りでヒャラ踊りを率先して踊られたとかの逸話を噂で知る事ならいくらでもあるが、どうしてそんな事になったのか、なぜやったのか、意味不明な事の方が多いのだ。 玩具屋へ開店と同時に飛び込み、オークのぬいぐるみをお求めになった時のように、すぐ推測可能なものは例外と言える。

 例えばこの服の裏返しだが、ヴィジャヤン大隊長が朝、御自分で身支度なさり、慌てて間違えたというなら分からないでもない。 でも以前ならウィルマー執事が、今はアラウジョが付いている。 どちらも服が裏返しである事に気付かないような弛んだ付き人ではない。 お側の者が直さないのならわざと裏返して着ていらっしゃるのだ。 

 勿論、ヴィジャヤン大隊長だって人間だ。 その日の気分次第でやったりやらなかったりする事はあるだろう。 しかし大隊長ともなれば毎日のように誰かと面会なさっている。 服が裏返しのまま面会するだなんて相手が目下だとしてもまずいのではないか?

 それにこの裏返しは今始まった事ではない。 ヴィジャヤン大隊長が新兵の頃から時々見かけた。 又、ヴィジャヤン大隊長は一見気分次第の御方のように見えるが、毎日とても規則正しくていらっしゃる。 相手の都合で御予定が変更になった事ならいくらでもあるが、御自分の気分や都合で御予定を変えた事はほとんどない。


 もっとも、ヴィジャヤン大隊長は派手な話題に事欠かない御方だ。 それでなくても次の副将軍は誰かという昇進争いもある。 結婚式、宮廷舞踏会、この秋のお見送りや御領地である大峡谷での出来事等、他にいくらでも派手な話題があるのだから、服の裏返しがどうした、という感じで。 そんなどうでもよい事の理由までとことん突き詰めて考えようとする者は若ファンでもあまりいない。

 しかしヴィジャヤン大隊長は服をあんな風に着るのがお好きなのだ、と言われても納得出来ない。 西では服を裏返しに着るのが流行っていると思い込んでいる奴もいたが、そんな流行なんてない。 疑うなら西出身の兵士に聞いてみればよい。 あれはヴィジャヤン大隊長独自のファッションステートメントだと言う者もいるようだが、それならなぜもっと頻繁に見かけないのだ?


 瑣末な事ではあるが、そんな何気ない行動の理由が気になる人間は私だけではない。 その中でも理由は知りたいが、分かる訳がないと諦めて終わる者と諦めない者がいる。 諦めないからと言って理由を知る為に何か行動を起こすつもりはないが。 動いた所でヴィジャヤン大隊長の周囲は非常に口が堅い連中で固められているから答えが見つかるとは思えない。 一番口が軽そうに見えるフロロバでさえ非常に用心深く、御家内であった事など冗談でも言わないし。 そっちこっちで誰がどんな噂をしているかを聞いている所ならよく見かけるが、何を探っているのか手の内を見せた事はない。

 それにいくらヴィジャヤン大隊長は気さくな御方と言っても自分の直属上官でもない大隊長に向かって上着を裏返しに着ている理由なんか聞ける訳がない。 けれど推理するのは自由だ。 そんな推理好きが集まり、あり得る説明を一緒に考えるようになった。


 推理するのは他愛もない事ばかりだが、ああでもない、こうでもないと話すのは楽しい。 答えが分からなくても中々興味深い推理が出て来たりする事もある。 そこで推理を推理した者の名前と一緒に記録しておかないか、という話になった。 すぐには答えが分からないものでもいつか分かる日が来るかもしれない。 その時、自分達の推理と照らし合わせたら面白い、と言う事で私が発起人となり、推理同好会が発足したのだ。

 推理するのはヴィジャヤン大隊長関連の事だけだから会名にヴィジャヤン大隊長に因んだ何かを入れたかったが「ヴィジャヤン大隊長の言動の理由を推理する会」では長過ぎるし、「弓を推理する会」にしたら一体何の会か、それこそ推理しなくてはならない。 それで無難な「推理同好会」にした。


 独立した会ではあるが、会員のほとんどが豪弓会と弓と剣の会の両方に入っているので結構忙しい。 全員が毎週決まった日に集まるのは難しいため、普段は昼食や夕食、休憩の都合のついた数名が食堂や空いている会議室に集まって推理している。 集会日時が予め決まっているのは月例会だけだ。 そこでどの推理を記録するかを決めている。

 九月の例会ではアーンゼン上級兵が最初のお題を提出した。 

「ヴィジャヤン大隊長が、俺の土地でもないのに売れって意味分かんない、と独り言を零されておりました」

「……俺の土地でもないのに、ね」

「ヴィジャヤン大隊長の独り言は何が何だか分からないものがほとんどだが、これは推理可能だな」

「うむ。 つまりヴィジャヤン大隊長所有の土地でもないのに、売れと言って来た奴がいた訳だ」

「あの、土地って、どこの土地でしょう?」

「ライリエ湖に決まっている。 建築ブームで北の地価はどこもどんどん上昇しているのに、ヴィジャヤン大隊長御一家がお住まいのライリエ湖の地価は不動じゃないか。 とっくに天文学的数字に跳ね上がっていて当然なのに。 なぜ上がらないかと言えば所有者が変わっていないからだ」

 よくヴィジャヤン大隊長の別邸周辺を警備している関係で、近所に詳しいヴァデール小隊長がそう言うと、北軍兵士の姻戚関係に詳しいシーバース中隊長補佐が頷いて付け加える。

「ライリエ湖畔の土地を所有している貴族はモンドー家、アーリー家、ジンドラ家、シルモニ家、デュシャン家。 それにジンドラ家の土地を半分譲ってもらったマッギニス家が加わる」

「上級貴族といえども当主が北軍将軍であるモンドー子爵家、正嫡子が副将軍補佐を勤めるアーリー子爵家、マッギニス侯爵家との太いパイプがあるジンドラ子爵家には下手な手出しはできないでしょうね」

「それはそうだが、今の所シルモニ子爵家とデュシャン男爵家に上級貴族への繋がりはないだろう?」

「シルモニ子爵夫人は、確か、伯爵令嬢ではありませんか?」

「うむ。 ラティネン伯爵令嬢だ。 しかし伯爵程度では公侯爵の圧力に対抗出来ないんじゃないか? そして私が知る限り、デュシャン男爵家に伯爵以上の貴族との縁故は一つもない」

「すると上級貴族の誰かが北方伯別邸の御近所様になりたくて、ヴィジャヤン大隊長に一言口をきいてもらいたい、と言って来たのでしょうか?」

「その辺りだろう。 まだまだヴィジャヤン大隊長と直接会って話した事がない貴族の方が多いだろうし。 皇国皇王陛下にさえ物申す事が出来る御方と聞いて、北の下級貴族に命令するくらい、どうって事はないと思うのも無理はない。 今の今までこんな話がなかった事の方が不思議だった」

「そしてヴィジャヤン大隊長はお断りになった、と」

「これはライリエ湖畔の不動産価格に関する不思議が解明されたと見ていいか?」

「ヴィジャヤン大隊長がお断りなさった事が防御効果を齎したという事でしょうか?」

「そうだ。 ヴィジャヤン大隊長は豪弓会の名誉会長をなさっている。 直属の部下でこそないものの、豪弓会会長のシルモニと副会長のデュシャンはヴィジャヤン大隊長の子飼いと世間では見ている。 ヴィジャヤン大隊長に断られたら更にごり押しする訳にはいかんだろうが」

「不動産価格が不変である事に関してはそれで説明が付くとしても、そもそもなぜヴィジャヤン大隊長はこの話をお断りになったのでしょう? ヴィジャヤン大隊長が売ってくれとおっしゃったら誰であろうとただ同然の価格で土地を差し出したのではありませんか?」

「それはお言葉のままさ。 自分の土地でもないのに売れと他人に言える訳がないと思っていらっしゃるのだ」

「なるほど」

 ここまでは簡単だが、それでは誰がヴィジャヤン大隊長にそんな事を言ったのかについては分からなかった。 すぐ分かる事でもなさそうなので、ここまでの推理を記録しておく事にした。


 次に、ラフスファン軍曹がお題を出した。 

「マッギニス大隊長補佐の署名がない予算調整書を将軍に提出したのは、仕事が増える事が不満で会計官がわざとやった嫌がらせ、という噂が流れています。 これは事実だと思いますか?」

「ふん、ただの中傷だろ」

 私の言葉にヴァデール小隊長が疑問を挟む。 

「幾らか真実が混じっている、て事はないのか? 第十二大隊の書類全てに必ずマッギニス大隊長補佐が署名する事は、第十二大隊の書類を扱った事のない者だって知っている。 何十もの提出書類を扱っている担当会計官が知らなかったはずはない」

「だが管財部でその噂を本気にしている奴はいないと聞いたぞ。 シュエリ会計官は仕事が増えたからって文句を言う様な男じゃないらしい」

「そうか。 まあ、私もその噂を聞いた時はどこか嘘臭いとは思ったが」

 ヴァデール小隊長がそう言うと、デイカーが遠慮がちに発言した。 

「もしかしたら、その中傷を流した人には、裏と言うか、何らかの意図があったのではないでしょうか?」

「意図? シュエリ会計官を中傷して得する奴がいるとでも言うのか? ヴィジャヤン大隊の仕事は誰もやりたがらなかったんだろ。 それなら管財部内の者にとっては専任が出来て嬉しいんじゃないのか?」

「シュエリ会計官に移動されては困る者がいるのかもしれません」

「なぜ?」

「シュエリ会計官は大変有能な人材であると聞いた事があります。 予調大寒波の後、五人分の仕事を一手に引き受け、一日の遅れも出さずに書類を提出したのだとか」

「ほお」

「中傷すればそれはヴィジャヤン部隊へも届くでしょう。 それを聞いたヴィジャヤン大隊長が、そんな奴が自分の隊に来るのは面白くない、と他の会計官をお選びになる事を期待したのかも」

「ふーむ。 それは中々いい所を突いているな」

「じゃあ、これも記録しておくか」


 そろそろ会がお開きになる頃、つい言葉が零れた。

「それにしても簡単な様で難しいのが服の裏返しだよなあ」

「何だ、ジルジエ小隊長、しつこいぞ。 まだ気にしていたのか?」

「だって気になるだろう?」

「えーっと、それはトマトソースが服に飛ぶからじゃないでしょうか?」

 デイカーの発言に出席者全員が驚きの声をあげた。

「「「「はあ?」」」」

「トマト麺がメニューの日にヴィジャヤン大隊長がお弁当を持っていらした事はありません。 でもあれを食べると、どんなに気を付けていてもいつの間にか服にトマトソースが飛んだりしますよね?」

「……トマトソース、か」

「トマトソースねえ」

「ヴィジャヤン大隊長はお召し物が汚れていようと無頓着な御方なのに?」

「少々汚れが付いたくらいではお着替えにならない御方だからこそ、です。 トマトソースはすぐに洗い落とさないと後で洗濯してもきれいになりません。 でもヴィジャヤン大隊長はお召し物の汚れを落とすよりトマト麺を食べ切る事を優先されるでしょう?」

「そう言われてみれば。 ヴィジャヤン大隊長が新兵の頃、服を汚したとかで、当時は従者だったウィルマー執事に文句を言われたと愚痴っていらしたよな?」

「そうそう、また叱られちまったぜ、と零していらした。 また、て事は前に同じ事をやっている」

「ううむ。 デイカー、鋭い。 実に鋭い読みだ」

「今年の最優秀推理賞候補だな」

 当然、記録された。 


 最後のお題はマングノサ軍曹が出したが、皆が皆、不思議に思っていた事だ。 

「乗船するはずだった公爵の豪華客船を民間の漁船に乗り換えた理由は何だと思いますか?」

 全会員が唸った。 

「これはなあ。 推理不能とまでは言わないが」

「元歌が何かを推理するより難しい事は確かだ」

「皇太子殿下の舞踏会で、ヴィジャヤン大隊長が犬の部屋の事でごねたと言う話があったが。 あれと似た類じゃないか?」

「うむ。 それも未だに理由不明だし。 これもおそらく御本人か御家族のどなたかに聞かない限り理由は分からないだろう」

 そこでデイカーが発言した。 桟橋で御出発を見ていた同好会メンバーは何人かいるが、デイカーはその一人だ。

「理由はともかく、ブレベッサ号に乗らなかったのは愛犬が吠えた事が原因ではないかと思います」

「犬? それは吠えた事は吠えたが」

「あの犬が吠える前はヴィジャヤン大隊長はブレベッサ号に乗る気満々のようにお見受け致しました」

「しかし、それだけではなあ。 証拠として今ひとつ弱いと言うか。 百歩譲って犬が吠えたせいだとしても、なぜそれが船に乗らない理由になる? 見ただけでびびる迫力の犬だが、所詮は犬だろう?」

「……それは、験を担いだ、とは考えられないでしょうか?」

「験、ねえ」

「あり得るかも。 ヴィジャヤン大隊長の縁起物好きは有名だし」

「ケルパ神社の狛犬にそっくりと言う所が何とも言えない因縁を感じるよな」

「ひょっとしたらケルパ神社の檀家になったのだってあの犬が縁なんじゃ?」

「その可能性はなきにしもあらず、だな」

「それはともかく、御用船を乗り換える理由としてはちょっと弱いだろう? 縁起を担いだ飼い主が犬の言いなりになるのも程度問題だ。 事前の許可なく御用船を乗り換えたんだぞ。 下手をしたら爵位取り上げとなりかねん」

 疑問は残ったが、犬が原因で船を乗り換えたというデイカーの推理は記録しておく事にした。 

「推理不能に見えても案外あっさり解明するかもしれん。 ヴィジャヤン大隊長がいきなり朝ジョギングを始められたのだって、すぐ後で事情が分かったじゃないか」

「推理は全員外れたがな」

「あんな走り込みを始めたら、普通誰だって次の任務への準備だと思うだろ」

「ヴィジャヤン大隊長が普通じゃない御方だという事を忘れたのが敗因だな」

 九月の例会も和やかな笑いで締めくくられた。



 追記

 次のトマト麺の日、ヴィジャヤン大隊長の服が裏返しであった事が確認され、デイカーは新年会で年間最優秀推理賞を獲得した。


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