祖父似 バーグルンド南軍将軍の話
「将軍。 只今届いた報告によりますと、準大公御一家はブレベッサ号には乗船なさらず、別の船にお乗り換えになって御出発なさったとの事」
その知らせは準大公がブラースタッドを出発してから三日後、私の手元に届いた。 報告するセナセック補佐の顔色が冴えない。
「何だと? ブレベッサ号でないなら一体どの船に乗り換えたと言うのだ?」
「船主はトニ・ドレジェッツ。 平民です。 オドゼル男爵領テステネ村出身。 船名はギラムシオ号となっておりました」
「ギラムシオ号? ふーむ。 準大公に相応しい船名ではあるが。 平民の船なら皇王族乗船用の設えがしてあったはずはない。 ダンホフ公爵家継嗣ともあろう者がサリ様をそのような船にお乗せしたというのか?」
「いえ、この変更をお命じになったのは準大公閣下との事。 ナジューラ・ダンホフ殿ではお止めしかねたのでしょう」
準大公が子供の頃、セナセックは私の護衛として共に船旅に行った事が何度もある。 その時、準大公がどれ程突拍子もない事をやる人であるか骨身に沁みている。 言外にナジューラ・ダンホフへの同情を匂わせていた。
「変更の理由は何だ?」
「……それが、どうも準大公閣下の飼い犬がブレベッサ号には乗りたくなかったようで。 なのにギラムシオ号には嬉々として乗り込んだ、と」
「犬!?」
これにはさすがに言葉を失い、思わず唸った。
「これに関しましてはまだ事実確認が取れておりません」
それは準大公を庇いたいから言った言葉だろう。 ブラースタッドへ派遣した兵からの報告ならその目で見た事のはず。 だからセナセックは諦め顔なのだ。 そんな事を平気でしそうな御方と知っているから。
一体これを何と陛下に奏上したものか。 考えただけで頭が痛くなった。
皇寵があるから多少の事なら陛下も鷹揚に受け止めて下さるだろうが。 陛下であろうと庇える限界というものがある。 準皇王族を平民の船に乗せるなどという暴挙を黙って看過する程、皇王庁は甘くない。 彼らの絶叫が耳元で聞こえたような気がした。
確かに準大公は人気者だ。 宮廷では既に誰もが準大公とお呼びしている。 それだけ見ても分かろうと言うもの。 だがもし事前に船の乗り換えをしてもよいでしょうか、と皇王庁にお伺いを立てていたら許可が下りたはずはない。
しかも乗り換えの理由が飼い犬とは。 前代未聞の椿事。 事が事なだけに、たとえ瑞兆のお父上であろうと許されない不敬、と騒ぎ立てる者がいるはずだ。 それをどう躱すか。 躱しきれるか?
「セナセック。 この際理由はどうでもよい。 平民の船なら大した武装もなかろう。 ブレベッサ号が護衛しているだけでは不十分だ。 最速護衛船五隻を即座に出航させよ」
「しかし準大公閣下がお乗りになったのは中型漁船ですので、最速船では速過ぎて足並みを揃えるのが難しいかと。 小型でしたら何とかなると思いますが」
「漁船? 旅客船ではないのか?」
「船舶登記には漁船となっております。 目撃者の証言もあり、漁船で間違いないかと存じます」
思わず天を仰ぐ。 最早、なぜ漁船、と聞く気にもなれない。
準大公は子供の頃から、どうしてそんな事をしたのか理由の分からない事をよくした。 一緒に居て飽きないと言えば聞こえは良いが。 剛胆で知られる私に冷や汗をかかせたのも一度や二度ではない。
「仕方がない。 最速船は小型二隻、三隻は中速船にしろ」
「ハザハン三号程度の中型でよろしいですか?」
「うむ。 大型では小回りが利かないからな」
「了解」
迷惑は掛けられるのだが、その一方で準大公と一緒にいると不思議に安らいだ。 船乗りなら牙を剥いた海がどれ程情け容赦ないかを知っている。 海と長く付き合えば付き合う程、静かな海に騙される事はない。 出航の度に感じる緊張感に慣れる事はあってもなくなる事はないのだが、そこに準大公がいるというだけで、まるで海と一つになったかの様な奇妙な安心感があった。
妻を亡くして以来、どこにも安らぎを見つけられずにいた私にとって、それは手放し難い居心地の良さだった。 それで準大公が八歳になった時、養子にしたいとサキに申し出た。
バーグルンド侯爵家の爵位と領地は弟か甥に譲るしかないが、私個人が持っている不動産や船がいくつもある。 私の養子として南軍に入れば相当な昇進をさせてやれる見通しもあった。
残念ながら私はサキの妻、シノに嫌われている。 養子の件は彼女に一蹴され、叶わなかった。 私は準大公が子供の頃から弓の名手であった事は知らなかったが、その才能がなくても養子にしたかったから断られたのは残念でならない。
幸い準大公が船の操縦を習いたがり、それを教えてあげると言う名目で毎年夏になると一緒に船旅をした。 勿論船の操縦も教えたが、船旅に連れ出したのは準大公が喜ぶからと言うより、私の任務の助けになるからだ。
彼は雲の動きが正確に読める。 天候の急変がない実家の西や、内陸の北では特に有り難がられる能力でもないからか、周囲の者だけでなく、本人でさえそれがどれだけ得難い能力であるか気付いている様子はなかった。 しかし海に面した南ではこれ程貴重な能力はないと言ってもよい。 そのうえ大変目が良く、海面を見ただけで潮境や潮目が分かる。
準大公は水泳や潜水にも秀でていた。 それで普通の潜水夫では到底届かない所にある物を探す仕事を頼んだりもした。 その時ついでに見つけたポロメロやホザ珠を採ってきては、それらを惜しげもなく民に与えた為、ギラムシオと呼ばれるようになったのだ。
ギラムシオは船員の守り神として崇められている生き神様。 そう呼ばれている人を罰するのは望ましくない。 どんな理由があろうとそんな事をしたら皇王陛下から人心が離れる元となる。 かと言って、サリ様を危険に晒したとなると騒ぎ出すのは皇王庁だけではあるまい。 ヴィジャヤン派閥を少しでも弱体化させておきたい動きもない訳ではないし、皇王族とて一枚岩ではないのだから。
皇王庁対策は追々考えるとして、すぐさま川の要所に設置してある南軍所有の全桟橋に特別警戒警報を発令した。 準大公の乗る漁船が到着し次第、護衛船へとお乗り換え戴くよう手配し、お乗り換えして戴けない場合、充分な数の護衛船が前後左右を守るようにという指令を出しておいた。
だが南軍が所有している桟橋は少数で、それ以外の桟橋が数え切れない程ある。 いつ、どこに到着なさるか、準大公からの連絡がない限り予想する事など不可能だ。
ところがその日の夕方、更に驚くべき情報が届いた。 ブレベッサ号が沈没した、と。
乗るはずだった船が沈没した? 乗り換え後の沈没なのだから乗り換えの言い訳としては使えないが、乗っていなかった事は僥倖と言える。 何はともあれ御一家が無事と聞いて安堵した。 万が一、サリ様に御怪我でもあれば、準大公、ダンホフ公爵家のみの責任問題では収まらなかっただろう。
それにしても沈没とは穏やかではない。 内心舌打ちせずにはいられなかった。 皇王庁は危険を嫌うあまり、皇王族が船にお乗りになる事を承認しない。 先代陛下を始め、代々の陛下が生涯一度も船にお乗りになった事がないのはそれが理由だ。
皇国が最後に海戦したのは私が生まれる前の話だが、数と質のどちらも近隣のどの国より劣ったままにしておくのは望ましくない。 けれど海を見た事もない陛下が海軍増強に御関心が薄いのも無理からぬ事。 それは毎年予算の額に表れる。 予算がないのに造船など出来るはずもない。
御成婚前にサリ様が何度も御乗船なされば当然オスティガード皇王子殿下も御関心を持たれるようになるだろう。 そしてあわよくば海軍増強を、と考えていたのだが。
このような事故があってはサリ様を代替え船にお乗せする事にさえ待ったが掛からないでもない。 もっとも警護兵を派遣しようにも現在川旅の最中でいらっしゃる。 今から陸路へ変更するとなると数日で合流という訳にはいかず、マーシュでの先代陛下のお見送りに間に合わない。 結局そのままになるとは思うが。
いずれにしてもブレベッサ号は進水したばかり。 老朽化による故障が原因での沈没とは考えられない。 人災である事は間違いないが、瑞兆暗殺を企てる者はおるまい。 犯人はサリ様が乗船していない事を知っていた者である可能性が高い。 すると目的はナジューラ・ダンホフの暗殺?
何らかの陰謀が絡んでいる事は間違いないのだから原因が解明されるまで相当揉めるだろう。 皇王族のどなたかが絡んでいるとしたら永遠に解明されない可能性もあるが。
ともかくサリ様が乗っている船に護衛船が一隻も付いていないと言うのは大問題。 至急護衛船を出航させるよう、セナセックに命じた。
「緊急出航命令は最初にお乗り換えの連絡が来た時点で出しており、既に二隻が出航し、三隻目が間もなく出航します。 しかし準大公閣下がお乗りになったのは中型漁船であるという以外、船形、船色、船旗など、詳しい事は何も知られておりません。
ブレベッサ号が付近にいないのでは何十となく運行している中型漁船のどれにお乗りか、見分けがつけ難いという問題がございます。 既に出航した二隻はブレベッサ号を目印にするよう命令されており、準大公の船の側を通り過ぎても気付かない事が予想されます」
私は緊急対策会議を招集し、対応策を協議した。 その最中にブレベッサ号沈没の詳細が届いた。 乗組員全員無事であった事はよかったが、なんと準大公御一家の乗った漁船で救助したと言う。
「セナセック。 そなたは準大公御一家の乗った船は中型漁船だと言わなかったか? ブレベッサ号の乗組員は確か、八十名近くいたはずだろう? 中型漁船にそんな人数を乗せられる訳がない」
「報告に拠りますと、乗組員を漁網で川岸まで引っ張ったとの事です」
「……漁網だと?」
「但し、ナジューラ・ダンホフ殿に関しましては、準大公閣下御自ら泳いでブレベッサ号から救出なさり、川岸まで引っ張って行かれたとの事」
「な、何? 沈没しかかっている船の水流に逆らって?」
嘘だ、と言いたい訳ではない。 あり得ない話ではないのだ。 あの準大公なら。
しかし。 それにしても、しかし。
「信じ難い事ではありますが。 救出されたナジューラ殿の御伝言が北軍に届けられただけでなく、川岸で百人を越える村民が目撃しております。
沈没地点はタオカット子爵領、バヒード村付近。 村長からの急報を受けたタオカット子爵が現場に到着した時には、準大公は既に御出発なさった後との事。 ですが、この偉業に感動されたタオカット子爵は準大公閣下御来村を記念し、毎年秋に水泳大会を開催すると決定なさったのだとか」
オーアバック大隊長が投げやりに呟いた。
「優勝杯はギラムシオ杯と呼んだらいい」
何事にも動じないオーアバックだが、それは何度も準大公と一緒の旅をして鍛えられたおかげとも言える。 南軍では私の次にセナセックとオーアバックの二人が準大公の人柄をよく知っており、準大公が次々と大功を上げる度に喜んでいた。 だがいずれ何かとんでもない事をなさるのは時間の問題、と酒席で零しあってもいた。 これから後の混乱と騒動を予想し、やはりと思わずにはいられない。
それにしてもサリ様がお乗りの船で沈没しかかった船の救助をしたとは。 それに比べたら平民の船に乗せた事など取るに足らない瑣末事。 乗り換えに関しても紛糾すると考えられるが、御用船で救助に至っては目を瞑っていればいつか時間が解決してくれるというような問題ではない。 準大公の大審院審問召喚は免れないだろう。 乗組員全員無事と聞いても全然喜べなかった。
翌日サキがマーシュに到着し、私達は久しぶりに酒を酌み交わした。
「サキ、聞いたか?」
「まあな」
いつも冷静な男だが、愛する妻子に何かがあると瞳に懸念の色が浮かぶ。 ところが今日はどんなに注意深く覗いてもそれが見えない。
「準大公とは言え、審問を無事に躱せる保証などあるまいに」
「そんなもの、最初からあるとは思っていない」
「根回し済みと言う事か?」
サキが眉を上げる。
「何を言う。 根回しをするにはサダ様のやる事を事前に知っていなければ不可能だろうが。 私は親ではあるが、神ではないんだぞ。 漁船に乗り換えて人命救助をするなど、一体誰が予想出来る」
「それはまあ、そうだが」
酒を手にして琥珀色の輝きを見つめ、その輝きを瞳に持っていた男の事を思い出さずにはいられなかった。
私の前にギラムーマと呼ばれた男が死んでから二十年以上経つ。 彼が海賊として南の海で暴れていたのはその更に三十年以上前の話。 私が会ったのは彼が海賊稼業から引退した後だ。 まさかサキの結婚式で会うとは思ってもいなかったが。 その時を含めても話をしたのは数回に過ぎない。 だが一度見たら忘れられない、実に印象的な目をした男だった。
私より余程面白い男で、若い頃には相当な無茶もしたと聞いている。 その中の一つに沈没しかかっている船から船員を救ったという話があった事を思い出した。
サキは知っているのだろうか? 彼の義父が、その昔、ギラムーマと呼ばれる海賊だった事を。
準大公の母方の祖父は世知に長け、目端の利く男だったらしい。 それなら外見も性格も準大公に似た所はひとつもない。 ただ先代ギラムーマは、しょっちゅう予想外の行動や事件を起こして辺りを仰天させていたのだとか。
準大公の突飛としか言いようのない行動が幾つも私の脳裏を過る。
「準大公が誰かに似ていると聞いた事はないが。 祖父似だったのかもしれないな」
私の言葉に、サキが苦笑を浮かべながら頷いた。




