不便 ドレジェッツ船長の話
「けっ、あんなこけおどしがギラムシオ様に相応しいかよ」
超豪華なブレベッサ号を遠目に見て、ヒコが吐き捨てるように言った。
しょうがない奴だ。 まあ、若いからな。 俺だってもうちょっと血の気が多い年だったら、平民の血を搾り尽くした金で今にも沈没しそうな船を建てやがって、と毒づいた事だろう。
ヒコの気持ちはよく分かる。 ちょっとぶつくさ言ったくらいで目くじら立てようとは思わないが、歩き回っている兵士の真剣な顔を見りゃ迂闊な事を言って聞きとがめられたら後がやばい、て感じだ。
「おい、辺りに人目がある事を忘れるなよ。 しょっぴかれたって知らんぞ」
俺が老婆心で言うと、ヒコはむっとして、言われなくたって分かってますよ、と言いたげな顔をする。 ヒコだって馬鹿じゃない。 ブラースタッド桟橋一帯に厳戒態勢が敷かれている事くらい、とっくに気付いているだろう。
昔、俺はブラースタッドに来た事がある。 その時も秋だった。 と言っても小雪がちらついたりして桟橋はがらがら。 歩いている奴もあまりいない。 寂れた寒村という感じだったが。 今日は皇都の新年祭も顔負けの人出だ。
但し、北軍兵士、ダンホフ公爵家私兵、加えてギラムシオ様見たさに集まった貴族の私兵がごやごやいるんで新年のような賑わいや浮ついた雰囲気はない。 張りつめた緊張感が漂っているのは、もうすぐギラムシオ様が到着するからだろう。
結構広い桟橋なのに隙間なんて一つもなく船が繋がれている。 豪華船が繋いである桟橋は遥か彼方だが、俺達のような平民がギラムシオ様の乗る船と同じ桟橋に泊められただけでも運が良かった。 北では何事も呑気だが、南じゃ何かあればすぐに平民の船は締め出される。
ヒコがでかいため息をつく。
「ギラムシオ様は俺達平民の守り神なのによう。 こんな雲の上の御方になっちまって」
「元々伯爵家の御三男なんだ。 はなっから雲の上の御方だろ」
ちょっと肩を竦めて、そう答えたが、内心俺だってがっかりしている。 ギラムシオ様に七年前のお礼を言いたくて遥々ここまで来たのに米粒のようなお姿を拝見しただけで終わりなんだから。 もっともギラムシオ様御本人にお会い出来た事で一生分の幸運を使い果たしたのかもしれんが。
七年前のある日、ギラムシオ様は目立たない小舟で俺の村にふらっと立ち寄った。 一緒にいたのはえらく迫力のある軍人で、お偉いさんだと思うんだが、それにしては護衛らしきお供がたったの二人しかいない。
最初、ギラムシオ様の事はお偉いさんの従者か下男だと思った。 それにしては一番偉そうな軍人が君付けで呼んでいるし、護衛にいたっては「若」と呼んでいる。 全然似てないから親戚のようには見えないが、若様も貴族である事は間違いない。 変と言えば変な四人連れだった。 ま、こっちは平民、あっちは雲の上。 どっちにしたって関わりなんかあるはずないと思っていた。
当時、俺の住む漁村では飢えて死ぬ奴こそいなかったが、税の取り立てが厳しくて青息吐息。 誰の暮らしもかつかつ。 豊漁の時だって明日食う分を取っておくだけで精一杯。 不漁となったら目も当てられない。 子供を売って食いつなぐ、という感じだった。
俺の家は代々船主で他よりはましだったが、それでも親父とお袋は持ち船を売るか売らないか、しょっちゅう迷っていた。 それは十年前、俺の代になってからも変わらなかった。
その四人連れは村で一番大きな俺の家に泊まった。 次の日ものすごい速さで泳ぐギラムシオ様を見た時には度肝を抜かれた。 何しろ俺の船を全速力で走らせたって負けるんじゃないかと思うような速さなんだ。 村一番の泳ぎ手のトサが、やっぱり貴族は食いもんが違うからな、と言ってたが。 負け惜しみって事は自分でも分かっていただろう。 貴族だろうと毎日いいものを食っていようと、あれだけ泳げる人はそういない。
何しに来たんだかよく分からない御一行だったが、とにかく三晩泊まって、出発する日の朝、ギラムシオ様は海に潜ってポロメロを五個獲って来た。 そして泊めてくれてありがとうとおっしゃって、俺と使い走りをしたヒコ、トサ、カオ、キラにも一個づつくれたんだ。
ポロメロは小さいやつでも一個十万ルークの値が付く。 色がきれいで大きなやつとなると二十万以上する事もある。 誰だって欲しい海の宝石だが、少なくとも十メートルは潜らないと見つからない上に、きれいなやつほど深く潜らなきゃ獲れない。 潜るだけなら出来る奴もいるが、岩に貼り付いているポロメロをきれいに剥ぎ取るのは誰にでも出来るって訳じゃないんだ。 せっかく潜っても死んだだけで終わり、て事になったりする。 だから海の底できらきら光っているのが見えたって眺めるだけ。 よっぽど切羽詰まった奴じゃなきゃ獲りに行こうと思わない。
あれ程の泳ぎ手なら、きっと潜るのもうまいだろう。 ポロメロを獲って来たって不思議じゃないが、分からないのは、どうしてそれを俺達にくれたのか、だ。 俺達がもらった大きさのやつは二十メートルは潜らないと獲れない。 売れば二十万の値が付く。
本当にもらってもいいんですか、と念を押している暇さえなかった。 ギラムシオ様はあっけに取られてお礼も言えずにいる俺達に構わず、さっとお帰りになったから。
貴族なら自分の領民でなくたって平民にあれしろこれしろと命令する。 言われた事をしてあげたってお礼を寄越す事なんてない。 やって当たり前、やらなきゃぶん殴るぞ、という態度だ。
その一行は貴族に違いないのに態度が丁寧で、きちんと人に頼むという感じだった。 明らかに目上の人からそんな風に頼まれるのは何となく嬉しくて、頼まれない事でも進んであれこれやってあげたが、金を払ってもらえるとは思っていなかった。 宿泊料や駄賃をくれる貴族がいたとしても一晩百ルークもくれりゃ御の字。 千や、ましてや万をもらったなんて聞いた事もない。 それがたったの三泊で二十万。
とにかくそのポロメロを売ったおかげでヒコの家ではヒコの妹を身売りさせなくて済んだ。 他の奴らにも似た様な事情があったし、俺はあやうくこの船を手放して船主を廃業する所だったのに借金が全部返せた。
その内ヒコが、あれってギラムシオ様だったんじゃないのか、と言い出して。 俺もなんとなく、そうじゃないかって気がした。 そうでもなけりゃ誰が海の宝石をぽんとくれるっていうんだ?
有り難くて、売らずに済んだ船にあの若様のお名前を付けようかと思ったが、名乗って下さらなかったんで本名は分からない。 一緒に泊まった軍人はギラムシオ様の事をサダ君と呼んでいたが。 サダ号じゃ今イチだろ。 それでギラムシオ号にしたんだ。
ギラムシオ様が北軍に入隊した辺りから世間の景気が上向いて、俺達の暮らしはずっと楽になった。 六頭殺しのカレンダーが欲しいと女房に強請られた時、いい年して、と思わんでもなかったが、長年苦労させたし、カレンダーを買うくらいの金はあったから「貴婦人の友」を買ってあげた。 そしたらなんと、一月はギラムシオ様だ。 間違いない。
どこの誰だか分からなかったからお礼が言えないままだったが、分かったならどんなに助かったかお礼を言いに行きたかった。 その時はまだ息子が任せられる年じゃなくて無理だったが、去年辺りから一人前の仕事をするようになった。 俺の親父がまだ元気な今の内だと思い立ち、一年間無給で奉公するつもりで来たんだ。 あの時ポロメロをもらった四人もお礼奉公がしたいと言うんで一緒に連れて来た。 みんな手弁当だ。
とにかく北に着けば後は何とかなるだろうと思って来たんだが、それは甘かった。 無給だろうと何だろうと、ギラムシオ様に雇われたい奴がこんなにいるとは。 お宅の前にあった検問所には奉公希望者の名前を書く帳面が山積みになっていた。 それが一山や二山じゃない。 帳面には特技や取り柄が書いてある。 船付きだろうと何だろうと、コネがある訳でもない俺達が雇われる見込みなんて欠片もない事が分かった。
一応北軍に入隊希望を出したが、年が年だ。 本気で入隊出来ると思っていた訳じゃない。 今行かなきゃいつ行く、て気持ちが抑えられず、後先考えずにやって来た事を後悔したが、深く考えたからっていい手立てが見つかったとは思えない。
お礼奉公どころかお顔さえ見れなかったのは残念だが、諦めて帰る準備をしていると、立派な押し出しの貴族が乗船して来た。
「北方伯家執事ウィルマーである。 この船に北方伯御一家を乗せ、マーシュまで旅をしてもらえないか?」
これには魂消た。 こんな漁船で旅をする? 平民だって旅をするなら旅客船に乗るだろうに。 なんで俺達の船を選んで下さったんだか理由は分からなかったが、まあ、これが縁と言うものなのかもな。
俺達は乗船なさったギラムシオ様に早速あの時のお礼を申し上げた。 ギラムシオ様の方は何も覚えていらっしゃらなかったが。 そしてギラムシオ号の案内をしていたら、北方伯家に奉公する気はないか、と聞かれた。 もう、みんなで飛び上がっちまったぜ。 願ってもないお話で、俺達はすぐさまよろしくお願いしますと返事した。 しかも無給でいいって言ってるのに、ただはだめとかで。 給金をもらえる事になった。
それはまあ、いいんだが。 ギラムシオ様は何て言うか、いろいろ思った以上にぶっとんだ御方だった。 いくら生き神様と言ったって生身の人間だろ。 なのに沈没しかかっている船に泳いで行くだなんて命知らずもいいとこだ。
そもそも大隊長様なら偉いんじゃないのか? 何も自分でやらなくたって部下にやれと言えばいいだろ。 もっともギラムシオ様以外の誰が泳いだって渦にのまれて終わりだったと思うが。
奥様がかわいそうなくらい拳をぎゅっと握りしめていらした。 御家族の皆さんはもちろん、一見平気そうな顔をしていた北の猛虎だって、きつく船縁を掴む手を見ればどんなに心配していたか分かる。
ギラムシオ様が網を掴んだ途端、船にいた皆さんから一斉に大きな安堵のため息が漏れた。 そこで船に上がってくるのかと思ったら、人ひとりを引っ張ったまま川岸に向かってずんずん泳いで行っちまった。 一体何を考えていらっしゃるんだか、さっぱり分からない。
その内、川岸からお囃子とかやり始めたのが聞こえて来た。 こっちはやきもきお帰りを待っているっていうのに。 ようやく帰って来たかと思うと、真っ先におっしゃったのが、お弁当いっぱい詰めてもらっちゃった、なんだ。
猛虎が青筋立てて、ギラムシオ様に拳骨をぐりぐり食らわせていた。 あれは痛いだろう。 ちょっと気の毒な感じがして、止めに入った方がいいのか迷ったんだが、辺りを見回すと、べっつにー、という感じで誰も止めようとしていない。 そこでフロロバとアラウジョが話しているのが聞こえて来た。
「これで懲りるくらいならこっちも苦労しないんだけどね」
「一つ一つは懲りていらっしゃるんだよ。 毎回新しい事をやらかすだけで」
「そう言えば立ちションの時も懲りたとおっしゃっていたよな」
「だからあれ以来立ちションなんて一度もしていないでしょ」
「立ちションはな」
「だから沈没する船に向かって泳いで行くなんて真似は二度となさらないよ、きっと」
「別の何かをやるだけでな」
「そりゃ大隊長だもん」
どうして立ちションに懲りなきゃいけないんだか分からなかったが、要するに似たような無茶をしょっちゅうなさっている、て訳か? それなら少しくらいヤキを入れられたって仕方がないのかもな。
どっちにしたって軍人として鍛えられていらっしゃるんだ。 拳骨で撫でられるくらい、どうって事はないだろう。 生まれも育ちも貴族だって粗末な食べ物をぱくぱく食べるし、不便な船室でも文句なんか言わない。 やばい救助を即断即決したのだって、さすがはギラムシオ様、と感心した。
ただ、どうでもいい事をやたら気にしたりする事もあるんだよな。 シャツの文字とか。 なんでそんなものが気になるのか分からなかったが、軽いだの、誤解されるだの。 散々愚痴っていらした。 それが一日や二日じゃない。 旅の間、ずーーっと、そんな感じなんだ。
妙に空気が読めないって所もあるし。 俺達がどんなに忙しいか見りゃ分かりそうなもんだろ。 いや、見なくたってさ。 乗組員たったの五人でこの船を動かしているんだから。
なのに御自分は退屈だからだろう。 俺達にヒャラ踊りを教えてあげるとおっしゃる。 親切で言ってくれてるってのが分かるだけに断るのは気が引けたが。 最初の日にフロロバから、嫌なら嫌ってちゃんと言った方がいいよ、言われなきゃ気が付かない人だから、と言われていた。 それで俺は断った。 この年になってヒャラ踊りでもないだろ。
そしたら他の連中を掴まえて教えていた。 一番年下のヒコは最後まで断れなかったようで。 マーシュに着く準備をしている時、やれやれ、ようやく着いたぜ、とつぶやいていた。
フロロバに言われた事を教えてやろうかと思ったが、黙っていた。 断れない奴が一人はいないと何かと不便だからな。




