副業
無事、先代陛下のお見送りに間に合うようマーシュに着いた。 ヘルセス公爵家の別邸に宿泊の予定だったからそちらにお邪魔すると、レイ義兄上が既に到着なさっていて俺達一行を出迎えて下さった。 どこか溌剌としている。 お元気そうなのは何より。
師範と三人でお茶を御馳走になっていると、開口一番、レイ義兄上がお訊ねになる。
「聞き及ぶ所によりますと、サダ様は最近、副業を始められたのだとか」
副業? 何、それ。
「えーと、塩の販売の事、ですか?」
「何をおっしゃる。 北方伯家にとって塩の販売は本業と言うべきものではございませんか。 副業の事、私には教えたくないと? 義兄弟の間柄で知らぬ存ぜぬではあまりに他人行儀」
あ、他人行儀! 「水臭い」は他人行儀って言えばナジューラ義兄上に通じたんだ、と今頃気付いた。
まあ、ナジューラ義兄上は見るからにきちんとなさっている御方だから、とっくに他の人から意味を聞いただろうけど。
そんな事を考えて、ちょっとぼーっとしていたら、レイ義兄上がなんとなーーく微笑み、と言えない事もない口元でおっしゃる。
「直裁に申し上げては障りがあるやもしれませぬが。 サダ様はお会いする度にお人が悪くなっていらっしゃるような。 朱に交われば赤くなるとやら。 もしや毎日マッギニスと共にお仕事を励まれるあまり、感化されたのでは?」
「こいつがお仕事に励まれるものか。 レイ、お前の嫌みにも磨きがかかってきたな」
「痛痒を感じない御方には嫌みも楽の音と変わらず」
それを聞いた師範が、くっと笑いをもらした。
な、なんなの? 結局単なる嫌み? そうなの?
「ちょくさい」の意味も聞いておいた方がいいかなと思ったけど、それはまあ、大体何を言っているのか分かる。「つうよう」も通用でない事は確かだが。 レイ義兄上は難しい言葉を沢山使われるから、その度に一々意味を聞いていたら話が先に進まない。 朱に交われば、は最近バートネイア小隊長に直されたばかりなので聞かなくても分かったけど。
因みに、直される前は「酒に交われば赤くなる」だと思っていた。 だって酒を飲んだら顔が赤くなるだろ。 似た様な意味じゃないか。 バートネイア小隊長ったら一見豪快なように見えて意外と細かいんだから。
ともかく、副業がどうとか。 そっちの方は何を言われているのかさっぱり見当が付かなかったが、マッギニス補佐に感化されたという事に関しては自分でも思い当たる節があれこれあっただけに、ぎくっとした。
でもそれより師範の悪態にむっとした。 毎日一生懸命仕事をしている俺に向かって仕事に励んでないって。 それはないだろ。 そんな言われ方したらやる気をなくすじゃないか。 ほんと、身近な人ほど俺に対する過小評価の度合いが激しくなるって感じ。
この際、ちゃんと文句を言っておこうかな? そもそも俺は毎日マッギニス補佐と一緒に仕事をしている訳じゃない。 会議がある日なら別だけど、顔も見ない日の方が多いから感化されている時間なんてないんだ。 レイ義兄上が入隊した時からそうだったからレイ義兄上だってとっくに知っている。 だから仕事に励んでいるというのは嫌みで間違いないが、副業については何の事だか分からない。
聞き返そうとしたら師範がしびれを切らした顔をして言う。
「レイが言ってるのは釣りだ」
「釣り?」
「大漁だったろ。 八十人。 大漁旗を翻しただろうが」
「ああ、なんだ、それ。 レイ義兄上ったら、言い方が回りくどいですよ。 分かりづらいったらありゃしない」
「それは失礼致しました。 漁船を買い求め、船長を雇い、早速人を釣り上げたと聞き及び、さぞかし御自慢なさりたくていらっしゃるのでは、と推察致しておりましたが」
「自慢、て。 そりゃ船長と船員は雇いました。 でも船長が船主だから漁船が付いてきただけで、わざわざ船を買い求めた訳じゃないし。 頑丈に出来ているから結構長もちするとは思うけど。 何の変哲もない中型漁船で自慢するような船じゃないです。 それに人を釣ったんじゃなくて網に掴まった人達を岸まで引っ張ったんです。 俺が引っ張ったのはナジューラ義兄上だけで。 他の人達は船が引っ張ったんだし」
「ほう。 一本釣り故、副業ではないとおっしゃる?」
レイ義兄上が脅しをかける様なド迫力で言った。 椅子に座っているのでなかったら後ずさっていただろう。 ど、どうしたの? 俺、何かまずい事を言った?
珍しく師範が眉を顰め、レイ義兄上に聞いた。
「面倒な事になると思うか?」
「これが余人ならば、なって当然、ならねば驚く所。 サダ様の人徳をもってすれば、ならずに済むとは思うが、転ばぬ先の杖」
「こいつは一回転んだ方が学ぶんじゃないかと思うが」
「膝を擦りむくだけでは済まないと知りつつ看過する訳にも行くまい」
幸い「看過」の意味は知っていたが、それでも何の事だか話が見えなくて、ちんぷんかんぷんな顔をしていると、それが分かったらしく、レイ義兄上がようやく説明してくれた。
「皇王族が乗船なさる事自体、大変珍しいのですが、過去に例がない訳ではございません。 但し、その際乗る船にはお食事、部屋数、設え、船旗、乗組員とその出自、乗船の季節、停泊場所等、枚挙に暇がない程の決まり事がございます。
ブレベッサ号はそれら全てを満たしていた訳ですが、サダ様がお乗りになった船は平民所有の漁船。 ですので乗船の季節以外、どの要件も満たしていなかったと推察致します。 多くは瑣末にて、興が乗った故の御乗船、で済まされるやもしれませぬ。 さりながらサリ様が御乗船なさっていらしたにも拘らず、生業を営まれた事に関しては申し開きをせねばならぬかと存じます」
「なりわい? なりわいって何?」
俺がそう質問したら師範が呆れた顔をした。
「お前、役付になって四年も経つっていうのに生業を知らんのか? 暮らしを立てるためにする仕事や職業の事だ。 書類を読んでいればそっちこっちに出て来るだろ」
師範にそう言われても分からなかったので、どう書くのかを聞いた。
「なんだ、それか」
「何て読んでいたんだ」
「なまわざ」
言った途端、言うんじゃなかったと後悔した。
そりゃ「なまわざ」なんて言葉を聞いた事はない。 変だとは思ったさ。 でもそれを言ったら「なりわい」だって普段使う言葉じゃないだろ。 誰かが言ってるのを聞いた事なんてないし。 何もそんなに呆れた顔をしなくたっていいじゃないか。 傷ついちゃう。
大体、最初から仕事って言えば分かったのに。 レイ義兄上こそ会う度にお人が悪くなってる感じ。 とは思ってもそんな事、口に出したりしないけどさ。 余計な事を言ったらどんなしっぺ返しを食うか分かったもんじゃない。 それはマッギニス補佐とトビから、しーーっかり学ばせて戴きました。
「ともかく、仕事をしたからって、それのどこが問題なんですか?」
「一度皇王族がお乗りになった船は御用船と呼ばれ、皇王族がお乗りなる、または皇王族の御用達をする以外の目的に使われる事はございません。 皇王族より、釣りをしてみたい、との仰せがあったという事でしたら釣りをなさる事もございましょう。 とは申せ、サリ様のお年ではそれは到底あり得ぬ事」
「でも俺は溺れかかっている人を助けただけで。 釣りをした訳じゃないです」
「人を救助したと報告しては生業をしたと報告するより更に深刻な問題となる事が予想されます」
「え?」
「皇王族が滅多に乗船なさらないのは危険だからというのが主な理由です。 又、皇王族を警護する者は自分の警護する御方の安全のみを考慮する決まり。 たとえ他の皇王族を救助する為であろうと警護している御方を危険に晒す事は許されません。
沈没しかかっている船に近づくなど危険である事は私が申すまでもなき事。 サリ様にとって義伯父にあたる御方の救助が目的であっても、必ずや大審院における審問となるでありましょう。 その場合、証人ではなく被告としての召喚である事に御留意下さい。 ですから随行人は認められません。 サダ様お一人で申し開きする事となります。
審問官にとって皇王族の安全こそ第一。 今回の状況をありのままに報告なされば、御尊父のなさった事であっても許し難しとなり、サダ様にサリ様をお守りする資格はない、と養育権の剥奪となる事が予想されます」
レイ義兄上の真剣な顔を見れば脅しでも何でもない事は明らかだ。
「で、でもお。 近づいたのは俺だけで。 ギラムシオ号は水流に巻き込まれないように離れていたし」
「サダ様は只今、ナジューラ殿以外は船が引っ張った、とおっしゃいませんでしたか?」
「そ、それは言ったけど」
「ならばギラムシオ号が救助した事になるのでは?」
俺はがっくり肩を落とした。 褒められたくてやった事じゃないけど、少なくともいい事をしたと思っていたのに。 拳骨ぐりぐりを食らっただけじゃない。 もーーーっと困った事になろうとしている。
俺が途方に暮れた顔をした事が分かったんだろう。 助け舟を出すかのようにレイ義兄上がおっしゃった。
「そこで、副業」
「はい?」
「北方伯家の副業は漁業である、とする訳です。 御生家の副業ならお嬢様がその生業をする船にお乗りになったとしても責められるべき事ではなく、偶さかの釣りは旅情を深めるもの」
と言う訳で、俺の家は漁業を副業とする事になった。 まあ、船が手に入った事だし、船員には給金を払うんだ。 遊ばせておくのはもったいないから本気で漁業を始めたっていいんだけどさ。
「じゃ、誰かに聞かれたら網で人を釣ったと言えばいいんですか?」
「人を釣ったのではなく、魚を獲る為網を放った所、それに縋った人がいたと報告する訳です。 そして必ず、サダ様がその網を川岸まで引っ張った、とおっしゃる事をお忘れなく。 それがなくては後々困難な事態となりましょう」
レイ義兄上が公爵家継嗣オーラ全開でおっしゃった。 その時、ごおおおっという効果音がどこからか聞こえたような。 びびるかもっ。
「だ、だけどー。 八十人も俺一人で引っ張れる訳ないし。 そんなあり得ない事を言ったらすぐに嘘だって気付かれるんじゃ?」
「何をおっしゃる。 オークを射殺し、ロックと飛来し、ギラムシオと崇められる御方にとって八十人を引っ張るなど造作もない事。 朝駆けの駄賃と申せましょう。 そのような瑣末を気にする者はおりません。 いたとしても御謙遜なさっている場合ではないと愚考する次第」
謙遜なんかじゃありませんと言ったって無駄という事くらい、いくら察しの悪い俺にだって分かった。 しらっとした顔で師範が言う。
「それに実際お前は漁網を引っ張っていたじゃないか」
「そんな。 船を川岸ぴったりに付けられなかったから漁網の先端を川岸まで持って行った、てだけじゃないですか。 俺が漁網を引っ張りました、と言ったらまるで最初から最後まで俺一人で乗組員八十人を引っ張ったみたいでしょ」
「相手がどう思うかまでお前が気にする必要はない」
師範のその一言で終わりになった。
やれやれ。 俺もとうとう人外の仲間入りかよ。 マッギニス補佐と同類になっちゃうだろ。 何となーく嫌な感じ。 いくらそう言わなきゃいけない事情があると言ってもさ。 そのうえ自分がやった訳でもない人助けをした事になっちゃっているし。 これじゃ世間の誤解も深まるはずだぜ。




