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弓と剣  作者: 淳A
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警告  マッギニスの話

 フロロバが持って来たズボンを手にして、これはケルパが私に送った警告であるという確信を持った。

 ズボンは前半分がほとんど食い破られ、後ろしか残っていなかった。 ケルパは人嫌いだが、用もないのに好奇心や憧れで近寄る者達を追い払う為、威嚇しているに過ぎない。 だが一旦相手に悪意や害意があると察知した場合、相手が最も嫌がるであろう報復をする。


 過去にケルパが噛み付いた者達を詳しく調べてみれば、いずれも誘拐や諜報の使命を帯びて入隊した者ばかりだった。 狙いはサリ様とは限らない。 ヴィジャヤン大隊長であった事もある。 いくら部下が少数とは言え、仮にも北軍大隊長である御方を誘拐するなど簡単に出来るはずはないのだが。 アラウジョが配属されるまで決まった従者も側付きの警護もいなかったから手薄と勘違いする者は未だに多い。

 そしてサリ様の異父弟妹欲しさに奥様を狙う者は大隊長を狙う者よりもいる。 幸いサリ様のお散歩以外で奥様が外出なさる事は滅多にないし、お散歩には常にケルパが同行しているから今のところ何の問題も起こらずに済んでいるが。


 又、北方伯家の内情を知りたくて家人を狙う者もいる。 邸周辺には必ず二十人を越える兵が警護しているし、その他の要所に兵士百人が配置され、誰が外出する時にも護衛が最低一名付いているが、そのような警備の詳細は部外者には知られていない。 そもそも数が少ないだけに北方伯家奉公人の顔は警備兵によく知られている。 奉公人の振りをして敷地に入り込むなど出来ないし、警備兵として採用されるにはケルパとの面接に合格せねばならない。 にも拘らず、自分ならうまくやれると考える者が後を絶たない。

 ある意味ではケルパの攻撃が週に一度程度で済んでいる事に驚くべきなのだが。 それは誰彼構わず攻撃している訳ではないからだろう。

 例えば大隊長やリネ様宛に恋文を手渡すため、わざわざ子飼いの兵士を入隊させ、機会を窺わせている貴族が相当数いる。 総数など数える気にもなれない。 手紙は郵送出来るが返事が来ないので、本人に直接手渡せば読んでもらえるのではないかと思うらしい。 そのような恋文を手渡すのが目的の者達をケルパが攻撃した事はない。 数が多いから無視しているのではないと思う。 これは単なる憶測に過ぎないが、ケルパは大隊長宛の恋文は大隊長が開封する訳ではなく、タマラの元へ行き、差出人名が記録された後は焼却処分になっている事を知っているのではないか。

 因みに奥様宛はカナが処分している。


 奉公人や部下を買収しようとする者も後を絶たないが、彼らもケルパから無視されている。 以前アタマークがアイデリエデンから袖の下を受け取った事があり、その金を使って奉公人慰労会を開き、残りをオークの形をした貯金箱に入れた。 それ以来、奉公人が袖の下を受け取ると、この貯金箱に入金している。

 ケルパが御褒美を貰いたい時、この貯金箱が置いてある棚の前に行ってひよひよと催促するのだとか。 ケルパは好物の牛の骨を買う金がこの貯金箱から出ている事を知っているらしい。 大隊長は御存知ないが。

 尚、この貯金は慰労会だけでなく、生活に便利な物を購入するのにも利用されている。 先月はそれで洗濯機を買ったとカナが言っていた。

 慰労会費だろうと洗濯機だろうと大隊長が出し惜しみするとは思えないが、そうと知っていても、いや知っているからこそと言うべきか。 奉公人の誰も金を出してくれと大隊長に言わない。 大隊長が私財を傾けて大峡谷を開発なさろうとしていると知った後では尚更だろう。


 ともかく今回のケルパの攻撃はこれまでのものと比べ少々趣が違う。 大恥をかかせる攻撃は非常に珍しい。 しかもその者を家に入れ、少しも怪我をさせていない。 おそらくペトリーエの目的が誘拐は誘拐でも普通の誘拐ではなかったからだろう。 だがそれが何であれ、悪意があると察知したからこそ攻撃したはずで、噛み付くくらいはしてもおかしくはない。 このような手加減はケルパらしくないのだ。


 ケルパは人間の習慣や法律さえ理解している様子。 貴族の家で白昼、夫人がいる前でズボンを下ろすなど言語道断の猥褻罪で、当主は理由の如何に拘らず、その罪を犯した者を死罪とする事が出来る。 それを知っていた故、噛み付かなくともペトリーエの命は風前の灯と判断した可能性もあるが。

 北方伯家は普通の貴族とは違う。 大隊長はそのような貴族の習慣に詳しくない。 仮にペトリーエを死罪にする権利があると教えてあげても、ケルパのせいでこんな事になったのに、死罪だなんてとんでもない、とおっしゃって終わりとなる事が予想される。

 死刑とまではいかなくとも相手は子爵家庶子に過ぎない平の兵士。 他部隊所属の兵であろうと大隊長が不名誉除隊処分にする事など容易い。

 ところが大隊長は処罰どころかケルパの無礼を謝ろうとなさった。 誘拐犯の目的を読み取る程賢いケルパの事。 おそらく大隊長の性格も承知している。 つまりこうなると予想していたのだ。 するとペトリーエに傷を負わせなかったのは無傷で泳がせた方がいいと判断した事になる。


 ペトリーエの身上書を見る限り変わった記載事項はない。 ペトリーエ子爵の庶子、二十歳。

 ペトリーエ子爵領は東にあるが、今では北軍には皇国中から貴族の子弟が入隊している。 東出身であるのは特筆すべき事項ではない。 生まれも育ちもアイデリエデンなのが目を引くくらいだ。

 但し、この男がアイデリエデン出身のはずはない。 フロロバの報告によると、バリアンは好きかとペトリーエに聞いたら、それは何だ、と聞き返したとある。

 バリアンは辛みのあるスパイスで、アイデリエデンの家庭ではどのテーブルにも置いてあるが、皇国には自生しない植物だ。 輸入食品だから高額で、皇都にあるアイデリエデン街に行けば購入出来るが、貴族でもアイデリエデンに親戚か友人がいるとか、以前暮らしたなどの事情があるのでもない限り買う人はいない。

 だが大隊長は子供の頃からバリアンに親しまれており、麺類、特にスープ麺を召し上がる時には必ず一振りなさる。 その為北方伯家の調理場には欠かせない調味料だ。 アイデリエデンに住んだ事や御旅行なさった事はないとおっしゃっていたが。 何でもサハラン前近衛将軍がアイデリエデン王女と結婚して以来、ヴィジャヤン伯爵家にはよくアイデリエデンの産物が贈り届けられたのだとか。


 一見無害に見えるペトリーエだが出自を偽っている以上、何かある。 周辺及び背後関係を調査させた報告によると、奴には従者が一人いるだけだ。 上官や同じ隊の兵士は一様に、愛想が悪い訳ではないが親しい訳でもないので人柄は詳しく知らないと言っている。 貴族には珍しくどこの派閥にも会にも入っていない。

 私はペトリーエ子爵に直接会った事はないが、これと言った特徴も問題もない、普通の貴族としか言いようがない男と聞いている。 派閥としてはパーガル侯爵に属しているが、政治的野心がある様子もなく、過去に目立った動きはなかった。

 ペトリーエ子爵の与り知らぬ所で息子の名前を詐称しているのか? 或いはペトリーエ子爵は世間を騙しおおせる程の古狸?

 誰が陰で操っているにせよ、ペトリーエと名乗る男は入隊して半年経つのに除隊する様子を見せない。 すると長期戦覚悟と見てよい。


 もしや大隊長夫人を口説き落とすつもりだった? それなら何人も仲間がいる必要はない。 本当の出自は貴族でないのなら下手に貴族と付き合って世間話の端々からばれる事を恐れるだろう。 貴族の派閥や会に属さないのも頷ける。 平民の友人など何人いた所で何の役にも立たない。

 合意の上での駆け落ち狙いだとすると、駆け落ちした後でどこに行くつもりだったかを吐かせれば奴の背後にいるのは誰か分かる。 だがそれをする前に裏付けとなる情報が欲しい。


 この件に関し、父上に情報の提供を依頼すべきか? 今では全面的な支援を約束されているし、他にもヘルセス公爵家を始めとする上級貴族の協力に加え、大隊長のお父上の情報網もある。

 とは言え、場所がアイデリエデン。 国内のどこに頼んでもある程度の時間がかかるだろう。 長々待ってはいられない。 やむを得ず、私は事情を説明した手紙をしたため、従者のヘイゲルに託した。

「アイデリエデンにお住いのレカ・ヴィジャヤン殿にこれを渡し、返事を貰って来るように」

 私の命を受けて「影」が音も無く去った。


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