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弓と剣  作者: 淳A
領主
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263/490

呑気

 人手不足だ。 それは確かだけど、じゃあそれを解消するにはどうしたらいい?

 これについてトビといつも話している。 でもこれという決定的な解決策はまだ見つかっていない。 奉公人を雇う気ならあるが、ケルパという壁が立ちはだかり、採用出来ないでいるのだ。 あれこれ試してはいるんだけどさ。 


 例えば俺の従者をすぐにでも雇いたい。 大した事をやっている訳じゃないし、自分の事くらい自分で出来る。 とは言っても俺だって一応大隊長。 毎日予定がびっしり詰まっている。 変更があればそれをそちこち伝えなきゃいけない。 その人や場所だって一つや二つじゃないから従者がいないと困るのだ。 さもないと自分で走り回らなきゃいけない。 別に自分でやったっていいんだが、そんな事をしようものなら、なぜ従者にやらせない、とお叱りが来るんだ。 上官だけじゃなく、そちこちから。


 執事として猛烈に忙しくなったトビに俺の従者までしている時間はない。 有能な部下に囲まれているとは言っても全員夫々の任務があるし、俺の私用にまで使ったら、任務をやっている時間がなくなるだろ。

 それに北方伯家として雇いたい奉公人は俺の従者だけじゃない。 大峡谷の配管工事がもうすぐ始まる。 塩事業を始めるのはまだ先だけど、その準備をしなきゃ。 それにイーガン駐屯地は今では我が家の物だから、そこを管理する人も要る。 修理とか、ちゃんとしておかないと住めなくなるし。 大工や道路仕事に携わる人全員が北方伯家の奉公人である必要はなくても、進み具合を報告する人くらいは北方伯家の奉公人でないとまずい。

 しかしその奉公人の上司であるトビが住んでいる所にはケルパがいる。 別に一緒に住まなくてもいいけど、ケルパに好かれなかったらトビに報告しようにも家に入れてもらえない。


 求人なんてやったって無駄。 数えきれない程応募が来て絞り込むのに苦労するだけ。 苦労の末に雇った所でケルパに好かれる保証はない。 未だに北方伯家の奉公人が四人というあり得ない少人数なのだって言いたくはないがケルパの人嫌いのせいなんだ。

 ケルパが現れたばかりの頃は聞き分けも愛想もよくてさ。 どんなに気難しい犬か誰も気が付かなかった。 今だって俺以外の家族には中々愛想のいい犬なんだ。 家族以外の人に対する警戒心が半端じゃないだけで。

 サリがお散歩する時だって誰とすれちがおうとケルパが愛想を振りまいた事はない。 ひよひよ挨拶なんて一度もした事はなく、自分から誰かに近寄って行った事もないんだ。 それどころか誰かが近寄ろうとすると威嚇して追い払う。


 注意して見ると、吠えると言っても人によって違いがある。

 敷地内に入ろうとしただけで吠えられた。 敷地内には入れてもらえるが、家に入ろうとしたら吠えられた。 どこであろうと家人に近づこうとしただけで吠えられた。 吠えられただけでなく噛み付かれた。


 誰かに噛み付いたとなると事件で、その処理に追われる事になる。 ただでさえ忙しいのに。 それで自宅周辺の警備をする兵士は全員面接って言うか、ケルパに事前に会わせてどんな反応をするか確認しておく事になった。 万が一緊急事態が起こって家人が呼んでもケルパに家に入れてもらえないと困るから。 それで家に入れたり家人に近づいたりしても吠えなかった兵士だけを警備に付けてもらっている。 その場合でも吠えないだけで懐いた様子を見せた事はない。 ましてやひよひよ挨拶なんて。

 だからケルパがアラウジョに例のひよひよ挨拶をしたと聞いた時、俺はすぐさまアラウジョの転属許可を将軍に願い出た。 横紙破りするのは気が引けたけど、あれこれ迷っている場合じゃない。


 アラウジョは俺にとって初めての年下の部下であるだけでなく、ラハティネン剣道道場に通っていた頃からの知り合いだ。 気心も知れている。 ケルパよ、お前には中々人を見る目がある、と密かに褒めた。

 但し、この転属は本人にとって喜べる話じゃない。 新人戦にこそ惜しくも選ばれなかったが、アラウジョは若手剣士として非常に有望視されている。 師範がアラウジョを見て、筋がいい、あいつは伸びる、と褒めたんだ。 強い若手剣士なら他にもいるが、そんな風に師範に褒められた奴はまだ一人もいない。 それから見てもいかにアラウジョが有望か分かるだろ。

 有望な若手剣士は予備隊と呼ばれる所で集中して鍛えられる。 百剣への近道である予備隊から単なる歩兵部隊である俺の部隊へ引き抜かれるのはアラウジョにとっていい話とは言えない。 だって俺の部隊に来てやらされるのは早い話が雑用。 俺の使い走りだ。 稽古だって充分にする時間がないから百剣入りも遅れるだろう。


 それで恐る恐るアラウジョに転属を打診したんだけど、有り難い事にアラウジョはやる気満々で。 こっちは本人が嫌がったとしても俺の隊に来てもらうしかない程せっぱつまっていたから、ほっとした。

 アラウジョは昔っからそんな風に俺をさりげなく助けてくれた。 道場でも下手くそな俺の稽古相手を最後まで辛抱強くやってくれたし。 アラウジョが十五になり、本格的に稽古しなくちゃいけない年になっているのに。

 きっと俺が領主の息子だから断りづらいんだろうと思って、もうやらなくていいよ、て言ったんだけど。 アラウジョは、どうかこのまま続けさせて下さい、自分の励みになっているのです、て言うんだ。

 いつまで経っても上達しない俺がなんで励みになるのかは分からなかったけど。 嫌々やっているようには見えなかったから、その言葉に甘え、俺は入隊するまでずっとアラウジョに相手をしてもらった。


 ともかく、これで自宅へ連絡したい時に近くにいた奴に頼まずに済む。 一昨日の奴なんてケルパにズボンを食い破られ、大事な物をぽろっと零したって言うんだぜ。

 ほんとに、もう、ケルパのやつ。 理由は分からないが、絶対わざとやったに決まっている。

 だって普段なら気に食わない奴が来ると、そいつが家に入る前に吠えるんだ。 それを合図に家にいた誰かが外に出て伝言を受け取る事になっている。 なのにしらっとした顔をして(とはフロロバの言葉だが)、ケルパはそいつを家に入れた。 そしてリネとエナが一階に降りて来た途端、べりっとやったんだ。


 被害にあったペトリーエは大柄で、家にあったズボンはどれも合わず、仕方なくフロロバが駐屯地までひとっぱしりして衣料倉庫から一本くすねて来た。 申し訳なくて俺がその制服代を払うと言ったんだが、それはマッギニス補佐から待ったをかけられた。

「そんな事をすれば大隊長が個人的にペトリーエに制服を買って贈った形になり、必ず噂になります。

 御自宅で何かあれば皇王庁への報告義務がある事をお忘れですか。 その場にサリ様がいなかったとしても必ず審議され、食い破られたズボンを提出しろと言われる事は間違いありません。

 どれだけ大きく破られているかが分かれば、ケルパをお傍に置く事を危険視する者、警備の者は何をしていたと言い出す者が現れないとも限りません。 だからと言って証拠の改竄をしたりしては口止めやら諸般の根回しが必要となります」


 はあーっとでかいため息を零しちゃった。 仕方がないから俺個人で払う事は諦めた。 でも服なら在庫を数えている人がいるだろう? 足りない事が分かって罪もない誰かが責められたらどうするの?

 気の小さい俺がそんな事をぐちぐち言ったら、タマラ中隊長補佐が俺の小隊の予算で制服を買う事にしてくれた。

 それでも被害がズボンだけで怪我とかなかったのは不幸中の幸いと言える。 だけどケルパの人嫌いにはほとほと困り果てた。 たかが伝言一つを頼むにしてもケルパに信頼されていると分かっている人でなければ頼めないんだから。 こんな風に些細な事で振り回されていたんじゃ何人雇ったって人手が足りる訳がない。

 かと言ってケルパをきつく叱るのも難しい。 過去にケルパが噛みついた奴を詳しく調べると、必ず何か後ろ暗い所があったりして。 家族がそれを知っているものだから、一丸となって、きっと何か理由があったのです、と庇うし。 俺が叱ったって屁でもない犬だ。 また同じ事をやらないとは限らない。 アラウジョが来てくれて一息つけたが、依然として人手不足は深刻なまま。


 俺がこんなに困っているのに、リネってば気を失ったエナを受け止めて二階に運んだフロロバにえらく感心していた。

「フロロバさんって結構腕力があったんですねえ」

 全く、何を考えているんだか。 感心してる場合じゃないっての。 呑気にも程があるだろ。 呑気ののんちゃんって呼んじゃうよっ。(怒)


 なーんてな。 言う訳ないだろ。 実は内心、呑気な妻でよかったと安心している。 だって、ほら、リネだって、その、見たんだよな?

 何って。 言わなくてもわかるだろ。 別に、比べるとか比べないとかじゃなくてさ。 あいつのはすごいとか、そんな噂を聞いた事があるもんだから。 そんな事を聞けば誰だって、ちょーーっとは気になるもんだろ。 ほんとの所はどうなのかなあ、とかさ。

 で、つい、お前も見たんだろ、てフロロバに聞いちゃった。

 いつもの軽いノリで、見ましたよー、と言うかと思ったら、返されたのは冷たい一言。

「大隊長って呑気でいいですね」

 ちぇっ。


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