色紙 ある犬ぞり部隊隊員の話
犬ぞり試験の試験官は犬ぞり部隊の誰かがやるきまりだが、試験官なんてほんとは誰がやったっていいんだ。 犬ぞり部隊である必要なんかない。 北出身なら犬ぞりぐらい子供の頃から乗り回している。 貴族の子弟だって荷物運びする事こそないが、犬ぞり競走があるから乗れない奴なんていない。
そもそも難しい試験じゃないんだ。 駐屯地の周りを犬ぞりで一時間以内に回れば「可」が貰える。 貰えないほうがおかしい。 普通に回って三十分の距離なんだから。
試験官のやる事と言えば、ちんたら走る犬ぞりに一時間一緒に乗るだけ。 確かに一時間以内だったら見極めに署名して終わり。
俺達の部隊の役目は荷物の運搬だ。 冬は犬ぞりを使うが夏には馬を使って運搬しているが、なぜか年中犬ぞり部隊と呼ばれている。 北軍での地位は底辺と言っていい。 文盲で武芸を始め他に何の取り柄もない奴が所属する部隊と思われている。 まあ、実際そんな奴ばかりでもあるんだが。 それで自分がやりたくない事は犬ぞり部隊にやらせとけ、となる訳だ。
馬鹿にされているとは言っても中にはソーアのように常に犬ぞり競走でぶっちぎりの一位を勝ち取って有名な奴もいる。 あいつが十年前に打ち立てた駐屯地周辺十二分三十五秒という記録は未だに誰にも破られていない。 その全く同じコースを一時間ギリギリで一周する他所から来た奴らにとって、駐屯地を突っ切ったんじゃないんですか、と言いたくなる大記録だ。
ふん、疑うならソーアの走りを一回見ればいい。 そんな疑い、あっと言う間に吹っ飛ぶ。
競走する時はマッシャーだけで荷物はない。 ソーアの橇は場所によって空を飛ぶ。 普通はそんなに速度を出したら着地の時振り落とされるんだが、奴が橇から振り落とされた事なんて一度もない。
まあ、ハエが止まっているような速度で走るなら難しい事なんて何もありゃしない。 二、三回冬を過ごせば誰だってちゃんと乗れるようになる。 だから試験が必須になったのは最近だ。 北出身でない兵士は昔からいたが、数が少ないだけにそれが問題になる事はなかった。 しかし北の猛虎人気で他所者の数が年々増えていった。 そこに六頭殺しの若人気だ。
犬ぞりを使った物資の運搬は新兵のする仕事なんだが、そこで犬ぞりに乗れない新兵が多過ぎるという事が問題になった。 練習すれば早く乗れるようになるが、荷物運びをする為に一生懸命練習する奴なんている訳がない。 新兵の真剣度を高める為、犬ぞり試験に合格しない限り永遠に初年兵扱いという規則が出来たんだ。
試験が必要だって事は俺も認めているさ。 だがそれと試験官をやらされる事は別だ。 俺だけでなく、誰もやりたがらない。 そりゃそうだろ。 自分で歩いた方がましって早さの犬ぞりに乗って一時間も寒い空気に晒されるんだぜ。 北出身の兵士は試験免除になっているが、それでも百人以上受ける奴がいるんだから。 まあ、試験官も十人ぐらいで分担しているけどな。
だがその冬、若が犬ぞりに乗って状況が一変した。 笑っちゃ悪いとは思ったが、あれほど犬に舐められている奴というのも珍しい。
犬ぞり用の犬は愛嬌が売りじゃない。 かわいがるなとは言わないが、愛玩用の犬みたいによしよしとかわいがる一方じゃだめなんだ。 犬だってかわいがってくれとすりよって来たりしないのを見れば分かるだろ。
犬ぞり用の犬に限らず、犬ってのは一旦手綱を握れば握った奴の言う事を聞く。 誰がマッシャーであるかを分からせ、びしばし気合を入れて命令すりゃ素直に走るはずなんだ。
若の初乗りは一周するのに三時間かかったそうだ。 それってたぶん北軍の歴史をどれだけ遡っても一位を獲得する遅さなんじゃないか。
それはあっと言う間に隊員全員に知れ渡り、試験官の座を巡ってあわや血を見る騒ぎになった。 あれほど下手なんだ。 ちょっとやそっと頑張ったからって試験に通るはずはない。 つまり可を貰うためには試験官にお縋りするしかない。
六頭殺しの若に縋られる。 それを考えただけで、みんなの眼がぎらついた。
とは言っても軍曹や上級兵がいる。 俺みたいな平の兵士に試験官が回ってくるはずはない。 それは最初から承知していたが、言うだけ言ってみるかと、くじ引きにする案を出した。 既に試験官に決まっている奴を優先するべき、と言う奴もいた。 少数派だが正論だろう。
そこに何をきれいごと言ってやがる、という罵声が飛んだ。 きれい事で悪かったな、貴様の汚い顔よりましだろ、という売り言葉に買い言葉。 流血の惨事まで後一歩、という所で鶴の一声。 エンドリーズ小隊長がおっしゃった。
「若の試験官は私がやる」
最初からなれる可能性の全くない平の兵士に不満はなかったが、なれる可能性の高かった五人の軍曹からかなりの不評を買った。 小隊長が試験官をやった事なんて今まで一度もないだろ、とぶつくさ言っていたが、それを言うなら軍曹だって試験官をやった事なんてない。 軍曹どころか上級兵だってやった事なんてなかった。 試験官というのはいつも二年兵か三年兵がやらされていたんだ。 大きな声では言えないが、小隊長も所詮は人の子か、という陰口がそちこちで囁かれ、エンドリーズ小隊長の人気は大分下がった。
無事、と言っていいのかどうか分からないが、しばらくして若が試験に可を貰ったという噂を聞いた。 これで若と知り合う機会はもう一生来ないな、とみんなが諦めのこもった日常に戻って間もなく。 犬ぞり部隊五十名全員に若からの色紙が届いた。
「犬ぞり部隊ってすごい!
サダ・ヴィジャヤン」
その色紙の効果こそ、すごかった。 若から色紙を貰った事は犬ぞり部隊の連中が自慢したので、あっと言う間に駐屯地中に広まった。 まず他の部隊の連中が羨ましがって見に来る。 試験官をやった小隊長だけが貰ったのなら分かるが、何しろ五十枚だ。 小隊長の一枚だけでも羨ましいが、部隊全員が貰っただなんて犬ぞり部隊以外にない。
加えて、一人に二個ずつ配られた若饅頭。 もちもちした舌触りで中々うまかった。 俺に配られたのはごまと白餡だったから今度自分で一箱買って残りの味も試すつもりだ。
若の犬ぞり試験に関しては箝口令が敷かれた訳じゃない。 だがどうして色紙を貰う事になったのか、聞かれても誰もしゃべらなかった。 それで謎が謎を呼び、何があったのか知らないが、あの若がすごいと言っているなら犬ぞり部隊ってすごいんだろう、となったようだ。
程なくして犬ぞり部隊の地位が向上した事を肌で感じるようになった。 今までかつて経験したことのない尊敬の眼差しが向けられる。 投げるように手渡されていた荷物が、御苦労様、お疲れ、ありがとうの一言と共に丁寧に受け渡されるようになり、最早北軍の底辺ではない、と毎日の仕事を通じて実感するようになったんだ。
エンドリーズ小隊長の株が急上昇したのは言うまでもない。
因みに、小隊長の部屋に飾ってある色紙は俺達がもらった色紙とは違う。
「エンドリーズ小隊長へ
大変お世話になりました。
サダ・ヴィジャヤン」
なんと宛名入り!
みんな羨ましがったが、文句を言う奴はいなかった。




