2. 宝石の次は、おいくら
「お嬢様、今日は何枚で?」
朝日が差す戸口で、ガスパールが宝石箱と譲り状を並べる。わたしは、光る石より先に原本を指した。
「一枚ですわ。ノエラ、昨日お話しした慈善の会の務めも、こちらで確かめてください」
「わたしが着けて出るのは分かっているわ――寄付に使える金も、この袋に入っているのね?」
妹は印のある原本を受け取り、箱と紙を腕に抱える。鏡の中で、目元がふわりとほどけた。
「見て、お姉さま! 首を動かしただけで光るの!」
「ええ、下を向いても留め金は外れませんか?」
「大丈夫、ご挨拶をしても、ちゃんとここにあるわ!」
妹は鏡へ礼をして、すぐにまた覗き込む。ガスパールが紙を指しても、視線は首元に貼りついたままだ。
「ノエラ様、ご自身のお名前も、こちらにありますとも」
「それも見るわ、名前のところは宝石で隠さないから」
石は朝日を受け、首元で小さく光を揺らす。肌にひやりとするのは最初だけだ。着けているうちに、宝石も体の熱を借りて温まる。それを教えるのは、妹が自分の指で気づいてからでいい。
書斎で使い道の紙を広げた途端、妹が鏡を置く。こつん、と硬い音が部屋に響いた。
「宝石を褒めてもらって、頷いていれば済むんじゃないの?」
「会の方はあなたのお答えを待ちますから、お金の使い道もお決めください」
「ずるい……でも、これは要らない」
押し戻されてきたのは、務めの書かれた原本だ。宝石の方は、妹の指がしっかり押さえている。
「お返しはできません。譲り状ですから」
ガスパールは押された分だけ紙を妹の手元へ戻し、筆を伏せる。
「元の持ち主へ戻す文は、書けないのですとも」
「……じゃあ、決め方を教えて。使っていい分まで、間違えたくないの」
紙を押していた指が、縁に引っかかったまま止まる。わたしは金袋を開け、予算の欄の横へ置いた。硬貨の触れ合う音に、妹が宝石を押さえて屈み、わたしの指先を追う。
「この中が今日の予算ですから、先に必要な物とその額を伺って、この範囲で決めましょう」
「大きな声で頼んだ方から、先に渡すんじゃないのね?」
「ええ、足りるか確かめてからお返事を」
「それなら、すぐにお返事できなくてもいいの?」
「分からないところを聞く間は、お待ちいただきましょう」
妹は使い道の紙を宝石箱へ入れかけ、ぴたりと手を止める。少し首をかしげ、それを金袋の方へ重ね直した。
馬車は、先に出た使用人を送るために出払っている。会場までは歩くほうが早いくらいだ。そう聞くと、妹は宝石の箱だけ抱えて門を出る。わたしは金袋を手に、あとを追った。
◇
昼の慈善の会で、妹は襟元を見せるように顔を上げる。迎えた老婦人の目が、光る宝石から金袋へ移る。その顎が少し下がった。
「ノエラ様、今日の寄付は、お決めいただけるかしら?」
「……いくら?」
「まあ、額をお決めになるのはノエラ様ですわ」
「わたしが、ここにいらっしゃる皆さまの前で決めるの?」
老婦人たちが一斉に身を乗り出す。扇まで同じ角度で迫り、ノエラの背中だけが椅子へじりじり近づいた。
茶と焼き菓子の甘い匂いの中で、絹の擦れる音がひとつに揃う。
「では、使い道からお聞きになるかしら?」
「先に聞きたいわ、袋を開けるのはまだ待って!」
老婦人たちの手が、宙で止まる。わたしも隣で扇を畳み、卓に差し出された見積もりへ目を落とした。
「子供たちの冬着で、繕って使う分と、新しく用意する分がありますのよ」
「新しい服が要るのは、小さくなって着られない子の分なの?」
「さようですの。繕うだけでは足りない子の分ですわ」
ノエラが自分の袖口をきゅっとつまむ。見積もりへ身を寄せた背と椅子の間に、さっきはなかった隙間ができる。
「これが冬着の全部の分で、運ぶためのお金も入っているの?」
「ええ、ここまで揃えば、子供たちのところへ届けられますわ」
妹は朝の予算と見積もりを並べる。紙の端まで進んだ指が止まり、その目がそっとわたしを探した。
視線を受けた途端、喉の奥がきゅっと狭くなる。六年前のわたしにも、こんなふうに目を向けられる相手がいればよかった。
わたしは微笑み、浮かせかけた手を膝へ戻す。妹の指は、朝に確かめた範囲にちゃんと収まっている。
「お姉さま……」
「お尋ねになりたいことはありますか?」
「……ううん、聞くのは、こちらの方へね」
妹は宝石が揺れるほど息を吸い、老婦人へまっすぐ向き直る。
「わたしから寄付するのは、この冬着の見積もりと同じ額――運ぶ分まで、全部なの!」
「まあ、嬉しいこと! ノエラ様のお名前で、確かにお預かりいたしますわ!」
老婦人が、妹の前へ寄付箱をそっと寄せる。妹はわたしに向けていた袋の口を、箱の方へ向け直した。
「それで、みんな着られるのね!」
「ええ、お決めになるお顔も可愛らしくて、お礼は宝石よりこちらへ申し上げたいですわ」
「顔まで見るのは待って、お金を数えているんだもん!」
「まあ、数えながら赤くおなりになるのね」
「だから、見ないでって言ってるの!」
笑いながらも、妹の手は止まらない。袋の口を支えるわたしの指に、その指先が触れる。温かい。わたしの出番は、最後までそれだけだ。
窓の外に、迎えに来たヴァレンタン様が見える。妹は彼にひらりと手を振り、最後の金を寄付箱へ入れる。
◇
夕風の通る本邸の戸口で、宝石を箱へ戻す。写しを取りに来られたアロイス様の手が、ふいに下がった。足元へ飛んだ紙を、靴より先に押さえておられる。
三十一歳の辺境伯様は、拾った紙を正式な写しから離して差し出される。家令が脇によけた書き損じだ。
「これは戻す。線で消してある」
「ありがとうございます、辺境伯様。原本から取った写しは、こちらです」
「今朝は関所が立て込んでいた。帰りに寄らせてもらう」
差し出すと、彼は紙を重ねず、受け取る方の手を空けてくださる。その間に、風でずれた紙の端を揃えられた。
「預かろう。こちらの名は、ノエラ嬢だな」
わたしは頷き、革の挟みへ写しを渡す。妹が宝石箱を閉じる音にかぶせて、一緒に帰ってきたヴァレンタン様が口を挟んだ。
「迎えの私を待たせるとは。次は君からも、早く出るように言ってくれ」
「わたしの返事を待っている方がいたの! 途中で立てないでしょ!」
「返事など、いつでもできるだろう?」
「できないの! 子供の冬着がかかっていたんだもん!」
妹は扉の敷居に足を揃え、靴の先を持ち上げる。昼間の道の白い土が、縁に薄くこびりついていた。
「お姉さま、行きも帰りも歩くのはいや――会に出るなら、馬車もわたしのが欲しいの」
わたしは御者の給金と、既に決まっている送迎の話をする。妹は靴先を見つめたまま、金も一緒に受け取るのかと聞き直した。
「その用も聞くわ、だから明日は、わたしが馬車を使いたいの」
「ええ、遠いですわね。では明日の朝、お渡しします」




