↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
2/2

2. 宝石の次は、おいくら

「お嬢様、今日は何枚で?」


 朝日が差す戸口で、ガスパールが宝石箱と譲り状を並べる。わたしは、光る石より先に原本を指した。


「一枚ですわ。ノエラ、昨日お話しした慈善の会の務めも、こちらで確かめてください」


「わたしが着けて出るのは分かっているわ――寄付に使える金も、この袋に入っているのね?」


 妹は印のある原本を受け取り、箱と紙を腕に抱える。鏡の中で、目元がふわりとほどけた。


「見て、お姉さま! 首を動かしただけで光るの!」


「ええ、下を向いても留め金は外れませんか?」


「大丈夫、ご挨拶をしても、ちゃんとここにあるわ!」


 妹は鏡へ礼をして、すぐにまた覗き込む。ガスパールが紙を指しても、視線は首元に貼りついたままだ。


「ノエラ様、ご自身のお名前も、こちらにありますとも」


「それも見るわ、名前のところは宝石で隠さないから」


 石は朝日を受け、首元で小さく光を揺らす。肌にひやりとするのは最初だけだ。着けているうちに、宝石も体の熱を借りて温まる。それを教えるのは、妹が自分の指で気づいてからでいい。


 書斎で使い道の紙を広げた途端、妹が鏡を置く。こつん、と硬い音が部屋に響いた。


「宝石を褒めてもらって、頷いていれば済むんじゃないの?」


「会の方はあなたのお答えを待ちますから、お金の使い道もお決めください」


「ずるい……でも、これは要らない」


 押し戻されてきたのは、務めの書かれた原本だ。宝石の方は、妹の指がしっかり押さえている。


「お返しはできません。譲り状ですから」


 ガスパールは押された分だけ紙を妹の手元へ戻し、筆を伏せる。


「元の持ち主へ戻す文は、書けないのですとも」


「……じゃあ、決め方を教えて。使っていい分まで、間違えたくないの」


 紙を押していた指が、縁に引っかかったまま止まる。わたしは金袋を開け、予算の欄の横へ置いた。硬貨の触れ合う音に、妹が宝石を押さえて屈み、わたしの指先を追う。


「この中が今日の予算ですから、先に必要な物とその額を伺って、この範囲で決めましょう」


「大きな声で頼んだ方から、先に渡すんじゃないのね?」


「ええ、足りるか確かめてからお返事を」


「それなら、すぐにお返事できなくてもいいの?」


「分からないところを聞く間は、お待ちいただきましょう」


 妹は使い道の紙を宝石箱へ入れかけ、ぴたりと手を止める。少し首をかしげ、それを金袋の方へ重ね直した。


 馬車は、先に出た使用人を送るために出払っている。会場までは歩くほうが早いくらいだ。そう聞くと、妹は宝石の箱だけ抱えて門を出る。わたしは金袋を手に、あとを追った。


       ◇


 昼の慈善の会で、妹は襟元を見せるように顔を上げる。迎えた老婦人の目が、光る宝石から金袋へ移る。その顎が少し下がった。


「ノエラ様、今日の寄付は、お決めいただけるかしら?」


「……いくら?」


「まあ、額をお決めになるのはノエラ様ですわ」


「わたしが、ここにいらっしゃる皆さまの前で決めるの?」


 老婦人たちが一斉に身を乗り出す。扇まで同じ角度で迫り、ノエラの背中だけが椅子へじりじり近づいた。


 茶と焼き菓子の甘い匂いの中で、絹の擦れる音がひとつに揃う。


「では、使い道からお聞きになるかしら?」


「先に聞きたいわ、袋を開けるのはまだ待って!」


 老婦人たちの手が、宙で止まる。わたしも隣で扇を畳み、卓に差し出された見積もりへ目を落とした。


「子供たちの冬着で、繕って使う分と、新しく用意する分がありますのよ」


「新しい服が要るのは、小さくなって着られない子の分なの?」


「さようですの。繕うだけでは足りない子の分ですわ」


 ノエラが自分の袖口をきゅっとつまむ。見積もりへ身を寄せた背と椅子の間に、さっきはなかった隙間ができる。


「これが冬着の全部の分で、運ぶためのお金も入っているの?」


「ええ、ここまで揃えば、子供たちのところへ届けられますわ」


 妹は朝の予算と見積もりを並べる。紙の端まで進んだ指が止まり、その目がそっとわたしを探した。


 視線を受けた途端、喉の奥がきゅっと狭くなる。六年前のわたしにも、こんなふうに目を向けられる相手がいればよかった。


 わたしは微笑み、浮かせかけた手を膝へ戻す。妹の指は、朝に確かめた範囲にちゃんと収まっている。


「お姉さま……」


「お尋ねになりたいことはありますか?」


「……ううん、聞くのは、こちらの方へね」


 妹は宝石が揺れるほど息を吸い、老婦人へまっすぐ向き直る。


「わたしから寄付するのは、この冬着の見積もりと同じ額――運ぶ分まで、全部なの!」


「まあ、嬉しいこと! ノエラ様のお名前で、確かにお預かりいたしますわ!」


 老婦人が、妹の前へ寄付箱をそっと寄せる。妹はわたしに向けていた袋の口を、箱の方へ向け直した。


「それで、みんな着られるのね!」


「ええ、お決めになるお顔も可愛らしくて、お礼は宝石よりこちらへ申し上げたいですわ」


「顔まで見るのは待って、お金を数えているんだもん!」


「まあ、数えながら赤くおなりになるのね」


「だから、見ないでって言ってるの!」


 笑いながらも、妹の手は止まらない。袋の口を支えるわたしの指に、その指先が触れる。温かい。わたしの出番は、最後までそれだけだ。


 窓の外に、迎えに来たヴァレンタン様が見える。妹は彼にひらりと手を振り、最後の金を寄付箱へ入れる。


       ◇


 夕風の通る本邸の戸口で、宝石を箱へ戻す。写しを取りに来られたアロイス様の手が、ふいに下がった。足元へ飛んだ紙を、靴より先に押さえておられる。


 三十一歳の辺境伯様は、拾った紙を正式な写しから離して差し出される。家令が脇によけた書き損じだ。


「これは戻す。線で消してある」


「ありがとうございます、辺境伯様。原本から取った写しは、こちらです」


「今朝は関所が立て込んでいた。帰りに寄らせてもらう」


 差し出すと、彼は紙を重ねず、受け取る方の手を空けてくださる。その間に、風でずれた紙の端を揃えられた。


「預かろう。こちらの名は、ノエラ嬢だな」


 わたしは頷き、革の挟みへ写しを渡す。妹が宝石箱を閉じる音にかぶせて、一緒に帰ってきたヴァレンタン様が口を挟んだ。


「迎えの私を待たせるとは。次は君からも、早く出るように言ってくれ」


「わたしの返事を待っている方がいたの! 途中で立てないでしょ!」


「返事など、いつでもできるだろう?」


「できないの! 子供の冬着がかかっていたんだもん!」


 妹は扉の敷居に足を揃え、靴の先を持ち上げる。昼間の道の白い土が、縁に薄くこびりついていた。


「お姉さま、行きも帰りも歩くのはいや――会に出るなら、馬車もわたしのが欲しいの」


 わたしは御者の給金と、既に決まっている送迎の話をする。妹は靴先を見つめたまま、金も一緒に受け取るのかと聞き直した。


「その用も聞くわ、だから明日は、わたしが馬車を使いたいの」


「ええ、遠いですわね。では明日の朝、お渡しします」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。