第7話 君の時代が来るかもよ
翌日、俺が何となく重い足取りで学校の校門をくぐると、すぐに聞き慣れたテンション高めの声が降ってきた。
「おはよ、濁川! うっへー、朝からマジで魂抜けた顔してんじゃん!」
声をかけてきたのは、楯さんだった。
さすが一軍女子の中のそのまたトップだ。
存在するだけで周囲の雰囲気が変わる。
生きた空気清浄機といったところだ。
真の陽キャのパワーを思い知らされる。
「……あ、楯さん。おはよう。いや、ちょっと昨日の夜はいろいろと凄くて」
「は? 凄い夜とかヤバ。何それ、エロい話?」
楯さんがニヤニヤしながら、グイッと顔を覗き込んできた。
「そんでさ、昨日黒須っちと一緒に帰ってその後どうなったわけ? いい関係になっちゃいましたー、みたいな?」
「うん、まあ、お邪魔したよ。……黒須さんの家に」
「え、マ? 展開早すぎて草なんだけど!」
楯さんは、満面の笑みをぱっと輝かせて驚いている。
俺は昨夜の出来事を、思い出すだけで熱が出そうな頭で、かいつまんで説明した。
お母さんとお姉さんの、あの怒涛のセクハラまがいの猛攻撃のこと。
そして何より、あの家の尋常じゃないお屋敷っぷりについて。
「……ってことがあってさ。凄い豪邸で、凄い料理が出てきたんだ。緊張で味が全然しなかったけど」
金持ちの生活を表現する語彙がないので「凄い」としか表現できない。
「はあ? 黒須さんの家って、そんなガチのお金持ちだったんだ!」
楯さんは完全に予想外だったようで、口をあんぐりと開けている。
「いや、確かに育ち良さそぉーな雰囲気はあると思ってたけど……まさかそこまでのガチお嬢様とかマジ凄い。やるじゃん濁川、ワンチャン逆玉じゃね?」
「そんな……、本当に生きた心地が……」
「生きた心地だって、ウケる!」
ウケるところ、そこ?
そんな話をしながら校内に入ると、廊下で今度は黒須さん出会った。
俺の気配を察して、彼女が小さく肩を震わせる。
「……あ、黒須さん、おはよう」
「っ! お、おはようございます、濁川君、楯さん……」
黒須さんは頬を染めて、小さな声で挨拶を返してくれた。
昨夜の「キスはもう済ませたの?」という姉の爆弾発言が、確実に彼女の脳裏にも焼き付いているのが分かる。
だが、そこはさすが黒須さんと言うべきか。
他の生徒の中では、いつも通り、何事もなかったかのように静かで真面目な女子生徒に戻っていた。
▽
ちょっとした事件が起きたのは、昼休み、俺が購買へ行こうと廊下を歩いている時だった。
「クスクス……ねえ、見てよアレ」
「うわ、本当だ。あいつっしょ?」
すれ違いざま、女子生徒二人組が、俺を露骨に指さして笑ってきた。
お世辞にも可愛いとは言えない、性格の悪さが顔ににじみ出ているような不細工な二人組だ。
俺は彼女たちのことをほとんど知らない。
学年もクラスも違うはずだ。
「何だっけ、あの……クロスワード部? とかいう超陰キャの部活に入ってるんだってー」
「ウケる! 高校生にもなってクロスワードとかマジ何? ジジイじゃん。毎日パズルとかやって喜んでるとか陰気臭すぎてウケるんだけどー」
俺に何の恨みがあるのだろうか?
というか、何がしたいのか?
わざと聞こえるような声で、小蠅のようにしつこく嘲笑を繰り返してくる。
まあ、俺はこういう周囲の反応には慣れていた。
何を言われても「はいはい、そうですね」と心の中で受け流し、そのまま通り過ぎようとした、その時。
「――ねえ、それ、あたしの前でも同じこと言えんの?」
背後から、冷徹な、だけど聞き馴染みのあるギャル特有のハッキリとした声が響いた。
振り返ると、そこには腕を組んで、めちゃくちゃダルそうに佇む楯さんの姿があった。
不細工女子二人は、スクールカーストの頂点にいる楯さんの登場に、一瞬だけビクリと身をすくませた。
だが、すぐに「味方を得たり」と言わんばかりに、卑屈な笑みを浮かべて楯さんに擦り寄っていく。
「あ、楯さん! 聞いてよ、この人さ、クロスワード部なんていうわけわかんない部活に入ってんの! ヤバくない?」
「そうそう、超暗いよねー! 楯さんもそう思うっしょ?」
一緒に笑ってもらえると信じて疑わない二人。
しかし、楯さんの表情はピクリとも動かない。
それどころか、底冷えするようなギャル特有の冷たい視線を二人へと向けた。
「あのさ、悪いんだけど。あたしもその『クロスワード部』の仲間なんだけど」
「え……?」
「それにね、そこの濁川はさ、あんたたちみたいに他人の好きなものをディスるような奴らとは違って、普通に結構いい奴なんだよね。優しくて、いざって時に頼りになる、あたしの自慢の部員。……なんか文句ある?」
楯さんの毅然とした態度と、まさかの告白に、不細工二人の顔がみるみるうちに青ざめていく。
クラスの人気者である楯さんを敵に回す恐怖と、完全に旗色が変わったことを察した彼女たちは、驚くべきスピードで手のひらを返した。
「えっ! あ、あはは……そ、そうなんだ! 楯さんも入ってるんだ。いいところですよね」
「う、うん! クロスワードって頭良くなりそうだし、知的でカッコいいですよね! 濁川君も、なんか落ち着いてて素敵っていうか……!」
「うん、やっぱそう思うっしょ」
ニコリと微笑む楯さん。
だが、目が笑っていないのを、人の顔色を窺うスキルだけは超一流の二人組は見逃さなかった。
二人は、島津の退き口のような悲壮感を漂わせながらその場から退散した。
本当にあの二人は何がしたかったんだろうか?
俺は心の中で大きくため息をついて、楯さんに向き直った。
「ど、どうも、楯さん。助けてくれて……」
すると楯さんは、いつもの溌剌とした笑顔に戻って、俺の背中をバシッと力強く叩いた。
「何言ってんの! 仲間がバカにされて黙ってられるかっての。それにさ、あいつらマジ何も分かってないよね」
楯さんはふっと悪戯っぽく笑うと、俺の目を真っ直ぐに見つめて、少し真面目なトーンで言った。
「今はまだ、みんな君の本当の価値を分かってないだけ。でもさ、濁川。――いつかは、君の時代が来るかもよ。マジでね」
「……俺の時代?」
返答に困って苦笑いする。
でも、楯さんの言葉は妙に温かい。
昨日の黒須さんのお屋敷でのことといい、今日の楯さんの言葉といい、俺の平凡だったはずの高校生活は、どうやら少しずつ、確実に変わり始めているみたいだった。




