第6話 キスはもう済ませたの?
「もう、二人ともそこまでにして!」
黒須さんが母姉と俺の間に手をねじ込む。
母の南さんがクスクスと笑いながら俺の腕から離れ、姉の遊美さんも「ちぇー、ノリが悪いぞ、妹よ」と唇を尖らせて定位置に戻る。
ようやく俺はちゃんと呼吸ができるようになった。
あ、危なかった……。
このままでは高校生にして大人の階段を一気にすっ飛ばして天国へ昇るところだった。
「ごめんなさいね、濁川君。からかいすぎちゃったわ」
「そうよ。お母さんもお姉ちゃんも、いつもこんな感じの人で……。ごめんなさい」
小さな声で謝る黒須さん。
しかし、全く反省していなさそうな母姉二人の猛攻は終わらない。
俺は、なんだかんだでこの「現代の女護が島」で夕食をご馳走になるという流れに押し切られてしまった。
「ほら、殊羽も遊美も手伝って!」
黒須さんたちは台所へ。
俺はひとまずリビングのソファへ。
急いでスマホを取り出し、俺の家に「友達の家で晩飯食べて帰る」と電話。
俺の家族からは「あんまり遅くならないようにね」とだけ返ってきた。
我が家のサッパリした対応が、今の俺には実家のような安心感(実家だが)を与えてくれる。
それにしても。
ふと見渡したリビングは、テレビで見る「成功者の家」そのものだった。
そういえば、黒須さんのお父さんは……?
そんな疑問が頭をよぎったが、家の中に男性の気配は一切ない。
尋ねていい雰囲気なのか分からず、俺はそっとその疑問を心の引き出しにしまい込んだ。
「……あの、濁川君」
不意に声をかけられ、顔を上げる。
そこに立っていたのは、部屋着に着替えた黒須さんだった。
「――っ」
思わず、息を呑む。
いつも学校で見ている、きっちりとボタンを留めた制服姿じゃない。
少し大きめの、パステルカラーの柔らかなスウェット。
お団子状にざっくりとまとめられた髪から、白い首筋が覗いている。
制服の時は「無口な地味子」という印象だったが、今の彼女は、なんというか……ものすごく、可愛い。
反則的なまでに可愛い。
「あ、えと、準備が……」
黒須さんが俺がガン見しているのに気づいてしまった。
頬を染め、横を向いて恥じらっている。
「ご、ごめん! す、すごく、似合ってる!」
頭が混乱した俺は、言わなくていいことまで言ってしまった。
褒めたのが効いたのか、黒須さんの顔が照れを含みながらもぱっと輝いたような気がした。
可愛い。愛らしい。めんこい。
ああ、クロスワード部なのに俺の語彙力が足りぬ。
とにかくその破壊力たるや、さっきの母娘の肉弾攻撃にも引けを取らない。
「はいはい、若者の青春劇場はそこまで! ご飯できたわよー!」
遊美さんの声でダイニングテーブルに向かった俺は、再び度肝を抜かれることになった。
「な、なんだこれは……」
テーブルに並んでいたのは、およそ一般家庭の夕食の概念を超越した、ホテルのディナーのような豪華絢爛な料理の数々だった。
肉厚なローストビーフに、色鮮やかな前菜、トリュフの香りが漂うスープ。
もちろん、スープの香りがトリュフだと知ったのは、教えてもらったからだ。
「いつもはもっと普通なんだけどね、せっかく殊羽が男の子を連れてきたんだもの!」
南さんがウィンクする。
俺にとっては一生縁のなさそうな高級料理ばかり。
それにしても、今日たまたま俺が来たのにこんな豪華なおもてなし料理をどうして短時間で用意できたのか不思議だ。
高級で上質な冷凍食品でもあるのだろうか。
何はともあれ、俺は緊張しながらテーブルに着く。
箸を持つ手が震える……っていうか、俺が持っているのはナイフとフォークだ。
もう自分が何を持ってるのかすら……。
しかし、本当に緊張すべきは料理の格調高さではなく、目の前に座る二人の尋常ではない好奇心だった。
「ねえねえ濁川君、学校での殊羽ってどんな感じ? 家だとずっとぼーっとしてるのよ」
遊美さんが、お肉を口に運びながらニヤニヤと俺の目を覗き込む。
「え、あ、学校では、すごく真面目で、物静かというか……」
「あら、猫被ってるのねー。本当はもっと頑固で甘えん坊なのに。ねえ、濁川君から見て、うちの殊羽はどうかしら? ぶっちゃけ、女の子として意識してる?」
南さんからのストレートすぎる豪速球が飛んできた。
「ぶふぉっ!?」
スープを吹き出しそうになり、必死に飲み込む。
「お、お母さん! 何聞いてるの、もうっ!」
顔を湯気が出るほど真っ赤にした黒須さんがフォークをガタガタ鳴らすが、野獣系美女ツートップの追撃は止まらない。
「だって気になるじゃない? 若い二人がどこまで進んでるのか。ねえ少年、キスは? キスはもう済ませたの?」
「き、キスっ!?」
遊美さんの爆弾発言に、俺の頭は完全にキャパシティをオーバーした。
「だ、だから、そういう関係じゃなくて……っ!」
「あらー、まだなの? 殊羽、もっと積極的にいかないと、今時の男の子は捕まらないわよ。ちょっと前の言葉で言うと草食系ってやつ?」
「もう、二人とも……っ!」
完全に限界を迎えた黒須さんは、不祥事を起こして謝罪している偉い人みたいに顔を真下に向けている。
耳まで真っ赤だ。
質問攻めに合う俺と、恥ずかしさで消え入りそうな黒須さん。
そして、それを見て楽しそうにワイングラスを傾ける美魔女な母親と、からかう気満々の美人な姉。
豪華な料理の味など、もはや一ミリも分からない。
俺は真っ赤になった黒須さんを助けを求めるように見つめながら、ただただ引きつった笑みを浮かべて次の質問を耐え忍ぶしかなかった。




