第4話 気にすんなし!
「……あ、あの、楯さん。ありがとうございました」
チンピラたちのドタドタと間抜けな足音が完全に消え去った後、俺はようやく震える声を絞り出した。
隣にいる黒須さんも、いつもは難しいパズルを前にしても崩さないポーカーフェイスの表情を崩し、今は珍しく驚きで目を見開いている。
「あはは、全然いーよ! 気にすんなし!」
楯さんは何事もなかったかのように笑う。
しかし、その笑顔の裏にある、おそらくはカタギではなさそうな何かに、俺の心臓はまだバクバクと警報を鳴らしていた。
「むしろ、あたしのせいで変なのに絡まれちゃってマジごめんねー」
てへっ、とウインクする楯さん。
その軽さに、俺と黒須さんは思わず顔を見合わせた。
「なんつーか、お詫びってわけじゃないんだけどぉ、さっき言ってた鯛焼き、マジで奢るから!」
「えっ、いや、そんな……悪いですよ」
恐縮する俺をよそに、黒須さんが一歩前に出て小さく首を振った。
「楯さん、お気持ちは有り難いことですが、お断りします。我が家の教育方針として、他の方から理由なく物品をいただくことは禁じられておりますので」
無口な黒須さんにしては珍しい長台詞だ。
「えー! 黒須っち、カタすぎ! そんなの気にしなくていーの、いーの!」
「ですが、筋の通らない好意は受け取れません」
「もー、あたしの奢りが受け取れないなら、これは『ピンチを救ってくれたお礼の逆バージョン』ってことにしよ! ほら、行こ!」
ちょっとよくわからない理屈だ。
「きゃっ? あの、引っ張らな……」
楯さんは黒須さんの手を握ると、強引に引っ張り、ずんずんと歩き出してしまった。
ギャルの圧倒的なコミュ力と行動力、恐るべしである。
近道になっている暗い路地裏を抜けると、そこは若者や買い物客でごった返す、きらびやかな繁華街だった。
俺とは違う人種がたくさん闊歩している異世界。
渋谷や原宿ほどではないが、俺にはまぶしすぎる別天地。
道に迷いでもしない限り近寄ることすらない魔境。
ネオンやLEDの看板がチカチカと輝き、BGMが流れる賑やかな通りを、楯さんは迷いのない足取りで進んでいく。
「ほらほら、あそこ! マジ可愛いっしょ!」
楯さんが指差した先にあったのは鯛焼き屋だった。
ポップなピンクと黄色で彩られた、一見するとクレープ屋かキャンディーショップのような店構えだ。
看板にはポップ体で店名が書かれ、メニュー表には「カスタードホイップ」や「タピオカあんこ」といった、いかにもギャル好みの珍奇な創作メニューが写真付きで並んでいる。
地味なクロスワード部の一員である俺と黒須さんにとっては、明るすぎて少し気後れするような空間だ。
しかし、楯さんは慣れた様子で店員と「お疲れーっす!」と挨拶を交わし、あっという間に三人分の鯛焼きを注文してしまった。
買ったのはオーソドックスな粒あんの鯛焼きだ。
結局、俺たちはその店の前にある、カラフルなプラスチック製のベンチに並んで座り、温かい紙袋を手にしていた。
「んむ……」
黒須さんは、最初は渋っていたものの、尻尾から一口齧るとその美味しさに目を輝かせた。
「……おいしい」
「でしょー? ここのあんこ、最高なんだよね!」
楯さんは嬉しそうに笑いながら、自分の鯛焼きを頭から豪快にパクリと食らいつく。
「黒須さん、さっきの教育方針は大丈夫?」
俺が小声で尋ねると、黒須さんは少し頬を赤くする。
「……大丈夫です。無駄にしては逆に失礼ですし」
もっともらしい言い訳をして、また小さく鯛焼きをむしゃりと齧った。
いつもの冷静な彼女からは想像できないほど可愛い。
俺は、サクサクの生地を咀嚼しながら、先ほどの光景を思い出していた。
あの男たちの怯えようは尋常ではなかった。
「……それにしても楯さん、本当に凄かったです。あのチンピラたちが一瞬で逃げ出すなんて」
「あいつら? ただのビビりだってばー」
「いやいや、あの……『シールド』って、一体何なんですか? あの男たち、完全に怯えてて、その、何というか……」
俺が恐る恐る尋ねると、楯さんは鯛焼きを咥えたまま、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「んー? 何かな? ただのちょっとしたニックネームみたいな? 大したことじゃないってば!」
「いや、どう見ても大したことあったような……。ええと、黒須さんもそう思いますよね?」
話を振られた黒須さんは、じっと楯さんを見つめる。
「……その反応、クロスワードパズルで言えば一番重要な言葉がが埋まらない時の態度ですね」
「あはは、黒須っち、何それ! なぞなぞみたいっしょ!」
「いえ、そういうのでは……」
恥ずかしそうに肩をすくめる黒須さん。
「いーの、いーの! ほら、それより鯛焼き冷めちゃうよ。早く食べなよ!」
そう言って楯さんは、再びいつもの無邪気なギャルスマイルを浮かべ、話を綺麗に煙に巻いてしまった。
結局、彼女が何者なのかは謎に包まれたままだ。俺と黒須さんは顔を見合わせ、釈然としないまま残りの鯛焼きを口に運ぶしかなかった。




