第38話 さっきからガン見してるくせに
「ほらほら、黒須っちもこっち来なよ!」
ビーチの浅瀬に足を踏み入れた黒須さんに向けて、楯さんが容赦なく水しぶきをバシャバシャと食らわせる。
「ひゃうっ! ちょ、ちょっと、楯さん……!」
「きゃはは! 黒須先輩、こっちも行きますよー!」
結委も一緒になって、両手でパチャパチャと援護射撃を開始した。
黒須さんは普段の大人しさが嘘のように、身をよじって水を避けようとしている。
いつもの彼女なら「もう、困ります……」と縮こまってしまいそうなものだが、今の表情には戸惑いの中に確かな笑みが混ざっていた。
普段の陰キャモードを脱ぎ捨てて、思いっきり……とまではいかなくても、彼女なりにこの瞬間を心から楽しんでいるのが、見ていてよく分かる。
――だが、しかしだ。
「……なぁ、濁川。俺たち、あっちの神聖不可侵領域に足を踏み入れてもいいと思うか?」
少し離れた砂浜に突っ立ったまま、俺の隣で須藤がボソリと呟いた。
彼の視線の先では、眩しすぎる三つの太陽が海面をキラキラと輝かせている。
「いや、無理だろ。俺みたいな日陰者が近づいたら、あの眩しさで一瞬にして消滅する自信がある」
俺たちは完全に、夏の日差しに炙られるアスファルトの上のミミズ状態だった。
あまりの眩しさに、輪に加わるのを本能が全力で躊躇っている。
さらに近寄りがたい理由がある。
「っていうかさ……、黒須さんって、色々と兇器すぎないか? 体を動かすたびに、こう、何つーか……水風船のヨーヨーみたいに……。おとなしい黒須さんがどうして胸だけはあんなに自己主張が激しいんだよ」
須藤が俺の肩に手を置きながら、しかし視線だけは一点に固定して好き勝手な感想をほざく。
確かに、黒須さんの水着姿は凄まじかった。
走ったり、水を浴びて身をすくめたりするたびに、その豊かな胸が凄まじい質量をもって揺れている。
たとえ水着を着用していても、健全な男子高校生には放送禁止レベルだ。
「おい、言葉を選べ。本人に聞こえたらどうするんだ」
「えー、濁川だって、さっきからガン見してるくせに」
一応須藤をたしなめてはみたものの、悲しいかな、俺の邪念まみれの内心は寸分の狂いもなく須藤の意見と完全一致していた。
男の性とは悲しいものである。
「それに比べると、楯さんは美しい。美しくて全く無駄のない体なんだけど、無駄があってもいい場所にも無駄がないのが唯一の残念ポイントなんだよなあ」
須藤による好き勝手な品定めは楯さんに及ぶ。
確かに楯さんと黒須さんは性格だけでなく胸も対照的だ。
「聞こえたら楯さんに殺されるぞ」
須藤は楯さんが武術の達人であることを知らない。
「それと、結委ちゃんは……」
「お前に結委のことを品評する権利はない!」
俺は楯さんがチンピラを睨みつけた時の表情を真似て須藤を脅した。
「冗談だよ、冗談。俺たちも海に来たんだから何かしようぜ」
須藤は女子たちがやっているように俺に水をかけ始めた。
野郎二人でこんなことやっても悲しくなるだけなんだが。
▽
その後、俺たちが淋しそうにしていたのを女子たちが気づいて仲間に入れてくれた。
いつまでも水の掛け合いというのもさすがに飽きるので、別のことをやることにした。
夏の砂浜と言えばこれ。西瓜割りだ。
西瓜はまるごと一個冷蔵庫に入っている。
ちょうどよい木の棒も別荘の備品の中にあった。
黒須さんの母親が西瓜割りのために用意しておいてくれたのかもしれない。
「お、これって本格的なガチの木刀じゃん」
木の棒を握った楯さん。持ち方が様になっている。
楯さんの武術道場では刀の使い方も稽古しているのだろうか。
俺にはただの棒と木刀の違いはわからないが、固そうな木材でできているので西瓜が気持ちよく割れそうだ。
「もうちょっと右!」
「もっと左だって! はい、そこ!」
楯さんと結委の言っていることが違っているので、目隠しをした黒須さんはおろおろしている。
やっとの事で木刀を西瓜に叩きつけるが、力がなくて木刀が当たったのにひびも入らない。
気まずそうに細長い布の目隠しを取った黒須さんは普段と少し印象が違った。
眼鏡を外していたからだ。
昔の漫画に眼鏡を外すと可愛くなるキャラがよくあったが、黒須さんは眼鏡があってもなくても素晴らしい。
「じゃ、今度はあたし」
楯さんが目隠しをして木刀を構える。
ビキニ姿のギャルなのに構えがしっかりしていて、侍みたいでかっこいい。
剣術に無知な俺たちの目からしても強そうなのがわかる。
ヒュッ! バカッ!
風を切り裂く音ともに破壊される西瓜。
「あちゃ、ちょい力入りすぎちゃったかも」
これで「ちょい」なのか!
爆発でもしたようにバラバラになって散らばった西瓜の破片を目の当たりにして冷や汗が流れる。
皆は思わず拍手をする。
ついた砂を海水で洗って食べた西瓜は塩で甘みが引き立って美味しかった。
「せっかく海に来たんだから泳ぎませんか」
西瓜を食べ終えた結委の提案で水泳大会が始まった。
結委の奴、俺が泳げないのを知ってるくせに。
「じゃあみんな並んで、位置について、よーい……スタート!」
楯さんの掛け声とともに、五人が一斉に海へと飛び出す。
プライベートビーチの端から端までを泳ぐ速さを競う。
結果から言うと、レースは完全に一人の独壇場だった。
圧倒的な推進力で海を切り裂いていく楯さん。
まるで人魚、いや、獲物を追う鮫のようだ。
予想通りではあったが、他を寄せ付けない圧倒的なスピードでゴール。
それに続いたのが、小さな体で器用にスイスイと泳ぐ結委。
マイペースながらも綺麗なフォームで二位でフィニッシュ。
問題は、その後ろだった。
「楯さんさんも結委ちゃんも泳ぐの上手だなあ」
「全然前に進まないんだが……」
「はぁ、はぁ……」
泳いでいるのか水底を歩いているのかわからない俺と須藤と黒須さん。
須藤はともかく、黒須さんも水泳下手仲間だったとは。
必死に手足をばたつかせている黒須さんの姿は可愛い。
同じ状態の須藤は可愛くないけど。
「みんなもっと頑張れっし」
「お兄ちゃん、黒須先輩にかっこいいとこ見せなきゃ」
楯さんと結委が戻ってきて応援してくれた。
こうして、ちょっと気恥ずかしい海の一日は過ぎていくのだった。




