第37話 行きましょう、海へ
「もしかして、あれがそうっぽい?」
最寄り駅に到着し、潮風の香る道を歩くこと約二十分。
楯さんが指をさした先にその建物はあった。
「はい。少し古くて手狭なのですが……」
黒須さんは少し申し訳なさそうに言うが、いやいや、謙遜しすぎだよ。
黒い柵の向こうに見えるのは、白い壁と大きなテラスが特徴的な、絵に描いたような南国風の高級ヴィラだった。
しかも、敷地の奥にはプライベートビーチの青い水平線が見え隠れしている。
「黒須っち、これで古くて手狭って……。ガチで最高じゃん!」
「黒須先輩、凄すぎる……!」
楯さんと結委が目を見開いて立ち尽くす。
俺と須藤も、女子の分も含めた大量の荷物を抱えながら、別荘の豪華さに圧倒されていた。
これが宿泊施設ではなく個人の別荘だなんて。
黒須さんが門扉に取り付けられた複雑な機械を操作する。
スパイ映画に出てきそうな場面だ。
見た目の複雑さに反して意外とあっさりと門扉は解錠された。
でも、黒須さん本人でないと開けられない高度なセキュリティーなのは想像に難くない。
そうして、俺たち五人はついにその敷地へと足を踏み入れた。
「うわぁ……! なんか、もう、うん!」
結委が目を輝かせて言葉にならない歓声を上げる。
「ヤバ! これマジで貸し切り? テンション上がるわー!」
今時のギャル全開な楯さんも、カールした茶髪を揺らして大はしゃぎだ。
俺と須藤は言葉もなく敷地内を見渡す。
玄関をくぐると、そこには吹き抜けのロビーとピカピカに磨かれた大理石風の床が広がっていた。
「あまり使われていない別荘だと聞いてたけど……」
床にほこりがたまっていないことを不思議に思った俺が呟く。
「あ、はい……。たぶん、母が事前に管理の人に掃除を頼んだのかと……」
黒須さんは少し困ったように眉を下げている。
さらにキッチンをのぞいてみる。
大型冷蔵庫の中には新鮮な果物と飲み物がこれでもかと詰め込まれていた。
フリーザーにはアイスクリームと俺たちでも簡単に調理できる冷凍食品。
「食材までバッチリじゃん! 黒須っちのお母さん、神?」
「いえ……その、過剰というか……。普通で良かったのですが……」
恥ずかしそうに俯く黒須さん。
どうやら親御さんの過保護っぷりに少し呆れているようだ。
そんなところも、金持ちを鼻にかける感じがなくて実に清楚で好感が持てる。
この別荘を「手狭」とか言ってしまうあたりは、天然のお嬢様なんだけど。
「よし! じゃあ部屋割り決めちゃお!」
楯さんの仕切りで部屋を確認する。
別荘にはいくつか部屋があったが、ベッドが三つ並んだ広々とした大部屋は、黒須さん、楯さん、結委の女子チームが使うことに決定。
そして俺と須藤に用意されたのは――。
「……狭っ。いや、普通にビジネスホテルくらいはあるけど、さっきの部屋を見た後だと独房に思えるな」
「贅沢言うな。男二人ならこんなもんだろ。特別に参加を許されたお前に寝るところがあるだけでも幸せなんだから」
俺たちは二人用のこぢんまりとした部屋に荷物を下ろした。
「おい濁川! 一息ついてる場合じゃないぞ! 早く外に行こう!」
須藤が鼻息を荒くして窓の外を眺めている。
そこには、白い砂浜と青い海がプライベートビーチとして広がっていた。
五分後。
俺と須藤はさっさと海パンに着替え、女子たちに先んじてビーチへと繰り出した。
太陽の光が砂浜に反射して眩しい。
波の音が耳に心地よく響く。
「ふっふっふ……。ついに、ついにこの時が来たぞ。奇跡の瞬間がな……!」
須藤が怪しい笑みを浮かべていると、背後のテラスから賑やかな声が聞こえてきた。
「お待たせー!」
楯さんの声で振り返った瞬間、俺と須藤の動きが止まった。
「お兄ちゃん、見て見てー! これが新しい水着!」
真っ先に走ってきた結委は、ひらひらとしたフリルが可愛いピンクのワンピース水着。
我が妹ながら中学生らしい溌溂とした可愛さが眩しい。
「濁川。須藤。早いじゃん。そんなに海が楽しみだったかあ!」
続いてゆっくり歩いてきた楯さんは、褐色の肌を引き立てる白の大人っぽいビキニ姿だった。
高校生でビキニとは凄い度胸だ。
すらっとした無駄のないプロポーションはファッションモデル並みだ。
「ぶ、ブラボー……! 生きてて良かった……」
須藤は完全に目を丸くして、食い入るように二人を見つめている。
俺の可愛い妹をオタクの邪悪な眼差しでジロジロ見られるのは不愉快ではある。
だが、今日ばかりは、この眩しすぎる空間を共有する同志として、特別にその無礼を許してやることにした。
それくらい、二人の水着姿は破壊力があった。
「あれ? 黒須っちは? 早く来なよー!」
楯さんがビーチへの出口に向かって声を張り上げる。
「あ、あの……。今、行きます……」
蚊の鳴くような声と共に、おどおどとした様子で黒須さんが姿を現した。
両腕で自分の体を隠すように抱え込み、顔を真っ赤に染めている。
その水着を見て、俺は思わず息を呑んだ。
彼女が着ていたのは、お世辞にもファッショナブルとは言えない、紺色のクラシカルなスクール水着に酷似した地味なものだった。
装飾もほとんどない。
だが、それがいい。
白い肌と隠しきれない胸の膨らみが、その地味な水着によって逆に強調されている。
「自分とこのプライベートビーチなんだし、もっと大胆な水着持ってけばって言ったんだけどねえ。で、男子たちに見せつけてやればいいのにって」
楯さんが俺たち男子を横目に見ながら話す。
「だって恥ずか……」
黒須さんはなかなか俺に目を合わせてくれない。
そんなに恥ずかしがることないのに。
「全然恥ずかしくなんかありませんよ。お兄ちゃんなんて大喜びしてますよ」
余計なことを抜かす結委。
「な、何を言うんだ!」
結委に向かって照れ隠しに怒鳴る俺だったが、本心が顔に出ていたかもと慌てて冷静な顔を作ろうとする。
そっと黒須さんに目を向けると、上目遣いでこっちを見ている。
そして、それまで縮こまっていた姿勢を正し背筋を伸ばす。
「行きましょう、海へ」
どうやら踏ん切りがついたようだ。
俺たちしかいないこの空間で恥ずかしがる必要などないと悟ったらしい。
楯さんと結委と一緒に波打ち際まで走り出す。
実にまぶしい光景だ。
陰キャの俺には刺戟が強すぎる夏合宿。
波乱のビーチタイムが、今幕を開ける――。




