第27話 これ、お詫びね
翌日、俺はいつも通り、何事もなかったかのように登校した。
昇降口に入り、自分の下駄箱から上履きを取り出して履き替える。
かかとをトントンと地面に打ち付け、さあ教室へ向かおうと廊下へ一歩踏み出した、その瞬間だった。
「に、濁川君!」
「うおっ!?」
不意に正面から声をかけられ、俺は思わずのけ反った。
そこには、俺の登校を待ち構えていたかのように直立不動で、しかし、おどおどした様子で立つ黒須さんの姿があった。
黒須さんは俺と目が合うなり、その場でガタッと勢いよく頭を下げた。
「本当に、申し訳ありませんでした……!」
「ちょ、黒須さん? 急にどうしたの。とりあえず頭を上げてよ」
朝の登校ラッシュの真っ只中だ。
廊下を行き交う生徒たちが一斉にこちらを振り返り、遠巻きにざわつき始める。
「いいえ、上げられません! まさか私のお母さんが、あのような悪質な誘拐に関わっていたなんて……」
「いや、あれは黒須さんが悪いわけじゃ――」
「濁川君に恐ろしい思いをさせて……、何と言っていいのか、その……」
律儀というか真面目というか、黒須さんは本気で恐縮している。
廊下の真ん中で今にも地面に膝をつきそうな勢いだ。
お母さんの非常識さに相当心を痛めたのだろう。
黒服の男たちに囲まれた時は、黒須さんだって恐かったはずなのに。
俺が慌てて黒須さんをなだめていると、背後の昇降口から聞き馴染みのある、だけど昨日の夜とは全っ然違うトーンの明るい声が降ってきた。
「おはよー、濁川! 昨日のあの件、マジ悪かった! ホントごめん!」
振り返ると、下駄箱の前でローファーを脱ぎながら、楯さんがこちらに手を振っていた。
バッチリ決まったメイクに、少し着崩した制服。
昨日、自分の家で「お母さん、濁川君に余計なことまで聞かないで……」と頬を染めて縮こまっていた、あのウブなお嬢様の面影はどこへやら。
いつものスクールカースト頂点に君臨するギャルへと完全復活していた。
上履きに履き替えた楯さんは、スタスタと廊下を歩いて俺たちの輪に加わる。
「パパから聞いたわー。濁川って、なんかマジでかっこよかったんしょ? 黒須っちを守ろうとしたとか」
「いや、守れはしなかったし……」
俺は照れくさくなって楯さんから目をそらす。
黒須さんを見ると、黒須さんも恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
「迷惑かけちゃったし、これ、お詫びね。後でみんなで食べよ!」
楯さんが鞄から出して俺に見せたのは、オブラートに包まれたカラフルな寒天ゼリーの詰め合わせだった。
お婆ちゃんが好きそうなお菓子だが、今時のギャルには不似合いな気がする。
時代が一周してこういうのが昨今のギャルにウケているのかなあ。
「そんなに気を遣ってくれなくても。昨日は豪華な夕食もいただいちゃったし」
「いーのいーの! これがあたし流のやり方ってやつ? これで一件落着っしょ! じゃ、いつものあたしらに戻ろー! あたしらはこれが通常運転っしょ?」
いつものギャル語を連発する楯さんを見て、俺は少しホッとする。
その反面、昨日のおとなしい楯さんは、やっぱり俺の幻覚だったんじゃないだろうかと思えてくる。
そんなことを考えていると、楯さんがすっと顔を近づけてきて、俺の耳元で小さく囁いた。
「……あ、ちなみにさ。昨日のあたしんちでのこと、ホントマジで誰にも内緒で頼むっす」
「え? 家でのことって……」
「もう、とぼけんなし! あたしが大人しくしてたこと! あたしにもパブリックイメージ(?)的なのがあるから……」
ちょっと脅すような、だけど懇願するような上目遣い。
昨日のお嬢様モードの片鱗が見えて、俺の心臓がちょっとドキッとなった。
「わ、分かってるって。誰にも言わないよ。……それに黒須さんも楯さんも、そんなに気にしないで。俺、二人に対して全然怒ってないからさ」
俺が周囲の目を気にしながら苦笑いでそう告げると、黒須さんはようやくホッとしたように顔を上げた。
「本当ですか……? 怒っていない、と……?」
「うん。だからもう謝らないで。二人とも何も悪くないんだから」
「よっしゃ、濁川、マジ神! 器デカくて、イイ!」
嬉しそうな笑顔の楯さん。
「それにしても、本当に濁川君はすごいと思います」
黒須さんが一歩身を乗り出し、尊敬の眼差しを向けてくる。
「聞くところによると、あの状況で、屈強な誘拐犯役の男性たちに囲まれて捕まったというのに、全く動じず、冷静沈着に大人の対応をされていたとか」
「あー、それ、あたしのママも言ってた! 『濁川君は肝が据わっていて素晴らしいお婿さん候補ね』とかマジで大絶賛。普通あんなんされたら、普通のへたれ男ならビビり散らかして泣くっしょ? 濁川、実は男気あって最高」
「私なら、あんな状況、耐えられません」
廊下のど真ん中でパチパチと拍手する楯さんと、何度も深く頷く黒須さん。
登校してくる他の生徒たちの視線が痛い。
何より、二人の美少女から同時に熱いリスペクトを向けられるこの状況。
男子高校生としては人生の絶頂、脳内快楽物質ドバドバのシチュエーションのはずだった。
しかし、俺の胸中を占めていたのは、爽快感ではなく泥のような気まずさだった。
(違うんだ……。俺が動じなかったのは、あの誘拐を矢島凜花が仕掛けてきたドッキリだと完全に思い込んでたからなんだ……)
リアルな誘拐犯じゃなくて、ユーチューバーの悪戯のつもりでいたから冷静にしていられただけ。
先に矢島凜花が俺の前に現れていたせいで勘違いしたのだ。
その勘違いがなければ、俺はどんな醜態をさらしていたことやら。
「あ、はは……。別に、そんな大したことじゃ……。はは……」
「濁川君……」
「いやー、見直したわー」
俺は引き攣った笑みを浮かべ、「教室行かなきゃ」と促し、黒須さんと楯さんの眩しい笑顔からそっと目を逸らすことしかできなかった。




