第26話 普通に犯罪ですよ!
「お父さん! 濁川君は自分に正直な普通の男の子なんですから!」
話し方こそ違うが、ここに入ってきたのは楯さんに間違いない。
厳めしい男は、娘の激しい剣幕に対し一つ厳かに咳払いをすると、堂々とした態度で腕を組んだ。
「騒ぐな、洋子。儂はただ、緇素衡直流武術の総指南役として、この若者の器量を確かめていただけだ」
楯さんのお父さんだというこの人物は俺に向き直る。
「自己紹介がまだだったな。儂はこの洋子の父であり、緇素衡直流道場の総指南役、楯大和之介という者だ。乱暴な真似をしたことは謝罪する」
そう言って、楯大和之介は俺に深々と頭を下げた。
頭を下げられても、困ってしまう。
この場合「いえ、どういたしまして」とでも返すべきなのだろうか。
マナーを学んでいないので適切な対応の仕方がわからない。
それにしても――、総指南役、楯大和之介。
その重々しい響きに、俺の脳内ガラクタ置き場に転がっていたある記憶が目を覚ました。
何かの雑誌の記事で見た、鋭い眼光の男だ。
現代的なスポーツマンらしさとは全く異なる、日本武術の一派を率いる家元の風格。
今時こんな古風な日本人もいるのかと思ったことを思い出した。
その人物といま対面している。
しかも、同じ部活の楯さんのお父さんだなんて。
同じ「楯」という希少な苗字でも、金髪バチバチメイクの今時ギャルである楯さんと古風な武術の達人が親子だなんて、一体誰が想像できるだろうか。
「濁川君、本当にごめんなさい。うちの父が、こんな大変な真似をして……」
いつもの「マジで?」「ウケる!」といった軽快なギャル語を完全に封印し、綺麗な正座で深く頭を下げる楯さん。
服装やメイクはギャルそのものなのに、しとやかな所作というギャップが途轍もない。
俺の心臓はさっきとは別の意味で激しく脈打ち始める。
「おい、洋子。男というものは、いざという時に女を守る肝の据わり方が必要なのだ。誘拐という極限状態での彼の対応を見るのは、理にかなっている」
「理にかなっていませんよ、お父さん! 普通に犯罪ですよ! 警察を呼ばれたらどうするつもりなんですか!」
大和之介さんのもっともらしい言い訳に、すかさず楯さんは激しいツッコミを入れる。
「その時は儂が警察に話をつける。警察にも儂の門人は多いことは知っているだろう?」
「ああ……」
楯さんは額に手を当てて、大きく溜息をつく。
どうやらこの拉致イベントは、俺が楯さんと付き合うにふさわしい男か試すため、お父さんが楯さんに知らせずに勝手に始めたことらしい。
楯さんが家の用事があるからと先に帰ったのも、楯さんを俺から遠ざけるために嘘の用事を伝えられたからのようだ。
黒服の男たちはおそらくここの道場生なのだろう。
彼らがこの茶番劇の役者となることにノリノリだったのか渋々だったのかは少々気になるところだ。
しかし、もっと心配なことがある。
「あの……」
俺は恐る恐る挙手した。
「俺が……僕が連れ去られた時、現場に一緒にいた黒須さんのことなんですが……」
すると大和之介さんは、ふっと笑みを浮かべた。
「心配には及ばん。濁川君を車に乗せた直後、あの娘に事の顛末を伝えてある。実はそのことはあの娘の母親も最初から知っていたのだ」
「えっ、黒須さんのお母さんも知ってるんですか?」
「うむ。むしろ黒須殿の母上からも『ぜひ我が娘の部活仲間として、その肝っ玉のほどを知りたい』と頼まれてな。今回の一件は、黒須家公認の合同審査でもあるのだ」
黒須さんのお母さんまで一枚噛んでいたとは……。
一般庶民とは違うとはいえ、親たちの倫理観はどうなってんだよ!
自分の娘の恋愛事情(?)を測るために、男子高校生を本気で拉致して試すなんて、いくらなんでも非常識とかいう次元ではない。
ドッキリのプラカードを持った矢島凜花が出てくる気配が一切ない理由がようやく分かったが、俺はあまりの怒涛の展開に、ただただ呆然とするしかなかった。
▽
「さあ、濁川君。お口に合うかわからないけれど、たくさん召し上がってね」
拉致事件が無事に(?)解決した後、俺は食事をご馳走になることになった。
目の前には、高級料亭にありそうな、漆塗りのお膳にのせられた豪華な和食が四人分並んでいる。
そして俺の正面には、仕立ての良い和服が信じられないほど似合う日本美人が微笑んでいた。
「あ、ありがとうございます……」
「私は洋子の母の真弓と申します。これでも、主人の道場で指導員をしておりますのよ」
優雅な笑みを浮かべたお母さんまで武術の達人か。
この家で少しでも敵対的な態度を取ったら、どんな目に遭わされることやら。
緊張で体が硬くなってしまう。
「お母さん、濁川君が緊張して固まってるではありませんか。……あ、ほら、濁川君、それ美味しいから食べて」
隣に座る楯さんが、そっと小皿を回してくれる。
その気遣う姿を見て、俺は思わずじっと彼女の顔を見つめてしまった。
髪は派手なブロンド混じりで、目元もばっちりギャルメイクのままなのに、背筋はピンと伸びて座り方は完璧な正座。
そして、お父さんやお母さんの前では、すっかり「育ちの良いお嬢様」の綺麗な話し方になっている。
「ど、どうかしたの?」
俺の視線に気づいた楯さんが、ふいっと顔を背けた。
いつもの「うーっす!」と遠慮なく肩を叩いてくるようなノリはどこへやら、わずかに頬を染めている。
俺は食事をしながら、それとなく楯さんがこの家らしくない姿であることを母の真弓さんに尋ねてみた。
「我が家の掟では、武術の稽古を怠らなければ服装や生活は自由ということになっていますから」
真弓さんが上品に笑いながら教えてくれる。
なるほど、伝統を重んじる家でありながら、課された義務さえ果たしていれば私生活は寛容らしい。
だからあの派手なギャル姿のまま、この厳格な和室の空気に不思議と馴染んでいたわけだ。
それと、以前、町で不良たちを痛めつけることができたのも、武術の稽古を怠らなかったからだということもわかった。
「言葉遣いも外では好きにしてよろしいと言ってありますが、この子、変な話し方はしていませんか? ギャル語とかいう……」
「ちょっと、お母さん、濁川君に余計なことまで聞かないで……」
恥ずかしそうに頬を染め、小さな声で抗議する楯さん。
学校と違う自分をあまり人に見られたくないのかもしれない。
いつもはスクールカーストの頂点に君臨して女王のように振る舞っているのに、今は借りてきた猫のように小さくなっている。自分の家なのに。
俺にしか観測できないシュレディンガーの借りてきた猫。
……やばい、意外と可愛いな。
いつも通りの陽キャなギャルの楯さんも話しやすくて好きだけど、このギャップ満載の、少しウブなお嬢様の一面は、反則級の破壊力がある。
世の中には常識を超越した人間がいるものだと、改めて感じるのだった。




