第25話 なかなか肝の据わった男だ
車内の空気は、高級車の本革シートに体を深く沈めているとは思えないほど、冷たく張り詰めていた。
隣の黒服たちは相変わらず前を見据えたまま微動だにしない。
俺はこいつらに一体何をされてしまうのか?
あんなことか?
まさか、こんなことか?
いや、それとも……!
それより、どうやって逃げればいいんだ……?
……おいおい、ちょっと待てよ。冷静になれ、濁川清!
ぐるぐると目まぐるしく回転する思考の中で、クロスワードパズルを解くように、俺はある一つの仮説にたどり着いた。
この現代日本において常識を木っ端微塵に打ち砕くような狂った規模の誘拐劇を俺なんかに対して仕掛けてくる人間に俺は一人しか心当たりがない。
――矢島凜花。
そうだ、絶対にあの女の仕業だ。
確かに彼女は学校からの去り際に「また今度企画持ってくるから」というようなことを告げていたではないか。
テレビのバラエティ番組によくあるドッキリを個人規模で、しかも本物の役者を雇って実行したのだ。
俺と同じぐらいの年齢の女の子がそんなことを……。
お金だってかかるだろうし、インフルエンサーとして結構儲かってるんだろうなあ。
だけど、俺なんて、クロスワードパズルの件でほんのちょっぴり世間の注目を集めただけの、極めて普通の男子高校生だぞ。
こんな大がかりな悪戯のターゲットにするなんて、矢島凜花、なんて恐ろしい女……!
しかし、ここで黒服たちに「これドッキリでしょ?」と指摘するのは、あまりにもエンタメ精神に欠けるというもの。
俺だって、せっかくの超大作企画を無粋な一言で台無しにする野暮天ではないつもりだ。
ここは一つ、気づいていないフリをして、仕掛け人の彼女が待つゴールまで黙って付き合ってやろうじゃないか。
目的地に着いたら、きっとチャンネル名か「ドッキリ大成功」と書いたプラカードを掲げた凜花がカメラマンたちと一緒に現れて、笑顔でネタばらしをしてくるに違いない。
そう、間違いない。
そんな風に自分を無理やり納得させているうちに、ミニバンは静かにスピードを落とした。
窓の外を見ると、そこにあったのは現代の日本とは思えないほど立派な、大名屋敷のような和風の建物だった。
ここが矢島凜花の実家なのだろうか?
それとも、この撮影用にわざわざ借りたロケ地かな?
車から下ろされた俺は、抵抗する気も起きないまま、黒服の男たちに左右を挟まれて屋敷の中へと案内される。
長い廊下を歩くたび、足音が無駄に響いて緊張感を煽ってくる。
どこかでカメラが回っているかもしれない。
俺は今、やらせドッキリ番組の俳優なのだ。
やがて通されたのは、何十畳あるかもわからない、いかにも殿様がいそうな佇まいを見せる大広間だった。
部屋の奥、一段高くなった場所に座っていたのは、仕掛け人の矢島凜花……ではなく、立派な和服に身を包んだ、見るからに厳めしい年配の男だった。
鋭い眼光、ビシッと通った背筋、そして全身から醸し出される魔王のような威圧感。
一言で表現するなら、完全に「本職のヤクザの親分」である。
……うわぁ、凄い迫力の役者さんを連れてきたもんだ。
でも、いくらなんでも演技にしては貫禄がありすぎないか?
矢島凜花、これ予算かけすぎでしょ……。
冷や汗が背中を流れるのを自覚しながらも、俺はここでビビったら負けだと自分に言い聞かせた。
一人で恐る恐る男に近づき、彼の正面に、ここに座れとばかりに敷かれた座布団の上に正座する。
男は、じっと俺の目を睨みつけてきた。
その沈黙は永遠のようにも思えたが、やがて男の口元が不敵に歪んだ。
「ほう……。儂の前に出てきて、これほど取り乱さぬとはな。聞いた通りの、なかなか肝の据わった男だ」
「は、はあ……?」
褒められたらしい?
しかし、彼の発言の意図がわかりかねる。
少しは取り乱した方がリアルだし、仕掛ける側としては面白かったのだろうか。
男は満足げに深く頷くと、さらにとんでもない言葉を口にした。
「気に入った。その度胸。まさに、儂の娘の学侶にふさわしい」
「……はい?」
儂の娘のガクリョ?
何を言っているんだ?
頭の中のパズルがバラバラに崩れ去り、俺の混乱が最高潮に達して限界を迎えようとしたその時だった。
スパーン! と、大広間の襖が勢いよく開いた。
「ちょっと、お父さん! 濁川君に何を勝手なことしてるんですか! 怖がってるじゃありませんか」
鋭い声と共に部屋に飛び込んできたのは、派手な髪色にバチバチのメイク、そして今をときめくギャルそのものの、あの人物だった。
「た、楯さんっ?」
まさか、矢島凜花ではなく、楯さんが現れるとは。
純和風の畳敷きの広間と、ギャルの楯さんの存在が不釣り合いすぎる。
そもそも何故ここに楯さんが?
ていうか、今「お父さん」って言葉が聞こえたような……。
楯さんはいつものギャル語を封印し、その和服の男に向かって柳眉を逆立てて普通の丁寧な日本語を話したのだ。
呆然とする俺をよそに、強面の男は楯さんを睨む。
「洋子。何だ、その襖の開け方は。はしたない」
楯さんもお父さんと呼んだ男を睨む。
ドッキリのプラカードを持った矢島凜花が出てくる気配は全くない。
何が起きているんだ?




