第21話 濁川君に会いたくて
「あ、あの、矢島さん……? なんで俺の名前を……?」
俺は必死にぐるぐると回る脳味噌をなだめ、どうにかそれだけの言葉を絞り出した。
目の前でまぶしい笑顔を輝かせる美少女――矢島凜花は、首をちょこんと斜めにと傾けてみせる。
可愛い女の子がやれば何百倍も可愛くなる仕草だ。
可愛くない奴なら――、特に何も言うまい。
「え? だって濁川君に会いたかったからだよ!」
「会いたかった……、いや、そう言われても……。それに、なんで俺の名前を?」
「それはね、濁川君に会いたくてここに来たから!」
「いやいや、理由になってないし……。因果関係が逆というか……、前提がすっ飛ばされてるというか……」
これが小泉構文ってやつか? 違うか?
しかし、矢島凜花は俺の指摘など気に留める様子もない。
さらに距離を詰めてくる。
「もお、濁川君ってば細かいなぁ。そんなことより、会えて本当に嬉しい! ほらほら、私の本物だよ。触ってみる?」
キスかと思うぐらい顔を近づける矢島凜花。
ついさっき俺の腹の上に尻を乗せていた女だというのに、今更顔に触ったところで……って、そんなことは問題じゃない。
「さ、触るなんて……、そんなことは別に……。まあ、その、理由はともかく、どうして学校の木の上にいたのです?」
「ええっと……、だって、その方が面白いかなとか思って!」
クスクスと微笑む。
どう面白くなるのかは、俺にはわからない。
「面白いかなって……、木に登ってウケるのは『ヤッターマン』の豚ぐらいだよ」
呆れたついでに、つい古いアニメのネタが出てしまう。
「きゃはは、豚って何それ? 濁川君ってやっぱり面白いこと言う!」
鈴を転がすような美声で笑う彼女。
確かに人気が出るのも頷けるほどの超絶美少女だし、身のこなしもハキハキしていて華がある。
だけど、圧倒的なまでに会話が噛み合わない。
住む世界が違う人種特有のオーラをビンビンに感じた。
スターには独特のオーラがあるとよく巷で語られることではあるが、これがそうなのだろうか。
それにしても、頭の回線のつながり方が普通とは違う人だ。
地球での暮らしに不慣れな宇宙人と会話しているかのような感覚に襲われる。
やはり、芸能人になるような人は、普通とは違うエキセントリックな性格らしい。
「ひ、ひえぇ……濁川が雲の上のアイドルと、なんか夫婦漫才みたいなノリで普通に会話してる……」
真横では、過呼吸寸前だった須藤が、魂の抜けたような顔で俺たちのやり取りを呆然と眺めていた。
普通なら、俺だってこんな美少女を前にしたらド緊張で泡を吹いて倒れていたはずだ。
それなのに、なぜか今は会話を交わす余裕がある。
(……ああ、そうか。楯さんと黒須さんのおかげだな)
日々、活発な楯さんと無口な黒須さんと同じ小さな部室で過ごしているおかげで、俺の「女の子との会話スキル」は、いつの間にか鍛えられレベルアップしていたらしい。
部室が「精神と時の部屋」みたいなものだったのだ。
ありがとう二人とも。
まさかこんな限界状況で、あの特訓(?)の成果が発揮されるとは思わなかったよ。
「あのね、濁川君。私はただ、びっくりさせようと思っただけなんだよ」
矢島凜花は、平然とした様子で短いスカートの砂をぽんぽんと払いながら話し続ける。
その内容を俺の脳内翻訳機で要約すると、こうだ。
俺に会うためにこの学校へこっそり潜入したものの、途中で先生だか生徒だかの足音が聞こえたらしい。
焦った彼女は「あ、あそこにちょうどいい隠れ場所が!」と、何をトチ狂ったか校庭の木に飛び移り、そのまま息を潜めていた。
そしたら、運良くなのか運悪くなのか、俺と須藤がその下を通りかかり、それを見てバランスを崩してドスン、というわけだ。
「……なんて無茶苦茶な真似を。怪我でもしたら大ニュースだ」
「えへへ、でも濁川君が受け止めてくれたからセーフ! これがキューピッドの矢? かもね!」
「矢というより大砲の弾を食らった感じだったが……。しかもかなり重い」
「女の子に向かって重いとか言わないの! これでもプロポーションの維持には気を使ってますぅ!」
ぷくーっと頬を膨らませて怒る彼女を見て、俺は小さくため息をついた。
「そ、そ、そうだぞ、濁川。し、しつ、失礼じゃないか」
ろれつの回らない口で須藤が俺を非難する。
完全に生矢島凜花に魅了されてしまっているようで、目がガンギマリ状態だ。
俺は矢島凜花のアイドルパワーに恐れ入る。
しかし、同時に、ふと思った。
彼女は今をときめくトップアイドルであり、流行を支配するインフルエンサーだ。
もしかして、この「木から降ってくる」という突拍子もない行動すら、計算された「バズるための演出」の一環だったりするのだろうか。
一見するとド天然の暴走列車だが、実は恐ろしく計算高い女狐的な少女なのかもしれない。
底が見えなくて、少し背筋が寒くなった。
「あ、こっちは濁川君のお友達っすか?」
「は、はいっ。濁川の友達をやらされられさせ……てもらっている須藤です!」
須藤が矢島凜花に話しかけられて舞い上がっているその時だった。
こちらへ近づいてくる足音が聞こえた。
部外者が学校内に入ってきたことで揉め事が起こると面倒なので、あまりこの状況を多くの人には見られたくないのだが。
俺と矢島凜花と魂が抜けかけていた須藤の視線が、同時に音のする方へと向く。
「濁川君……。それに……」
俺たちの方へ近づいてきたのは、体操服姿の黒須さんだった。




