第2話 入部させてくんない?
翌日からのクロスワード部は、俺の淡い期待を綺麗に裏切り、初日から実に静かで密やかなものだった。
放課後の西日が差し込む古びた部室。
机を挟んで向かい合う俺と黒須殊羽さんの間には、ただシャープペンシルの芯がパズル雑誌の紙をさらさらとこする無機質な音だけが響いている。
まるで放課後も勉強にいそしむ生真面目なガリ勉だが、やっていることはただの遊びであるパズルだ。
言葉を巧みに操り、空欄を埋めていくはずの部活のくせに、悲しいかな、当事者である俺たちの間に生きた言葉の交差は絶望的に少なかった。
何か話さなければという焦燥感だけが空回りし、俺は必死にパズルの中から会話のフックになりそうなワードを探す。
「……あの、黒須さん。ここの縦のカギ、三文字の『薄くなる前はブラウン管』って、わかりますか?」
つい簡単なわかりきった問題を尋ねてしまった。
しかも、同学年相手に上級生に対するような敬語で。
「……テレビですね」
「あ、やっぱりそうですよね。スッキリしました、ありがとうございます」
「……はい」
はい、会話終了。
おいおい、一発屋芸人のテレビ露出期間かってぐらい早く終わっちまったぞ。
黒須さんは相変わらず、黒縁眼鏡のレンズ越しに見える綺麗な瞳をパズル雑誌に落としたままだ。
何も話したくないわけではないのは、俺にも伝わってくる。
俺同様に口下手なのだ。
黒須さんという物語の「カギ」は、まだ俺の白黒な日常に新しく瑞々しい言葉を書き込んではくれないらしい。
甘酸っぱい青春の沈黙というより、これではただの気まずい二人だ。
端から見れば、険悪なムードのカップルかと思うかもしれない。
実際は険悪になる前段階にすら到達していないってのに。
▽
そんなじれったくも平穏な日常に、唐突で強烈な「縦のカギ」が割り込んできたのは、それから二日後の昼休みのことだった。
先生に言いつけられた雑用をこなすため、賑やかな廊下を教室へ向かって歩いていた時のことだ。
「ねえねえ、ちょっとそこの君さー!」
背後から飛んできた、少し高めで通る鋭い声に、俺の陰キャセンサーが激しくアラートを鳴らした。
恐る恐る振り返ると、いかにもって感じのギャルが立っていた。
やや褐色の肌に陽光を浴びてきらめく金髪混じりの巻き髪に、校則を無視して短くされたスカート、そして手首には何重にも重ねられた派手なブレスレットをジャラジャラと鳴らした女子だった。
彼女の名前は楯洋子。
俺と同学年だが別のクラス。
学校内でも目立つ存在なので、名前は知っていた。
二年生にして、この学校のスクールカーストの頂点、いわゆる一軍に君臨するギャルの一人だ。
これが一軍の将というやつか。そういう意味じゃないって。
(ひえっ、まさかのインネンつけられた? 俺、知らないうちに彼女の地雷でも踏んづけたか……?)
ガチガチに身構える俺の前へと、楯さんは遠慮のない足取りでずいと顔を近づけてきた。
ふわりと漂う甘い香水の匂い。
恐怖と甘さのツープラトンに俺の心拍数は一気に限界突破の数値を叩き出す。
「君って、濁川だっけ? 字を縦横に書いてくあれ……クロスワード部の人っしょ?」
「え、あ、うん。そうだけど……それが何か……」
「よかった! 探してたんだよねー、その部活!」
俺のガチガチの警戒をよそに、楯さんはパンッと小気味よく両手を叩いて満面の笑みを浮かべた。
そして、目の前の陰キャ男子が耳を疑うような、信じられない言葉を突きつけてきたのだ。
「あたしさ、その部活に入りたいわけ! ね、入部させてくんない?」
「……は?」
俺の口から、情けないほどマヌケな声が漏れ出た。
ギャル系女子高生とクロスワードパズル。
これほどあり得ない組み合わせも珍しい。
テレビの画面にこの両方が同時に映し出されたことなど、未だかつて一度たりともなかったのではないか。知らんけど。
日常をテンションとノリで生きている彼女たちの人生に、クロスワードなどという地味な概念が存在するのだろうかすら疑問だ。
「あ、ごめん。あたしのこと知らなかったよね。あたし、楯洋子。ね、入部、いいっしょ?」
「あの、た、楯さん? うちの部活、華やかな活動なんて一切なくてですね、ただ地味にパズルをやるだけの場所なわけでして……」
何故か声が上擦り早口になってしまう俺。
「そんなん知ってるし! でもさ、あたし、そういうの割と結構得意だから! マジめちゃくちゃ興味あるわけ」
キラキラとした濁りのない笑顔でそう言い切る楯さん。
その大きな瞳は、決してからかって冗談を言っているようには見えなかった。
まさか、俺の空欄だらけの寂しい青春のノートに、黒須さんという静かな文字とは全く違うタイプの、ネオンカラーの強烈な言葉が書き込まれようとしているのだろうか。
モノクロで静寂に包まれていた部室に、まさかのギャル襲来。
楯さんが俺や黒須さんとうまくやっていけるのか、かなり不安だ。
俺たちのクロスワード部は、本格始動の直後にして、早くも大波乱の予感が激しく漂い始めていた。




