第15話 ねえねえ、そこの二人
翌日、校門をくぐった瞬間に、俺は異様な空気を感じ取った。
昨日以上に過熱したクロスワードブームの熱気が、学校全体を包み込んでいたのだ。
昇降口へ向かう下駄箱のロッカーの上。渡り廊下のベンチ。さらには、普段ならスマホをいじっているはずの始業前の教室。
校内の至る所で、生徒たちが数人で頭を突き合わせ、一枚の紙を熱心に睨みつけている。
見れば、それは我がクロスワード部が発行した部誌のコピーだった。
「ほら、この縦の7、『甘くて冷たい夏の定番』って『スイカ』じゃない?」
「あ、そうか。『アイス』かと思ってたけど、それじゃ横に入る言葉と合わなくて変だなって……」
そんな会話が、あちこちの席から聞こえてくる。
「あーあ、完全に海賊版が出回っちゃってるじゃん。コンビニのコピー機、うちの学校の生徒のせいで大繁盛なんじゃない? これが常態化したら、あたしたちの部費にならないんだけどな。……まあ、現実的に考えて、全校生徒のコピーを一枚ずつ取り締まるなんて止めようがないんだけどさ」
たまたま廊下で一緒になった楯さんが、はぁ、とわざとらしい溜息をつく。
部費が入らないことを悔やんでいるのではなく、コピーが出回るほどの人気に驚き呆れている感じだ。
俺も、部誌を売って金儲けをするつもりなんて毛頭ない。
けれど、自分たちが放課後にコツコツ作った手作りの冊子が勝手に大量複製され、まるで無料のフリーペーパーのように消費されているのを見ると、嬉しいような悲しいような、なんだか少し複雑な気分になる。
▽
そして放課後。
俺がクロスワード部の部室に入ると、机に項垂れて座る黒須さんの姿があった。
いつもの背筋がピンと伸びた彼女からは想像もつかないほど、あからさまに落ち込み、浮かない顔をしている。
話しかけづらい。
俺は軽く挨拶をして自分の席に腰をかける。
続いて楯さんが入室。
「ちょっと、黒須っち、黒須ちゃん、どしたん? そんなに暗い顔して、せっかくの学園ビューティーナンバーワンが台無しぃ」
楯さんが荷物を置きながら声をかけると、黒須さんはのそりと重罪人のような顔で顔を上げた。
眼鏡の中の大きな瞳には、世界の終わりを凝縮したような申し訳なさそうな色がベッタリと張り付いている。
そして、意を決したように、小さな声でぽつりぽつりと話し始めた。
なんと、この異常なクロスワードブームを仕掛けた女子高生インフルエンサー、矢島凜花のバックにいたのは、黒須さんのお母さんとお姉さんだったというのだ。
「ええっ! 黒須ちゃんの家の人って、そんな芸能界に影響力があるの? 凄すぎじゃん」
「そこまでやる人だったとは……!」
楯さんと俺は思わず声を揃えて驚愕した。
一般家庭のスケールを遥かに超えた黒須家の謎の権力と人脈に、背筋が少し寒くなる。
「ごめんなさい、濁川君、楯さん……。私の家族のせいで、余計な仕事を増やしてしまって……」
消え入るような声で、今にも泣きそうに謝る黒須さん。
だが、俺と楯さんがそんなことで黒須さんを責めるわけがない。
「何言ってるの、黒須ちゃん! 別に余計な仕事とか思ってないって」
「そうそう。少しぐらい大変な仕事があった方が楽しいし」
「それに、大量に部誌を印刷しなくたって、誰かがコピーを作っちゃうしね」
俺たちが笑ってそう告げると、黒須さんは驚いたようにパチパチと目を見張り、それから本当に嬉しそうに、頬をほんのり桜色に染めて俯いた。
その少女らしい初々しい反応に、俺はちょっとドキッとなった。
――そんな温かい空気のまま、俺たち三人は並んで下校の途についた。
▽
学校の敷地を出て、俺たち部員三人はオレンジ色に染まる町並みを歩く。
普段は黒須さんも楯さんも別々に帰宅しているのだが、この日は珍しく一緒だった。
駅へと続く商店街は、いつものように買い物袋を下げた主婦や、部活帰りの他校の生徒たちで賑わっている。
俺たちは寄り道はせず、商店街から駅への近道である裏路地へと足を進めた。
平和で、少し甘酸っぱい、いつも通りの放課後のはずだった。
「ねえねえ、そこの二人。ちょっといい?」
コンクリートの塀の影から、制服の第一ボタンを外し、だらしなくズボンを下げたガラの悪い他校の不良高校生たちが現れた。
普段はそんなに治安の悪い道ではないのだが。
不良の数は約五人。正確な数でないのはちゃんと数えなかったからだ。
そいつらが瞬時に俺たちを囲むように路地の前後を塞いできた。
ヤンキーの中でもかなり人相の悪い奴らだ。
この顔でナンパとは、頭も悪いらしい。
どうやら、少し前から黒須さんと楯さんを付け狙っていたようだ。
特にいかにもギャルな楯さんなら簡単に落とせると思っているのかもしれない。
(またこのパターンか……。面倒くさいなあ)
数日前にも同じように道でチンピラに絡まれたことがあった。
その時は、楯さんが睨みつけただけで、相手は背筋を凍らせてビビって退散していったのだ。
今回も、楯さんのあの恐怖の「裏番長モード?」が発動すれば一発で解決する――そう高を括っていた。
案の定、楯さんが一歩前に出て、鋭い眼光で不良たちを射すくめる。
だが、おかしい。
不良たちは怯えるどころか、お互い顔を見合わせてニヤニヤと下品な笑みを浮かべたままだ。
「あ? その目つき、可愛いじゃねえかよ」
こいつら、底抜けの馬鹿なんだ。
楯さんのあの目つきの裏にある恐ろしさが本能的に理解できないタイプの、怖いもの知らずなのだ。
こいつらに比べれば以前のチンピラの何と賢いことか。
「どいてよ! あたしたち、家に帰るところだし」
楯さんは、相手にしてもしょうがないと悟ったようだ。
不良たちの間を縫うようにして立ち去ろうとする。
俺と黒須さんも楯さんに続く。
「おい、こいつは何なんだよ」
ギャルと清楚系に混じっている陰キャの俺は、誰の目にも異物感が強いらしい。
不良たちは俺を嘲笑する。
一人の体格のいい不良が、邪魔だとばかりに俺の胸ぐらを掴んで、コンクリートの地面へと思い切り突き飛ばした。




