8、織田信秀の野望
十二月。木下小一郎は那古野城下に来ていた。
「賑やかよのう」
小一郎は整備された街道を武士たちと歩いていく。武士たちは平然としていた。この武士たち、正体は中村の百姓である。
中村の農民は自衛意識を高め、木下家に仕える者も現れた。中村は那古野と清洲の間にあり、安全保障が求められる危険地帯になっている。
そこで出てきた小一郎に中村の百姓たちは期待したのである。
目的は柴田土佐守の屋敷であった。小一郎は屋敷に入ると、庭には男が一人立っていた。
「待っておったぞ」
男はにこやかに笑顔を浮かべた。織田備後守信秀、織田家当主として大大名として君臨する尾張国屈指の武将である。
「此度は何用でございましょうや」
木下小一郎は落ち着き払った声で応じる。信秀は笑顔のまま、小一郎を茶室に招き入れた。
茶室に二人だけで入る。
「そなたに会いたくてな。……ふむ。もはや美濃は我の物よ。美濃を攻め取ったのち、朝倉と天下を二分し、近江の六角を攻め滅そうと思う」
信秀はもはや勝ったつもりでいた。土岐家は内部分裂し、弱っている。
「小一郎よ、その後で儂は隠居し、吉法師に家督を譲る。小一郎は吉法師を支えてやって欲しいのじゃ」
「吉法師様が家督を」
「そうじゃ。奴には侠の気がある。藤原に天下の差配などできぬ。関白となり、朝廷の一切を取り仕切る。吉法師にはそれができよう」
信秀はうんうんと頷く。小一郎は静かに信秀を見つめた。
「その時は小一郎、そなたと吉法師でこの国を統べよ」
「……ははっ」
小一郎は良い返事をする。信秀は元気の良い返事に気を良くし、何度も頷く。……しかし、小一郎はこの先の歴史を知っていた。信秀の美濃攻めは大失敗に終わる。織田家臣は多く討ち死にし、信秀は痛手を被るのだ。
相手は戦上手の斎藤道三だ。信秀でも簡単に勝てる相手ではない。
その未来を知っている木下小一郎にとって、信秀の構想は同意しかねるものだった。仮に美濃を攻め取った後も今川義元、武田信玄と強敵がごろごろいる。
織田家の天下制覇は難しい……小一郎はそう読んでいた。それよりも中村の開発が優先だ。織田家が戦に疲弊していくことに巻き込まれることを避けなければいけない。内政で頭がいっぱいになった小一郎は上機嫌の信秀の話に相槌を打ちながら聞くのだった……。
小一郎不在の中村では木下弥右衛門が甲冑を眺めていた。
「良い出来栄えじゃ。侍大将として、武功を立てねばのう」
弥右衛門は槍には自信がある。これからの戦で信秀を唸らせて見せる。弥右衛門の上昇志向には火がついていた。
「末は大名か。一国一城の主にな。ハハハ……」
笑い声を上げる弥右衛門。美女を侍らせた未来の自分が想像できる。良い時代に生まれたものだ。弥右衛門は笑みを浮かべた。すべて小一郎のおかげだ。
「まあ、弥右衛門殿。これは……」
徳が甲高い声を上げた。庄屋の妻で久の母親に当たる。母親と言っても十代のほんの小娘だ。弥右衛門と密通を繰り返し、よく遊びに来ていた。
「徳か。見よ、儂の新しい鎧じゃ。ククク……南北朝の戦再びと言ったところよのう。足利の力は尾張にも及ばぬ。ここは槍を振るい、木下弥右衛門ここにありと示そうぞ」
「まあ!頼もしい!それでこそ木下弥右衛門殿。この村の英雄ですわ」
弥右衛門は胸を張る。徳がうっとりした顔になる。弥右衛門の出世に村の女たちは黄色い声を上げている。弥右衛門は黄色い声にますます自信を深めていくのだった。




