きみの生まれる日
2023年11月25日に、コミカライズ最終巻の5巻が発売されます
また、2023年11月4日にところざわサクラタウンで開催された喫茶来 TOKOROZAWA TEA FES 2023にて、本作品をテーマにしたトークイベントが行われました
『捨てられ白魔法使い』シリーズを読んでくださった皆様、出版に携わってくださった全ての方々に、心から感謝申し上げます
ありがとうございました!
ポルクの夏は暑すぎることなく、爽やかな山風が家屋の間を吹き抜けるため日中でも過ごしやすい。
窓の外で白い洗濯物がはためくのを、ユーゴはぼんやりと眺めていた。いつもならばこんなにいい天気の日は外に出て遊ぶのだが、さすがに今日はそういう気分にはなれなかった。
ユーゴは、振り向いた。部屋の隅に置かれた椅子に腰掛ける男性は、先ほどから全く姿勢が変わらず額に両手を当てるような格好でうつむいている。かれこれ一刻はあの姿勢のままだが、腰が痛くならないのだろうか。
「レオナルド、もう少し気を楽にしたらどうだ。ママのことが心配なのは分かるが、これではそなたの方が倒れてしまうだろう」
「……」
「……パパ」
ユーゴが呼び方を変えると、レオナルドははっと顔を上げてこちらを見た。そして、いつの間にそこにユーゴがいたのだろうか、と言わんばかりの目で見てくるので、ユーゴはやれやれと肩をすくめて椅子から飛び降りた。
「エヴァも言っていただろう。今のおれやパパにはできることがなくて、むしろ後の方で忙しくなるんだから今のうちに休んでおけと」
「それはそうだけれど……」
「おれが無理矢理眠らせてやってもいいんだからな?」
「はは……それは遠慮するよ」
レオナルドは、苦笑した。先ほどよりは少しだけ顔色がよくなったようで、ユーゴはほっとしたが――どこからともなく猫の仔のような鳴き声が聞こえてきたため、はっと顔を上げた。人間であるレオナルドよりも、竜であるユーゴの方が五感が鋭かった。
「今、声が――」
「えっ……」
「……あ、いたいた! レオナルド、ユーゴ!」
一人分の足音が近づき、バン、とドアが開いた。
そこに立っていたのは宿屋の娘のエヴァで、うなだれていたレオナルドは彼女を見てさっと立ち上がった。
「エヴァさん! アマリアは……」
「大丈夫。無事に生まれたし、アマリアも疲れたみたいだけど元気そうで……」
エヴァの言葉の途中で既にレオナルドは走り出しており、自分の傍らを通っていった彼を見てエヴァは苦笑を漏らした。
「……ったく。一丁前に旦那の顔をしてから……」
「エヴァ、ママは無事なのか?」
「うん、命に別状はないよ」
エヴァに改めて言ってもらえて、ユーゴはほっとした。
……半年ほど前から、ユーゴの母であるアマリアのお腹が大きくなってきた。当時のユーゴはその理由が分からなくて何か悪い病気に罹ったのではないかと思ったが、アマリアは笑って「赤ちゃんができたのよ」と教えてくれた。
ユーゴは、竜だ。竜は、卵生である。
竜が卵を産むところ、卵から竜が生まれるところは、見たことがある。てっきり人間も同じように子孫を残すと思っていたので、アマリアが卵を産まないと聞いて最初はわけが分からなかった。
……そして、竜の産卵と違い人間の出産では母親が命を落としかねないことや、子どもが無事に生まれないこともざらにあることなどを聞いて、戦慄した。
危ないことはやめて、と言おうとしたが、アマリアとレオナルドの表情を見て言葉を呑み込んだ。
アマリアもレオナルドも、子どもが生まれることを心から望んでいる。アマリアは自分の命の危機がある可能性も考慮した上で、お腹の子を産むと決めている。
彼女が誰よりも愛する、レオナルドの子を。
エヴァはユーゴを見て、「ユーゴも行こっか」と誘ってくれた。
「レオナルドは、アマリアのところにいると思うんだよね。だからユーゴは一足先に、赤ちゃんに会いに行こうか」
「……うん、会う!」
赤ちゃん、の言葉に反応したユーゴはエヴァに手を取られて、別室に向かった。
今日はアマリアの出産のために、宿屋を貸し切って使わせてもらっているのだった。ポルクの女性陣たちがお産の手伝いに来てくれているため、宿屋は賑やかだった。
エヴァは「こっちは、アマリアが休んでいる部屋ね。血の臭いがするから、ユーゴは後にしようね」と閉められたドアの前で教えてくれた。
確かに、竜であるユーゴは血の臭いに敏感だ。出産直後のアマリアに会うのは、もうちょっと待った方がよさそうだ。
エヴァに案内されたのは、その隣の部屋だ。ほぎゃ、うぎゃ、とかいう変な声が聞こえてくる。
「ユーゴが来たよ」
「ああ、お兄ちゃんが来たのね」
部屋に入ると中年女性がユーゴを見て言ったので、ユーゴは胸がそわそわしてきた。
「お兄ちゃん」。
そう、ユーゴは今日、お兄ちゃんになったのだ。
中年女性は、白いものを抱えている。エヴァの手を借りて椅子に座ったユーゴの前に、白いそれが差し出される。
「ほら、女の子だよ。ユーゴの妹」
「おれの、妹……」
ユーゴは、白い布にくるまれたそれをじっくり見た。
赤くて、しわくちゃで、うごうごしている。
なんというか、あまり人間っぽくない。
ユーゴが怪訝な表情になったからか、エヴァが噴き出した。
「あのね、人間はみんなこんな感じで生まれるの。ここから何年も掛けてちょっとずつ成長して、二十年くらい経ったらアマリアみたいな女の人になるのよ」
「アマリアとレオナルドの娘なんだから、きっと美人になるんだろうねぇ」
中年女性も頬を緩めて言ったので、ユーゴは改めて妹を見てみた。
やはり見れば見るほど珍妙な生き物だが、アマリアもレオナルドもエヴァも、皆こんな感じで生まれてくるものなのだ。ということは、ブルーノやアマリアの父であるロドルフォのような中年男性も、最初はこんな感じだったのかもしれない。
「……おれの、妹」
ユーゴが改めて呟いたところで、背後のドアが開いた。振り返らずとも足音で、やってきたのがユーゴの養父であると分かる。
「あっ、ユーゴが先に来ていたか。……ええと、すみません、お世話になりました」
「気にしないで。アマリアは、どうだった?」
「疲れているようなので、少し寝ると言っていました。……あの、それで、子どもは――」
「ほら、パパが抱っこしてあげなさい。可愛い女の子だよ」
「わ、と……」
中年女性からおくるみを渡されたレオナルドは、ぎこちなく娘を抱っこした。ユーゴの位置からはレオナルドの顔は見えないが、何となく彼が泣いているような気がした。
「パパ、泣いているのか?」
「……うん、そうだね。ユーゴの前で泣くのは、初めてかもな」
レオナルドはそう言って、笑った。
ユーゴは、レオナルドが泣くのを初めて見た。ユーゴの知っているレオナルドは穏やかな青年で、愛するアマリアを害するものに対して怒りをあらわにしたことはあったが、泣いたことは一度もなかった。
だが、情けないとはちっとも思わなかった。
妻は無事で、娘も元気に生まれてきた。
彼は、そのことが嬉しいのだろう。
そしてユーゴもまた、血のつながりはなくて種族も違うとはいえ、この世に生まれてきた妹との出会いが、泣きそうなほど嬉しかった。
アマリアの体調が戻るまでユーゴたちはしばらく宿屋で暮らし、それから家に戻ることになった。
「僕たちが宿屋で暮らしている間に、ブルーノさんたちがうちの模様替えや増築をしてくれたみたいです。一階のリビングの隣に、もう一部屋増設されているそうですよ」
「そうなのね! それじゃあそこを、子ども部屋にできるわ」
すやすや眠る娘をレオナルドに抱っこしてもらい、アマリアが嬉しそうに言っている。確かに、元々アマリアとユーゴが二人で暮らしていた一軒家は四人で暮らすには手狭だろう。
なお、最初は二階の部屋でアマリアと一緒に寝ていたユーゴは、アマリアとレオナルドが結婚したのを機に二階の部屋を両親に譲り、一階のリビングで寝ることにした。
二人は申し訳ないと言っていたしたまには三人で寝たりもしたが、こういう気遣いが必要なのだとエヴァからこっそり教えてもらっていた。
「それじゃあおれが、ベロニカと遊ぶね」
「あら、頼もしいわね」
「だっておれ、ベロニカのお兄ちゃんだもん!」
ユーゴがえへん、と胸を張ると、アマリアとレオナルドは笑った。
アマリアとレオナルドの娘は、ベロニカと名付けられた。養護院やマリアネラの町など、お世話になった人たちのところには既に手紙を送っている。きっと院長先生もロドルフォも、ベロニカの誕生を心から祝ってくれるだろう。
ベロニカ。
世界でたった一人だけの、ユーゴの妹。
ユーゴとベロニカは、体に流れる時間の早さが違う。
今は兄と妹と言っても何らおかしくない二人だが、数年もすれば同じ年頃のきょうだいになり、さらに時間が経てば姉と弟に見られるようになり――母と息子、祖母と孫のように思われる日が来るだろう。
だが、それでも。
「……生まれてくれてありがとう、ベロニカ」
この夏の日に生まれたベロニカは、永遠にユーゴが慈しみ守るべき妹だった。
秋は、おれがママと出会った季節。
冬は、ママが生まれた季節。
春は、パパが生まれた季節。
そして夏は、おれのたった一人の妹が生まれた季節。
これからも、おれたちは四人で暮らしていく。




