ユーゴ、成長する①
最近、ユーゴの様子がおかしい。
「ママ……」
「まだ、痒い? お薬が効いている感じはしない?」
「う、ん……分からない。でも、前よりはマシになったかも……」
そう言いながら、ユーゴはぼりぼりと腕を掻いている。既にそこは真っ赤になっており、血こそ出ていないが何とも痛々しく、見ているアマリアも胸が苦しくなってくる。
ここ数日、ユーゴは原因不明の痒みに悩まされていた。
初日は、「ちょっとかゆい」と言っていたので、外で遊んだときに虫に刺されたのだろうかと考えていた。竜でも虫に刺されたら痒いのだろうと思い、ひとまずブルーノの店で買ったかゆみ止め効果のある薬を塗り、肌の保湿効果のありそうな紅茶を飲ませた。
だがユーゴは寝ている間にも無意識のうちに肌を掻いていたようで、朝起きると腕の皮膚が真っ赤になっていた。腕だけでなく腹や背中、足も痒いようで、ずっと全身を掻いて辛そうにしている。
掻かない方がいいとアマリアも知っていたが、我慢させすぎるのはユーゴの精神状態的にもよくないと重い、爪を短く切った上でほどほどに掻かせることにした。
レオナルドも心配してくれていて、一緒に風呂に入る際に念入りに体を洗ってやったりしている。
そんな彼は今日、隣町へ仕事に行くついでにギルドで調べものをしてくれるということなので、何か回復の手がかりがあればよいのだが。
ユーゴに聞いたところ、冷やすよりは温める方が状態がよく、長袖より半袖の方が過ごしやすいようなので、アマリアはユーゴに半袖を着せた上で湯たんぽを持たせ、痒いところに当てさせるようにしていた。
(怪我じゃないから、白魔法ではどうにもならないし……見たところ、虫さされや植物かぶれでもなさそうなんだよね)
ここまでになるとアマリアの知識では追いつかなくなる。
ユーゴもここ数日は元気がないが、ポルクの皆が心配して様子を見に来てくれるのは嬉しいようだ。今も、エヴァが差し入れで持ってきてくれたお菓子を黙って囓りながら、左手でぽりぽり腕を掻いている。
「気候の問題かな? もしかしたら、日光かも……」
ユーゴの頭をよしよしと撫でながら、アマリアは考える。
ユーゴは十年前の秋頃に竜の山で目覚め、去年の秋と冬を過ごしている。ということは、彼は人間界の春や夏はまだ過ごしたことがないので、気候の変化が原因なのかもしれない。
(どうにかなればいいんだけど……あっ)
「ただいま戻りました、アマリアさん、ユーゴ」
「おかえりなさい、レオナルド」
「……おかえり」
リビングに顔を覗かせてきたのは、仕事を終えたレオナルド。いつもならユーゴが飛んでいって抱っこやおんぶをせがむのだが、今はそんな気力もないようで、アマリアの隣に座って小声で挨拶をするだけだった。
「お疲れ様。……その、どうだった?」
「仕事については、問題ありません。それから……ギルドの書庫で調べものをしまして、ひとつ、ユーゴの症状に思い当たることがありました」
「えっ、本当!?」
レオナルドから荷物を受け取ったアマリアが声を上げると、のろのろとユーゴも顔を上げた。元々色白だが今はその肌色は美白を通り越して青白く、目も潤んでいた。
「レオナルド……おれ、何か変な病気なの? 死んじゃうの……?」
「大丈夫だよ、ユーゴ。僕が調べたものが正しいのなら……君の体が痒いのは病気じゃないし、ましてやこれが原因で死ぬこともない」
「本当!? ほんとのほんとなの!?」
「僕はそう思っている」
いつになく弱気なユーゴをよしよしと撫で、レオナルドは荷袋から一冊の本を出した。
「これ、ギルドで借りた魔物辞典なのですが……ここ、見てください」
レオナルドはそう言い、紙の栞を挟んでいた箇所を開いた。
そこは竜についての生態がイラスト付きの細かい字で記されており、文字が読めないユーゴも覗き込んで、自分の仲間の絵をじっと見つめていた。
「さすがに竜が人間の姿になることは書かれていませんが……ここに、竜の成長についての記述があります。どうやら若い竜は成長する際、爬虫類と同じように、脱皮を行うそうです」
「脱皮」
「だっぴー?」
アマリアは呆然と、ユーゴが不思議そうに呟く。
(……え? それじゃあ、まさか……)
「実際に、まだ幼い竜が脱皮をしているところを観察した記録があり……ここですね。竜は全身を掻きむしり、古くなった皮膚をぼろぼろ剥がして脱皮したとあります。ヘビのようにぬるっと脱皮するのではなく、体の垢を落とす感じで古い皮膚を剥がすそうですね」
「……それじゃあ、ユーゴが痒そうにしているのは……?」
「脱皮の時期だから、ではないでしょうか。竜の脱皮は気候が穏やかな春に行われることが多い、とありますしね」
レオナルドが言ったので、アマリアは隣に座るユーゴを見た。
息子が脱皮するなんて、考えてもいなかった。
「……あの、ユーゴ。今の話、分かった?」
「んー、なんとなく。それじゃあおれが竜の姿に戻れば、皮がぼろぼろ剥けて、このかゆかゆもなくなるってことだよね?」
「それだけじゃない。脱皮は成長の証しだから、古い皮を剥がした竜の鱗は見違えるほど艶やかで、美しくなると書いてある」
「えっ! じゃあおれ、大人に近づくんだね!?」
それまでは「脱皮」と言われてもイメージが湧かないようだったが、「成長の証し」と聞いた途端にユーゴは目を輝かせる。
「それならおれ、脱皮したい! ねえ、ママ、レオナルド。脱皮してもいい?」
この世界中で、養子とはいえ息子に「脱皮してもいい?」と聞かれる母親なんて、自分しかいないだろうとアマリアは思った。
「そうね……竜の姿になるなら少し広い場所が必要だろうけれど、それさえ確保できたら脱皮するべきね」
「そうですね。竜の脱皮は長くても半日あれば終わるそうですから、広い場所に移動し、そこで思う存分脱皮できるようにしましょう」
「やった! ありがとう、レオナルド、ママ!」
この痒さとおさらばできる、しかも大人になれる、と分かったユーゴは、大喜びだ。
ご機嫌になったユーゴがすりすりと甘えてきたので、アマリアも微笑んでユーゴのつむじにキスをし――
「……あ、そうだ! おれが脱皮するところ、ママたちも見ていてね!」
「……え?」
「ね、いいよね? おれが大人になるところ、見ててほしいの!」
「……。……わ、分かったわ。レオナルドも、いい?」
「そ、そうですね。喜んで」
――これが「子育て」、そして「子どもの成長」なのかと、アマリアは遠い眼差しになったのだった。




