アマリアの悩み②
(うう……お腹が空いた……)
キッチンで薬草をより分けていたアマリアは、きゅうぅ、と情けない声を上げる腹部に手をやり、溜息をついた。
ダイエットを始めて、十五日ほど。最近では腹がへこんできていて、食事制限の効果が見られるようになっていた。
これはいい感じかもしれない、と思ったのだが、相変わらずあのワンピースはアマリアの体に通してみても窮屈そうに悲鳴を上げており、まだまだ足りないのだと思い知らされた。
そして、最初の頃は食事制限くらい楽勝だと思っていたのに、そろそろ厳しくなってきた。
さすがにユーゴやレオナルドもアマリアの食事量があまりにも少ないと思っているようで、疑うような目を向けられているというのも辛いことだ。
(でも、もうちょっとだ! あのワンピースを着られるくらいまで痩せたら、食事量も元に戻せるし……)
とは思うが、空腹には毎度悩まされる。
今テーブルの上に広げている薬草も、このまま囓ってもおいしくないと分かっていても、ついじっと見つめて唾を呑み込んでしまう。
(……スープくらいなら、大丈夫かな。今日のお昼ご飯は私だけ、スープの量を多めにして、お肉を減らして――)
「……ただいま、ママ」
「ひゃっ!?」
いきなりユーゴの声が聞こえてきて、アマリアは指先で摘んでいた薬草をぽろりと落としてしまった。
振り返った先には、散歩から帰ってきたところらしいユーゴが。いつも彼は帰宅したときに玄関で「ただいま」と言うので、もしかするとアマリアはぼんやりとしており、息子の声を聞き逃していたのかもしれない。
案の定ユーゴは少し困った顔をしており、アマリアが落とした薬草を拾って渡してくれながらも、唇をツンと突き出している。
「落としたよ。……ねえ、ママ。最近どうしたの? 元気ないよね?」
「ありがとう。……体調なら、大丈夫よ。私はいつも元気だから」
どきっとしつつも笑顔を貫き通して、ユーゴの髪を撫でる。
……そのとき、アマリアはユーゴを撫でる自分の爪の色がやけに薄いことに気づいた。
普段のアマリアの爪は特に何も塗らなくても健康的なピンク色をしているのが自慢だったのだが、今は白っぽく、爪にもうっすらと筋のようなものが浮き上がっていることに気づいた。
(これってもしかしなくても、体調不良の証し……?)
アマリアがさっと手を引っ込めて誤魔化し笑いしていると、レオナルドもキッチンに入ってきた。彼とユーゴにはお使いを頼んでいたので、手には買い物籠を持っている。
「ただいま帰りました、アマリアさん。……作業中でしたか?」
「いえ、大丈夫よ。お使い、ありがとう」
「どうしたしまして。……ああ、そうだ。雑貨屋で、いいものを見つけたんです」
ユーゴと違い、レオナルドはアマリアの体調をいちいち聞いてこないので、ほっとした。
そうして広げていた薬草を一旦脇に押しやり、レオナルドが籠から出したものを順に確認していたアマリアだったが――
「あら、これって、砂糖菓子じゃない!」
アマリアが見つけたのは、小さな瓶に詰められた砂糖の塊だ。色粉で着色しているようで、赤や黄色、青の菓子はとても色鮮やかで、見ているだけでも楽しめそうだ。
きっと甘いもの好きなユーゴのために買ったのだろうと思ったが、瓶を受け取ったレオナルドは微笑むとハンカチで手を拭き、早速その蓋を開けた。
「……はい、アマリアさん。あーん」
「……?」
レオナルドは瓶から砂糖菓子を一つ摘むと、アマリアの口元に差し出してきた。
(……え? どうして私に?)
ちらっとユーゴの方を見るが、彼は買い物籠から出した食材をせっせと食料庫へ運んでいて、こちらを見ていない。いつもなら、レオナルドがアマリアに甘いものを食べさせようとしていたら真っ先に、「おれも!」と言いそうなものなのに。
「あ、あの。これ、ユーゴのおやつじゃないの?」
「アマリアさんのために、ユーゴと相談して買いました。……あ、これは僕の小遣いから出しているので、生活費には手を付けていません。安心してください」
「そ、それは別にいいんだけど……えっ、そんなの、もらえないわよ。レオナルドが買ったものでしょう?」
「だから、アマリアさんへの贈り物として買ったのです。さあ、口を開けてください」
いつもならもう少し遠慮がちに言いそうなのに、今日のレオナルドはいやに強引だ。
アマリアの口元に砂糖菓子を向けるレオナルドは微笑んでいるが、目元は笑っていないように思われ、アマリアはごくんと唾を呑み――空気を読まない腹が、ぎゅうううっと鳴った。
「あっ……」
「アマリアさん、お腹を空かしているでしょう?」
「そ、そんなことないわよ!」
「……ここ最近ずっと気にはなっていたのですが、さすがに見逃せません。気づいていないのですか? 今のアマリアさん、とても顔色が悪いです」
「えっ」
思わずぱっと両頬に手を当て――指先に触れる肌がやけにごわごわしていることに、今気づいた。
レオナルドは一旦砂糖菓子を瓶に戻すと、そっとアマリアの肩に手を載せてきた。
「……食事量、減らしていますよね? あなたは気づいていなかったようですけれど……最近のあなたは、とても体調が悪そうにしています。ユーゴもずっと、あなたの元気がなさそうなことを心配していました」
「……」
「最初は、生活費に困っているから食事量を減らしているのかと思ったのですが、僕とユーゴの量は変わっていません。だから、もしやとは思っていましたが……アマリアさん、ダイエットをしていますか?」
ばれてしまった。
アマリアが力なく頷くと、はあ、とレオナルドが溜息を吐き出した。
「やっぱりそうでしたか。……僕には女性の気持ちを察する力はないので、偉そうなことは言えませんが……無理をしてでも痩せようと思わないでほしいです。痩せたい、という気持ちは否定しませんが、今のあなたはこのままだと、倒れてしまうでしょう」
「……そう、だけど……でも、目標を達成したら、元に戻す予定だったし……」
「……えーっと、僕もギルドにいた薬草師から聞いただけなんですが……それって、あまりよくないそうですよ。無理な食事制限をした後で普通の量に戻したら、逆に体重がぐっと増えてしまうとか」
「えっ……えええええ!?」
思わず声を上げてしまった。
(う、うそ……それじゃあレオナルドに言われなかったら私、最初よりも太ってしまっていたの……!?)
口元を手で覆ってわなわな震えていると、レオナルドは苦笑いしてアマリアの肩をぽんぽんと叩いた。
「絶対に、というわけではないですが、そうなる可能性は高いそうですよ。……ですから、無理に減量しない方がいいです。というか、しないでください。……僕たちずっと、あなたのことが心配で……でもあなたの方から言わない限りは突っ込まないでおこうと、決めていたんです」
「……そうだったの」
レオナルドたちをうまく誤魔化せていた、と悦に入っていた過去の自分が、愚かしい。
アマリアが肩を落として項垂れていると、食材を運び終えたらしいユーゴがひょっこりとキッチンに顔を覗かせ、「ママ」と呼んできた。
「あのね……おれ、ママにはずっと元気でいてほしいんだ。ご飯をあんまり食べないママは、すごく辛そうで……どうすればいいんだろうって、ずっと思っていたんだ」
「ユーゴ……ごめんなさい。私の勝手な行動で、みんなを――」
「ママ、おれ、今のママが大好きなんだよ。ママとレオナルドと一緒においしいものをたくさん食べたいんだ。……だから、無理はしないで」
「うん、うん……ごめんね、ユーゴ……レオナルドも、ごめんなさい」
抱っこをせがむユーゴを抱き上げて――その体重だけでふらっとしそうになってようやく、アマリアは自分の体が弱っていることに気づいた。
ユーゴを抱きしめて謝ると、ユーゴはぎゅっとアマリアの胸に抱きつき、レオナルドもほっとしたように息を吐き出した。
「分かってくださったのなら、それでいいです。……少しずつ、食生活を戻しましょう。それから、無理な食事制限以外にできそうなことを、考えましょうね」
「……うん、分かった」
「それじゃあ……はい、アマリアさん。口を開けてください」
そうしてレオナルドは再び、砂糖菓子を出した。
彼が丁寧に摘む黄色の砂糖菓子は、とても甘そうで、きらきらしていて……おずおず口を開くと唇の隙間から砂糖菓子が差し込まれ、優しい甘さがほろりと舌の上でとろけた。
最近は甘いものも食べないようにしていたので、控えめな甘さがアマリアの口内に溢れ、体の奥がじんと痺れてしまう。
「おいしい……」
「体が糖分を欲している証拠ですね。……それで、ユーゴ。君も食べたいのかな?」
「そういうことだ。おれにもくれ」
いつの間にかアマリアの膝の上で体の向きを変えていたユーゴも、大きく口を開いて催促していた。
レオナルドは笑ってユーゴの口にも砂糖菓子を放り込み、自分でも一つ口にした。
「……うん、甘いですね。やっぱりおいしいものは、三人で共有したいです」
「……うん。私も」
アマリアも笑い、今度は自分で砂糖菓子を摘み、口に入れた。
優しい甘みは、アマリアの頑なになっていた心をも溶かしてくれるようだった。
ちなみに。
少しずつ食事量を元に戻していったアマリアだが、結局あのワンピースはきついままで、ショックを受けていた。
だがそのときになって分かったのだが、このワンピースは洗濯した後にクローゼットにしまっている間に、生地が縮んでしまっていたようだ。
「入らなくて当然ですよ」とレオナルドに苦笑されたアマリアはがっくり肩を落とし、もう着られそうになくなったワンピースをクローゼットの奥深くにしまい込んだのだった。




