42 公爵家の事情②
紅茶の準備ができたようで、メイドがアマリアとオリビアのカップに温かい茶を注いでくれた。ソーサーには輪切りのモレが添えられているので、好みで汁を搾って入れたりそのまま浮かべたりできそうだ。
温かい紅茶を飲んで、ほうっと息をついた。向かいの席では、同じように茶を飲んだオリビアも同じように頬を緩めていて、おかわりの紅茶を注いでもらったトビアスも満足そうに茶を飲んでいる。
(特別な力がなくても、やっぱりおいしいものは人の心を和らげるんだな……)
ふと隣を見ると、同じようにおかわりを注いでもらったレオナルドが。彼はメイドに丁寧に礼を言い、紅茶を口に運び――アマリアに見つめられていると気づいたのかこちらを見ると、カップを下ろした。
彼が目を細めて微笑んだので、アマリアもつられて笑う。そうすると、レオナルドは片方の手を伸ばしてきゅっとアマリアの手を握ってくれた。
手を握ったのはテーブルなので他の者からは見えなかっただろうが、オリビアはアマリアたちの視線の意味に気づいたようでふふっと小さく笑った。
「まあ……本当に仲がよろしいのですね。アマリアさん、いつか結婚なさるのですか?」
「えっ!?」
オリビアに無邪気に問われ、アマリアは驚いてレオナルドを見た。ここでレオナルドを見るのは間違いなのかもしれないが――アマリアも気になってしまったのだ。
レオナルドはいつか、アマリアと結婚してくれるのだろうか、と。
ほとんどの女性が十代後半で結婚するこの国で、三十二歳独身は行き遅れを極めてもはや化石だし、血のつながりはないとはいえ子どももいる。そんなアマリアの恋人は、二十四歳の働き盛りの青年。
オリビアからすると、このままレオナルドがちゃんとアマリアをもらってくれるのかが非常に気になるのだろう。もしレオナルドが遊びでアマリアと付き合っていて、いずれポイする予定だということになるとオリビアはレオナルドを軽蔑するだろうし……トビアスたちも黙っていないだろう。
(といっても、レオナルドを急かすようなことはしたくないし……)
そわそわしつつアマリアがレオナルドを見つめていると、彼はアマリアを見返し、優しい笑顔で頷いた。
「いずれそのことも、アマリアさんとしっかり話をしていきたいと思っています。……アマリアさん」
「は、はい」
「……僕はあなたを手放すつもりはないし、僕以外の男に渡すつもりもありません。近いうちに、あなたとの将来も考えさせてください。ただ、今は……あなたと恋人としての時間を重ねていきたいのです」
重ねられた手から、レオナルドの体温が伝わってくる。そしてそれと入れ替わりに、自分の心臓の音が伝わってしまうのではないかと思われた。
(レオナルドが、私との将来を考えてくれる……)
アマリアとレオナルド、そしておそらくユーゴもいる未来を。この関係が一時の遊びではなく、結婚をしっかり見据えた上での交際だとやんわり伝えてくれた。
(今はそれで十分過ぎるくらい。私との未来を考えてくれただけで、すごく嬉しい……)
手を動かしてレオナルドの手を握り返し、アマリアはこくっと頷いた。
トビアスはそんなアマリアたちを見、大きく頷いた。
「仲がよいのは喜ばしいことだ。……私たちにも彼らのような頃があったな、オリビア」
「そうですね。あの頃のあなたは真面目さだけが取り柄で、人付き合いが苦手でいらっしゃったのですよね」
「え、そうなのですか?」
興味を惹かれてアマリアが突っ込むと、オリビアは微笑んで「ええ」と頷く。
「聞いてくださいます? あの頃のトビアス様は、女性の扱いも下手でいらっしゃって……」
「お、おい、オリビア! 昔の話だろう!?」
話題がトビアスとオリビアのなれそめ話になると、俄然その場は盛り上がった。オリビアとアマリアがあれこれ意見を交換し、トビアスがげっそりし、レオナルドが黙って茶を飲む不思議な時間は、遊びを終えた子どもたちがリビングに駆け込んでくるまで続いたのだった。
アマリアたちは、それほど長い間公爵邸に滞在する予定はない。
母のことは分かったし、公爵が自分の父親だということもほぼ確定。公爵ともしっかり話ができたので、ポルクに戻っても面倒なことにはならないはずだ。
(……でも、その前にあれを伝えておかないとね)
アマリアがドアをノックすると、「入りなさい」と静かな声が返ってきた。
通された書斎では、揺り椅子に腰掛けた公爵がアマリアを待っていた。彼はアマリアにソファを勧め、膝に載せていた本をデスクに移動させてこちらを見る。
「話があるとのことだが……何か、心配事でもあるのだろうか」
「いえ、公爵様にお伝えしたいことがございます」
アマリアは膝の上に手を重ね、公爵を真っ直ぐ見つめた。
母の愛した人。
死の間際、母が会いたがっていた人。
「……二十二年前、母が病没する際に遺した言葉がございます」
「ルフィナの遺言か……?」
既に夜になっているからか、少しだけ眠そうな目をしていた公爵だが一気に覚醒したようで、揺り椅子の肘掛けを掴んで身を乗り出してきた。
「ルフィナは、なんと……? 私を恨んでいなかったか……?」
「恨むどころか、母は公爵様をずっと想っている様子でした。……最期にもう一度会いたかった、愛してる、と」
「……」
公爵が凍り付いた。アマリアは唾を呑み込み、言葉を続ける。
「公爵様の名は出しませんでした。しかし、おそらく私の父に向けた言葉だろうと解釈したのです。……私は、病床の母の願いならなんでも叶えたかった。でも、父の名も顔も知らない私では父を連れてくることはできなくて……それならせめて、父親に会うことがあったならば、母の言葉を伝えたいと思っていました」
母を思う心ゆえでもあるが、自分のエゴでもある。
大好きな母は全く欲のない人だったので、普段から非常に慎ましくて、あれが欲しい、これがしたいなどを滅多に言わなかった。そんな母だからこそ、神の御許に参ろうとする母のために願いを叶えてあげたかった。
(でも、十歳だった私にはできなかった)
物理的にも無理だったと分かっていても、母の健気な想いを叶えられなかったということは小さなしこりとなって、いつまでもアマリアの中でくすぶっていた。
そんな思いが、二十二年――アマリアの体感では十二年だが――越しに、やっと叶えられた。目に見えない、とてつもなく重い荷物をやっと下ろせた気分だ。
公爵はしばらくの間固まっていたが、やがて肩を落とし、「そうか」と力なく、それでいて嬉しそうに呟いた。
「ルフィナは――私のことを、ずっと愛してくれていたのだな」
「はい。母は父について教えてくれなかったのですが、母が男性と関わるところもほとんど見たことがありません。……すみません。もっと早く母の言葉を伝えられたらよかったのですが」
「何を言うか。……ルフィナの言葉を伝えてくれたこと、感謝する。……もしかしてアマリア嬢がトビアスの誘いを受けてくれたのは、ルフィナの言葉を私に伝えるためでもあったからか?」
「……はい」
「そうか……私の方こそ、君に無理強いをすることになり、申し訳ないことをした。だが……感謝している。ありがとう」
公爵は口元の皺を寄せて微笑むと、背もたれに深く身を預けた。
「……君はもうじきポルクに戻るのだろう?」
「はい、できれば明日か明後日くらいにはここを発とうかと」
「了解した。……知っているかもしれないが、私はありがたくも国王陛下より重用されている身であり、君たちの出立を見届けられないかもしれない。そこで、できるなら明日の夜、少し時間をもらえないか」
「明日の夜……ですか」
「ああ。君に渡したいもの……いや、君に渡すべきものがあるのだ」
そう言う公爵の藍色の目は、少し寂しそうな色を湛えていた。




