35 アマリアとコルネート公爵①
馬車で進むことしばらく。貴族の邸宅の並ぶこのあたりは、ひとつの邸宅と庭だけでポルクの集落が全て入ってしまいそうなほどの面積だった。それを聞いたアマリアは呆然としたが、レオナルド曰く「一番大きいものだとアステラの町くらい入るそうですよ」とのことで、さらに驚きだった。
地方都市一つ分の邸宅なんて持っていて、何に使うのだろうか。掃除だけでも大変そうだ。
(ん? でもよく考えると、私たちが今向かっているのは公爵家の邸宅なんだよね? それじゃあ、アステラの町くらいの面積の庭を持っているの……!?)
せっかくきれいなドレスを着ているのに、緊張で手に汗が浮かんできた。こっそりハンカチで拭っていると、「手、汚れちゃったの?」とユーゴが無邪気に聞いてきた。ユーゴは豪華な邸宅エリアを見て説明を受けても、「ふーん」で済ませていたのだ。
やがて、馬車が向きを変え、立派な鉄扉の前で止まった。衛兵らしき人が一礼して門を開くと、呆れるほど広い芝生広場、そしてその向こうにちょこんと見える屋敷の姿が。
(これは……もしかしなくても、邸宅が小さいんじゃなくて、あまりに遠すぎるから小さく見えるだけ……?)
予想通り、門から邸宅までたどり着くのにも馬車で数分かかり、その間周りの風景も噴水だったり散歩のできそうな小道だったり花園だったりと、めまぐるしく変わっていく。この庭だけで、民家が何百軒も建てられるだろう。
やっと到着した玄関では、大勢の使用人たちが待ちかまえていた。先にトビアスとオリビアが馬車から降り、「おかえりなさいませ、若旦那様、奥様」と帰宅の挨拶を受け、続いてぎくしゃくしつつ降りたアマリアも、「ようこそいらっしゃいました、お嬢様」と挨拶された。
(う、うわ、すごい見られてる……!)
使用人たちは教育が行き届いているようで、不躾にじろじろ見てきたりはしない。だが、彼らに一挙一動を監視されているかのように感じられ、レオナルドに手を取られて歩きながらも足はガクガク震え、胃のあたりが冷たくなるような感覚がしていた。
傭兵として肝が据わっているのか、レオナルドはわりと涼しそうな顔をしていて、「さあ、参りましょう」とアマリアをエスコートしてくれた。そしてユーゴは子どもらしさを演出することにしたのか、「こんにちは!」と使用人たちに積極的に挨拶をし、「ようこそいらっしゃいました、ぼっちゃま」と微笑まれていた。
(レオナルドとユーゴの方がずっと大人だ……私もしっかりしないと!)
トビアスから、礼法などは気にしなくていいと言われている。だがアマリアにもプライドはあるので、平民丸出しで振る舞った結果冷たい目を向けられることは御免被りたい。
トビアスが先導し、オリビアがアマリアの隣に寄り添ってくれる。そうして、以前訪れたキロス王国離宮よりずっと華やかで豪奢な廊下を抜け、応接間らしき場所に案内された。
「こちらに父がおります。母には後ほど会っていただきますね」
トビアスがそう言うので、アマリアはこわごわと片手を挙げた。
「あの……公爵様には既に、私のことは伝わっているのですよね?」
「ええ。本当にルフィナ様の娘なのかと半信半疑状態のようですが……あなたの姿を見ればすぐに理解してくださるでしょう」
トビアスは背を向け、ドアに向かって「トビアスです。アマリア嬢を連れて参りました」と言った。内側からドアが開かれ、アマリアはごくっと粘っこい唾を呑み込む。
室内は、とても明るかった。公爵の趣味なのか、置物や絵画などはほとんど見当たらなくて、よく言えばシンプル、悪く言えばやや殺風景な雰囲気がある。
正面に据えられたソファは革張りのようで、日の光を浴びて表面がつやつや光っている。そんなソファに座る男性が顔を上げ、同じ濃紺の目の視線が重なり合った。
(この人が、公爵様。私の……お父さん)
ほぼ放心状態になりながらも、アマリアはオリビアに手を引かれてソファに座り、正面にいる公爵をじっと観察した。
少し白髪の交じった灰色の髪は首筋で結わえていて、切れ長の目は濃紺。年齢は五十歳前後だろうが、眼光が鋭くてなんとなく威圧感のある顔つきだからか、もう少し年を取っているようにも感じられる。
座ったっきりアマリアは緊張で沈黙しているし、公爵は公爵で何も言わずこちらを見るばかり。見かねたのか、アマリアの脇に立ったトビアスが咳払いをした。
「……父上、こちらがアマリア嬢です。アマリア嬢は貴族界に馴染みがないので、父上を前に緊張してらっしゃいます」
「……アマリア、か。確かに、ルフィナによく似ている」
公爵の声は思ったより若々しく、トビアスとあまり違いがないように思われた。
そこでやっと公爵はいかめしい顔つきを少し緩め、胸に拳を当てて会釈をした。
「挨拶が遅れて申し訳ない。私はコルネート公爵であるロドルフォ・コルネートだ」
「は、はい、お初にお目に掛かります。ルフィナの娘のアマリアです」
なんとか舌は噛まずに挨拶できたが、かなり早口になってしまった。
(早速失礼をかましてしまった……!?)
既に冷や汗ダラダラのアマリアだが、公爵はそんなアマリアをじっくり見た後僅かに目を伏せた。
「……修道院から送られてきた報告書には、そなたは三十二歳だと書かれていた。……教えてくれ。ルフィナは――そなたの父は誰だと言っていた?」
隣でトビアスが、「えっ!?」と驚いたような声を上げている。そういえば、彼はアマリアのことを見た目で判断し二十代だと思っていたのだった。報告書を書いたのは院長先生だろうから、彼女ももう誤魔化せないと思っていたのだろう。




