第一話 その出会いは偶然か必然か
二月一四日。といえば何の日かご存じだろうか。
そう、バレンタインデー。
その日は日頃お世話になっている人に感謝のしるしとして、また愛する人にチョコレート等を贈る日だ。
世界では男性から女性に贈るのが一般的だが、ここ日本では女性から贈ることが通例となっている。
そしてその日、チョコを何個貰うことができたか、ということが世の男性にとってステータスになる場合もある。
だが、貰うことができた男の人がいるのならば、貰うことができなかった男の人もいるのは当然のことである。
そして、公立の微妙な進学校に通う男子高校生、山坂浩二も貰えない男の一人である。
今、彼は夕日に染まる河川敷を歩いている。
「あーあ、今年も収穫なしかぁ。一度だけでもいいから、貰ってみたいもんだよなぁ」
と呟きながら、彼は学校からの帰り道をとぼとぼと歩いていく。
彼、山坂浩二は顔はおそらく中の上に入る部類であり、平均的な体型、平均的な身体能力、平均的な成績の、いわゆる普通の高校生。髪は目と耳にかかるくらいの長さをしている。
人との接し方もよく、明るい性格で、一見女の子の友達もいそうなのだか、
「まあ、女友達もいないし、当たり前か」
と彼が呟いたとおりに、山坂浩二は女友達が一人もいない。
「なんで、女子のみんなは俺に近づかないんだ? 何か悪いのか? だとしても、一人くらいは友達がいてもいいはずだ。じゃあ、なんで俺には女友達が全くいないんだ? 何で女に縁がないんだ? それに、女子のみんなから『仲良くしてみたいけど、なんか仲良くしちゃいけない気がするから近づきたくない』って言われてるってどういうことだ? たまには女の子と接したい。俺だって健全な男子高校一年生のつもりなんだよ」
と、なにやらぶつぶつ言いながら歩いている山坂浩二は、他人からは完全にアブナイ人にしか見えない。
そして、彼は橋のあるところまで着くと歩くのを止め、立ち止まった。
その橋は「未来橋」と呼ばれていて、二車線道路があり、両脇に歩道がある。橋の上には街灯が等間隔で並び、橋の手摺りにあたる部分は朱く塗られている。
彼の住む地域ではわりと大きな橋だ。
山坂浩二は上を向いて空を見た。
まだ暗くはなっていない。
そして、彼はため息をついて、
「あーあ、確かもう少ししたら満月だよな。満月の夜って幽霊が見えてしまうから嫌なんだよなぁ」
と独り言を言った。
そう。彼の言った通りに、山坂浩二は満月の夜だけ霊が見えてしまうという難儀な体質の持ち主だ。
おまけに彼は事故か何かが原因で、六歳以前の記憶を失っている。
今の彼には両親がいない。
気がつけば遠い親戚と名乗る人の家にいたという過去を持つ。
そのため、彼は六歳以前の自分自身のことを全く知らないのだ。
彼は上を向いたまま、
「あーあ、俺の人生ってよくわかんないなぁ。せめて彼女でもいてくれたら、少しはマシなのに」
と言った。彼はまだ独り言を続ける。
「でも、出会いがないからなぁ。出会いが。でも俺に出会いなんてあるわけないし」
彼はそう言い終えた後、大きく息を吸って願うように言った。
「空から女の子が落ちてきたりしないかなぁ」
彼はその言葉の後、一分ほど動かずにいた。
その間、彼は空から女の子が落ちてくることを切実に願った。
しかし、何も起こらない。
目の前にあるのはいつもの見馴れた光景。
「まあ、当たり前か。どっかのマンガやアニメじゃないんだし。ばかか? 俺は。ありえねえっての」
と彼は首を横に振りながら言った。
そして再び歩き出し、そのまま橋の横を通り過ぎていった。
彼の家はその「未来橋」から歩いて五分のところにある。
彼は育ての親から、
「一人暮らしもできるようになっておかないとね。一人で暮らせるようになると後々便利だから」
と言われ、今は家賃の安いボロアパートに一人で住んでいる。
ただ、風呂が狭いながらもついているので、山坂浩二としては銭湯に行く手前が省けて嬉しい。
そろそろ暗くなり始め、だんだんと寒さが増してきた。彼は早く家に帰りたいと思うようになってきた。
一刻も早く風呂に入って暖まりたい。
そんな思いが込み上げてきたのだ。
彼は家に向けて走り出そうとした。
しかし、一歩踏み出したところで、
後ろから、何かが水に落ちたような大きな音が聞こえた。
山坂浩二はその音を聞いて後ろを振り向いた。
「なんだ?」
何があったのかを確かめるために、彼は川の水面の波紋の中心と思われるところをじっと見つめた。
すると、ちょうど橋の下に何かが浮いているのが彼の目に映った。
「なんだ、あれは?」
と彼は言って、川の水のそばまで歩いていった。
彼はその「何か」をさらに注意して見た。
水の流れが遅いためそれは流されることなく、水しぶきをあげながらその場に留まっていた。
黒いなにか。頭のようなもの。
二本のなにか。腕のようなもの。
……人?
「人だ! 人が溺れてる! 早く助けないと!」
彼は大声を上げると、誰かを呼んで協力してもらおうと辺りを見渡したが、運の悪いことに彼の周りには人の気配がまったくなかった。
山坂浩二は溺れている人を一人で助けようと、肩に掛けていた黒色のスポーツバッグをコンクリートの地面の上に置き、それから学ランを脱ごうと第二ボタンに手をかけた。
しかし。
(まてよ。確か、こんなときはむやみに水に入らずに地面にはいつくばって手を伸ばすって、中学校で習ったはずだ!)
山坂浩二は第二ボタンから手を離すと、水に飛び込む代わりに溺れている人に向けて大声をあげた。
「泳いでください!」
もう一度。
「ここまで来てください!」
すると、溺れている人物は山坂浩二の声に気づいたのか、その場でもがくのをやめて彼のもとへと泳ぎ出した。
山坂浩二は地面に伏せてその人に向けて右手を伸ばした。
冷たい水に体温を奪われているからか、その人物の泳ぎはゆっくりで今にも力尽きてしまいそうだった。
まだ距離がある。
山坂浩二は必死でその人を励まし続けた。
「あと少しだ! 頑張れ!」
彼の声援に応じるように、犬かきだかクロールだかよくわからないフォームで泳ぐ人物は徐々に彼との距離を詰めていく。
この人を助けられる!
そう確信した山坂浩二。しかし、その人物が近づいてくるにつれてその姿かたちがはっきりと見られるようになると彼は眉をひそめた。
(……女の子?)
山坂浩二の脳裏に、何人もの女の子が自分を避けていく映像がよぎった。
そして不安。
今必死にこちらへ泳いできている女の子が自分の手を掴まずに、自分を避けて逆戻りしてしまう予感。
それらが、山坂浩二の決意を鈍らせた。
彼は手を引いてしまう。
怖かった。
彼女が自分の手を取らないかもしれないという不安が。
怖かった。
助けた人に避けられるのは。
でもなにより。
助けられる命を助けないことのほうが怖かった!
山坂浩二は再び彼女に向けて右手を伸ばした。今度は絶対に引かない。避けられてもいいから必ず助ける、との思いを込めて。
差し出した。
泳いできた女の子はすでに、山坂浩二のすぐ近くまで来ていた。あとは彼の手を掴むだけで助かる。
「つかめ!」
山坂浩二は叫んだ。
女の子は、彼の言葉に応ずるかのように手を伸ばした。
一度目はかすった。
しかし、二人は諦めない!
二人は手を伸ばし合い、お互いの手を掴もうと必死だった。そして、山坂浩二の右手は彼女の手を掴むことに成功した。
そしてそのまま、山坂浩二は伏した状態から起き上がり、尻餅をつきながらもその女の子を川から引き上げた。
「はあ、はあ、だ、大丈夫ですか?」
と彼は引き上げた女の子の鼻を見ながら尋ねた。彼女は女の子座りをしたまま荒い呼吸を繰り返している。
冷たい川の水でずぶ濡れになった紺色のセーラー服と地面につくほど長い黒髪が彼女の体に引っ付いていた。
美しく整った顔立ちだったが、その表情に生気はない。
その少女は、
「……なんとか……助かりました」
と途切れ途切れに言った後、うっすらと開けていた目を完全に閉じて、その場に崩れ落ちるように倒れた。
「っ! だ、大丈夫ですか! 返事をしてください!」
山坂浩二は倒れた少女の肩に手を当て、彼女の体を揺さ振りながら声を上げた。
少女からの応答はない。
彼は少女の状態を確かめた。
唇は紫色に変色し、体は震えている。体に触れると、人の肌とは思えないほどに冷たくなっていた。
「な、なんとかしないと」
彼は焦るように言った。
誰かに助けを求めようと、周りを見渡してみたが、河川敷付近を通りがかる人など見つからなかった。
山坂浩二は少女を見ながら固まっていた。
今、彼女を助けられるのは彼しかいない。
しかし、山坂浩二は動かない。
山坂浩二の脳裏に、女の子に避けられてきた日々が浮かんだ。そのトラウマが彼の行動を妨げる
「俺が女の子に触れて大丈夫なのか?」
彼は動かない。
「この人は俺に触れられたりして、嫌じゃないのだろうか」
彼は動かない。
「でも、今この人を助けられるのは俺だけ」
少女の震えはひどくなっていく。
「何を立ち止まっているんだ」
彼は動かない。
「この人を助けられるのは俺だけだろうがああああああぁぁぁぁ!!!!」
彼は動き出した。
彼はスポーツバッグを首に掛けて体の前にぶら下げ、自分の服が濡れるのも気にせずに少女を背負って走り出した。
目指すは彼のアパート。
風呂つきのアパート。
「待っててください。すぐに暖かくしてあげますから、それまで我慢してください」
彼は少女に向かって言った。
少女からの返事は無い。
事態は一刻を争う。
彼は走った。
この出会いが彼の運命を大きく変えることになるとは知らずに。




