プロローグ
「はあ、はあ、はあ」
一人の男子高校生が息を切らしながら、まるで何かに怯えているかのように薄暗い河川敷を走っている。
左側に川。百メートル走ならば余裕で直線コースを作ることができるくらいの幅。『銅鏡川』と呼ばれるそれは、静かに水面を揺らしている。
川の側面には水面から二メートルほどの高さの堤防がある。堤防の上の端には、幅一メートルほどの細長いコンクリートの道が銅鏡川に沿って続いている。
また、その道の横には、コンクリートの道の二倍ほどの幅の草むらが、少し盛り上がって細長い道と同様に川に沿って続いている。
草むらには木が等間隔に並んでいて、その木の一本一本には『ソメイヨシノ』と書かれた小さな板が掛けられている。
その木は現在、枝を見せるだけだ。
そして草むらの横には、乗用車の一台分か二台分かの幅をしたアスファルトの道が銅鏡川に沿って続いている。高さはコンクリートの道とほぼ同じくらいだ。少年はこのアスファルトの道を走っている。
薄暗いなかを走る男子高校生の右側には、低い石垣を土台とした二階建て、もしくは三階建ての民家が並んでいる。
そして東の空、少年の後ろ側の夜空には、黄色に輝く満月が浮かんでいて夜の闇を取り払っている。
少年は走り続けた。
平均的な体つき。目と耳に少しかかるくらいの、ところどころが逆立った髪。中の上程度の顔立ち。上下黒の制服を着ていて、上は学ラン。一番上のボタンは外されている。肩には黒色のスポーツバッグが掛けられていて、背中に回されている。バッグ自体はそれほど大きくなく、背中に収まるぐらいの幅をしている。
少年は髪を揺らし、冷たい風を頬に浴びながら走る。
「くそおおお! わけわかんねぇっての!」
少年は叫んだ。
そして、走り続けながら辺りを上下左右に見渡す。
まるで何かに怯えているかのように彼は両足を前へ前へと向かわせる。
「もう! いやああああー!!」
少年は再び叫んだ。
「なんで俺が! こんな目に遭わなきゃいけないんだよ!」
彼は荒い呼吸を繰り返す。
「意味わかんねえー!!」
少年は再び辺りを見渡した.
この少年の名は、山坂浩二という。
ある県の中心地、圭市にある県立の高校に通う、普通の高校一年生男子。
……と言いたいところだが、彼には変わった点がいくつかある。
一つ目は、六歳以前の記憶がないこと。
二つ目は、異性からは絶対に避けられてしまうこと。
そして三つ目は。
「なんで満月の夜だけ幽霊が見えるんだよ!」
そう。『満月の夜だけ』幽霊が見えること。
「こっち来んな! 近寄るな! そのままでいろ!」
今、山坂浩二の目には、この世のものとは思えない存在が映っている。
透けた姿。人のかたちをしたもの。球体。ウナギのようなもの。姿をさまざまに変えるもの。
それらが、山坂浩二から少し離れたところで宙に浮いたり、その場で佇んだりしている。山坂浩二には近づかない。
それでも山坂浩二は走った。
逃げるように走った。
「ああもう! 女の子には理由もなく避けられるし、親はいないし、記憶もない! おまけに満月の夜は幽霊が見える!」
山坂浩二は走りながら夜空を見上げて叫んだ。
「もう、こんな人生嫌だああああああ!!」
山坂浩二は走り続けた。
彼の後ろの遥か遠い空で、長い髪のようなものを揺らしながら、一つの黒い影が満月の前を通り過ぎていった。




