九 合わせ
「一つは、なぜ合わせの前に笛を盗んだのか、ということです。夏陽峻を失格にさせたいのなら、本番直前に笛を盗んだ方が確実でしょう」
「それは、本番まで見つからないように隠しておくつもりだったとか……」
「それなら、受験者の荷袋に入れるのは不自然です」
清辰は静かに首を振った。
「合わせを飛ばすだけならともかく、本番になっても笛が見つからなければ、さすがに試験を中断して捜索するでしょう。荷置き場が調べられれば、笛はいずれ見つかる。犯人にも、それくらいは分かっていたはずです」
確かに。清辰の言うことは尤もだ。
「じゃあ、ただの嫌がらせだったとか?」
「楽科挙で不正を働いた者は、向こう十年、受験資格を剥奪されます。ただの嫌がらせにしては、代償が大きすぎる。ほかに目的があると考えた方が自然でしょう」
玉瑶は口を噤んだ。それなら――。
「陽峻を失格にしたかったんじゃなくて……笛を入れた棚を使うはずだった人に、罪を着せたかったとか?」
玉瑶が使っていたのは、本来なら蕗按の荷が置かれているはずの三十五番の棚だ。犯人が棚を交換したことを知らなかったのなら、あそこにある荷は蕗按のものだと思っていたはず。
「つまり……狙われたのは蕗按?」
「その可能性は高いでしょう。……ですが、それだけではないかもしれない」
清辰は目を細めた。
「犯人には、それとは別に、夏陽峻に合わせを受けさせたくない理由があったのかもしれません」
「合わせを……? どうしてですか?」
「それは、まだ分かりません」
清辰は腰の長刀に手を添えた。
「ですので、一度、合わせについて調べてみます」
清辰は言って、部屋を出ようとする。玉瑶は慌てて立ち上がった。
「あの……私も連れていってくれませんか!?」
「あなたを?」
清辰が僅かに目を見開いて、振り返る。玉瑶は頷いて清辰を見上げた。
このまま、何もせず沙汰を待つだけなんて、嫌だ。もし自分や蕗按に罪を着せようとした者がいるのなら、見つけるためにできることは何でもしたい。
「楽器や譜についてなら、誰より詳しい自信があります。何か分かるかもしれません。必ずお役に立ちます!」
清辰は少しの間、考えるように玉瑶を見つめた。一瞬、部下の抱えていた玉瑶の荷――藍布に包まれた『大陸楽史考』へ目を遣り、清辰は頷いた。
「……分かりました」
「本当ですか!?」
「ただし、あなたもまだ疑いが晴れたわけではありません。私の目の届くところから離れないこと。それから、私の許可なく楽器や譜に触れたり、関係者に質問したりしないでください」
「はい!」
清辰たちとともに向かったのは、合奏を選んだ受験者が本番前に伴奏者と音を合わせるための部屋だった。中では数人の楽師が待機していた。いずれも今日の試験で伴奏を務める者だ。壁際には楽器が並べられ、卓の上には何冊もの譜が積まれている。
清辰は持ってきた帳面を開き、頁を捲った。
「夏陽峻は、『陽春薄氷』を選択していますね。間違いありませんか?」
「はい」
伴奏者の一人が頷き、卓に置かれていた譜を手に取った。
「こちらでも、そのように聞いております。譜も用意していました」
「見せていただいても?」
「どうぞ」
清辰は譜を受け取り、曲名の欄に『陽春薄氷』と書かれているのを確かめた。それから部下へ目を向ける。
「夏陽峻本人への確認は?」
「取れました。本人も『陽春薄氷』で間違いないと」
「……そうですか」
清辰が僅かに眉を寄せる。玉瑶は首を傾げてその横顔を見上げた。
曲は合っている。それなら、何を気にしているのだろう。
「一度、実際に奏でていただけますか」
「今、ですか?」
「はい。合わせの際に何か不都合がなかったか、確認しておきたいのです。気づいたことがあれば、どんな些細なことでも教えてください」
伴奏者たちは顔を見合わせたが、やがてそれぞれの楽器を構えた。
掌拍の合図とともに演奏が始まる。玉瑶は頭の中で、本来あるはずの主旋律をなぞりながら演奏を聴く。そして六節目に差し掛かったところで、玉瑶ははっと目を見開いた。
「待ってください!」
思わず声を上げると、演奏が止まった。
清辰がこちらを見る。
「どうしました?」
「これ……新譜です」




