十 気になること
「新譜?」
「はい。『陽春薄氷』は六年前、太楽府が編曲したんです」
玉瑶は口に手を当て、視線を落とした。
「でも――陽峻が演奏するのは古譜のはずです」
伴奏者たちがざわついた。
「……確かですか?」
「間違いありません。午前中、本人の譜を見ましたから」
玉瑶の言葉に、清辰は再び帳簿を開いた。
「古譜であればその旨を記載するはずですが、名簿には記載がありませんね」
清辰は言って、帳簿から顔を上げた。
「古譜と新譜では、どんな違いが?」
「少し、譜をお貸しいただけますか?」
玉瑶が頼むと、清辰は手にしたままだった譜を手渡した。玉瑶は清辰に譜を見せながら、指をさして説明する。
「ここです。六節目から、新譜は古譜より少し速く奏でるよう変えられています。それに、こことここは音が高くなっています」
「……なるほど」
清辰は頷いた。
「ということは、このまま一度も合わせず本番に入ったら――」
「伴奏と噛み合いません。……演奏は失敗するかと」
清辰はしばらく黙っていた。やがて、ゆっくりと口を開く。
「范玉瑶。先ほど、私が気になることが二つあると言ったのを覚えていますか?」
玉瑶は頷いた。
一つ目は『なぜ合わせの前に笛を盗んだのか』。
――そういえば、もう一つを聞いていなかった。
「十日ほど前、玟州であった楽郷試で、楽器の盗難事件がありました」
「えっ……玟州でも?」
「はい。盗んだとされた者と、楽器を盗まれた者――どちらも『試し』での評価が高く、楽郷試は突破するだろうと言われていたそうです。しかし、盗んだとされた者は失格。被害に遭った少女も本番の演奏に失敗し、結局、二人とも不合格となりました」
――演奏で失敗。もしも合わせを飛ばしたまま、陽峻が試験で演奏していたら、同じことになっていたのではないだろうか。
「この件を不審に思われた瑞王殿下より、私は事件の調査と今回の試験の監視を仰せつかっていました。前回の事件を調べたところ、楽器を盗まれた青年は、申請する譜を取り違えていたために演奏に失敗した、と処理されていました」
「ということは、もしかして前回も同じ手口で……?」
「恐らく」
清辰が頷く。玉瑶は困惑して視線を彷徨わせた。
「でも、どうしてそんなことを……。誰か、受からせたい人でもいたんでしょうか?」
「……いえ。誰かを受からせるためではなく、落とすためにやったのかと」
玉瑶は目を瞬かせた。
「落とすため?」
「夏陽峻は侚族、獏蕗按は翡族ですよね」
清辰の問いに、戸惑いながらも頷く。
「玟州で楽器を盗んだとされたのは戴衛族の青年、盗まれたのは翡族の少女でした」
「え……」
「今回の楽科挙総監を務める瑞王殿下は、戴衛族の母を持ち、民族を問わず才ある者を登用する方針を取っています」
清辰は静かに続けた。
「その楽科挙で、少数民族による盗難事件が立て続けに起きたとなれば、どう見られるでしょう」
「……少数民族は、宮廷楽師に相応しくないって……?」
「そう考える者は出てくるでしょう。殿下の方針そのものを疑問視する声も強まる」
清辰は小さく息をつき、帳簿を部下に手渡した。
「加えて、この方法なら一度の事件で少数民族を二人落とせます。片方には盗みの罪を着せ、もう片方は演奏を失敗させる」
「じゃあ……今回も、蕗按と陽峻を二人とも落とすために?」
「そう考えれば、前回の事件との共通点にも説明がつきます」
玉瑶はきつく唇を噛んだ。
「……誰がそんな酷いことを」
「玟州と今回の試験の両方で審査した試験官が一人います。ただ――試験官は昼休みの間、全員外の店で午前の受験者たちの結果について話し合っていました」
つまり、その試験官は笛を盗むことができなかったということか。
清辰は束の間目を伏せ、ゆっくりと視線を上げた。
「范姑娘。一つ協力していただけませんか?」




