七 窃盗犯は……私!?
しばらくして、先ほどの武官が広間へ戻ってきた。
彼が目で合図すると、部下の一人が生成りの荷袋を掲げ、声を張り上げる。
「この荷袋は、誰のものだ!?」
玉瑶は息を呑んだ。
見覚えのある袋だった。だが、蕗按も似たものを使っていたし、他にも同じような生成りの荷袋を持つ者はいる。
周囲を窺うと、玉瑶と同じように不安げな顔で荷袋を見つめている受験者が何人かいた。
武官が再び部下へ視線を送る。部下は荷袋の口を開き、中身を一つずつ取り出していった。
替えの衣に手拭い。そして、藍色の布に大切に包まれた――『大陸楽史考』。
心臓がどくりと鳴った。
間違いない。自分の荷袋だ。
「わ、私の荷袋です……」
おそるおそる手を挙げる。途端に、周囲の視線が一斉に玉瑶へ集まった。
若い武官は、玉瑶の反応を見逃すまいとするように、じっとこちらを見ていた。
「あなたの荷の中から、これが見つかりました」
その言葉を受け、もう一人の兵が前へ出た。
手にしているのは、艶のある竹で作られた一本の曲笛。
見覚えがある。午前中、陽峻が手にしていた曲笛だ。
「それだ……俺の曲笛だ!」
陽峻が声を上げた。それからきっと玉瑶を睨む。
「お前、どういうことだ?」
「ち、違います! 私は知りません!」
「じゃあ何で、お前の荷から俺の曲笛が見つかるんだ!」
玉瑶はとっさに言葉を詰まらせた。
そんなこと――私の方が聞きたい。
「まさか、俺に話しかけてきたのは油断させるためか? ったく、なんて女だ」
陽峻はやれやれといった風に頭を振る。まるで玉瑶が犯人だと決めつけているかのような態度だ。
「だから、私じゃないって言ってるでしょ! というか、話しかけてきたのはあなたの方じゃない!」
「じゃあ俺も見る目がなかったな。盗人に自分から話しかけるなんて」
「こっ……」
こいつ! なんて奴なの!
怒りで顔を真っ赤にする玉瑶に対し、陽峻は疲れたようにわざとらしく溜息をつく。
「さっさとこいつを刑吏に引き渡してくれ」
「――いえ」
若い武官が、静かにそれを遮った。玉瑶は弾かれたように顔を向ける。
「現時点で、彼女を犯人と決めつけるには早いでしょう」
「は? 俺の笛がこいつの荷から出てきたんだぞ」
「はい。分かっているのは、あなたの笛が彼女の荷から見つかったということだけです」
玉瑶は、強張っていた肩の力が僅かに抜けるのを感じた。一瞬、このまま牢へ入れられることまで覚悟していた。
陽峻がまだ何か言いたげに眉を寄せたが、武官はそれ以上取り合わなかった。部下へ視線を向け、口を開く。
「引き続き、受験者は全員ここで待機させろ。荷置き場には誰も近づけるな。部外者が官衙に出入りしていないか、門衛にも確認を」
「はい」
命を受けた兵が、すぐさま広間を出ていく。
「それがよろしいでしょう」
試験官の一人が口を開いた。目尻に薄く皺の刻まれた、中年の男だ。
「笛が見つかった場所だけで罪を定めるわけにはいきません。何者かが故意に荷へ入れた可能性もある」
「そうです!」
玉瑶は思わず身を乗り出した。中年の試験官が宥めるように手を上げる。
「ですが、范玉瑶。あなたにも話は聞かせてもらいますよ」
「……はい」
玉瑶はしゅんと肩を落とした。
「しかし……」
別の試験官が、不安げに窓の外へ目をやった。痩せた、どこか気の弱そうな女だ。
「このまま試験を止めていては、申の刻に間に合わなくなるのでは……」
その一言に、ほかの試験官たちも顔を曇らせる。申の刻になれば、日食が始まる。
「日が欠ける前には、すべての試験を終える予定だったはずです。このままでは――」
「合わせを省けばいい」
先ほどの中年の試験官が、落ち着いた声で言った。
「合奏を選んだ残りの受験者は、事前の合わせを行わず、そのまま本番に入らせる。伴奏者には一流の楽師を揃えているのだ。譜さえあれば、受験者の演奏に合わせることくらい造作もないでしょう」
「ですが、午前の受験者と条件が変わります」
「無論、その点は審査で考慮する。合わせを省いたことで生じる、多少の呼吸のずれまで厳しく問うことはしない」
女試験官は、それでも落ち着かない様子で指を組んだ。
「ですが、もし犯人が見つからなければ? 日食が始まってしまえば、今日中に試験を続けること自体――」
「だからといって、急いで誰か一人を犯人に仕立てればよいという話ではありません」
武官の声が、静かに割って入った。広間がしんとする。
「これは宮廷楽師を選ぶための試験です」
武官は試験官たちを見渡した。
「だからこそ、不正の疑いを残したまま続けるべきではありません。まして、無実の者を失格にするようなことがあれば、試験そのものの正当性が疑われます。ひいては、楽科挙総監を務める第四殿下の御威光にも関わる」
淡々とした口調だったが、その言葉に反論できる者はいなかった。
女試験官はしばらく黙っていたが、やがて観念したように息を吐いた。
「……おっしゃる通りです」
それから、武官へ向かって深く頭を下げる。
「では、お願いいたします。どうか日が欠けるまでに試験を終えられるよう、笛を盗んだ者を突き止めてください」
玉瑶は二胡を胸に抱きしめ、明かり取りの窓へ目を向けた。
窓から差し込む陽光は、まだ明るい。
だが、その光が失われ始めるまで、もうそれほど時間は残されていなかった。




