十一 待ち合わせ
「翡族国王は死罪となり、降伏した者は武装を解かれて曜の支配を受け入れた。そうして翡国は滅び、旧領は曜の澄江州に編入されることになった」
瑞王はそう答えると、開かれた史書の一節を指で示した。
「この戦で、翡国の抵抗勢力と最後まで戦い、降伏交渉にも当たったのが裴家だ」
「裴家……?」
「当時の裴家当主は、戦での功績を認められ、白洞山から得られる利益の一部を与えられた。さらに禁軍左将軍の官位も授けられたという」
「禁軍左将軍……」
その官職には、聞き覚えがあった。
そうだ。先日、他の受験者たちが話していた。玟州から来た裴子謙という受験者は、禁軍左将軍を務める人物の親戚なのだと。
「もしかして、今も裴家の方が禁軍左将軍を務めていらっしゃるのですか?」
「ああ。裴崇礼という男だ。代々武官を多く輩出してきた一族で、禁軍にも強い影響力を持っている」
瑞王は淡々と続けた。
「近年は文官として朝廷に仕える者も増え、政にも強い影響力を持つ一族となっている」
「そうなのですね……」
「裴家は、昭華族こそが曜の正統であり、周辺の諸民族が治めていた土地も、本来は曜に属するものだったとする『曜土本源論』を支持している。かつて他国の領土であった土地を取り込むことも、侵略ではなく、古来の領土を取り戻す行為だという考えだ」
玉瑶は思わず眉をひそめた。
「……ですが、翡国はもともと、翡族の人たちが暮らしていた国なのでは?」
「そうだ」
「それなのに、初めから曜国のものだったというのは……おかしくないでしょうか」
瑞王は玉瑶を見た。その鋭い眼差しに、玉瑶ははっと口を閉ざす。皇子の御前で、軽々しいことを言ってしまっただろうか。
しかし、瑞王は咎めることなく、静かに口を開いた。
「国の歴史は、政と切り離せないものだ。他国の領土を力で奪えば非難される。だが、『かつて奪われた土地を取り戻した』『敵国が攻め込もうとしていたため、先に兵を動かした』とすれば、それが戦の大義名分となる。そうして、史書に残る歴史さえ、為政者に都合のよい形へ書き換えられることがある」
玉瑶は手元の史書へ目を落とした。
そこには、曜国が翡国を降伏させ、白洞山の採掘権を手に入れたことが、輝かしい戦功として記されている。
けれど、蕗按が覚えていた歌には、曜国へ旅立つ同胞の幸せを願う言葉が残されていた。
歌には、史書に記されていないものが残っているのかもしれない。だとしたら――茴羅昭儀が探しているという『千灯歌』の二番には、一体何が残されているのだろう。
「……私、茴羅昭儀様の御母堂にお話を伺ってみたいです。『千灯歌』の二番だけでなく、翡族の歴史についても、曜国の史書にはないことをご存知かもしれません」
玉瑶はそこで少し言葉を切り、肩を落とした。
「ただ、以前お目通りを願ったときには、断られてしまって……」
「当然だろう。曜に降った国の王族に、何の制約もなく自由が与えられると思うか?」
呆れ混じりに言って、瑞王は近くの椅子に腰を下ろす。
「翡族の旧王家は、今も曜国から内城に与えられた邸で暮らしている。国庫から毎月支給される金や食料はそれなりに潤沢だ。生活に困ることもないだろう。だが、外部との往来は厳しく管理されている。とりわけ、かつての翡国の領民とは、自由に交流することも許されていない」
「どうしてですか?」
「旧王家の名を掲げ、曜に反旗を翻す者が現れないとも限らないからな。翡族が曜国へ反感を持たぬよう、王家を手厚く遇する一方で、その動向を監視する。征服した国の王族を扱うには、そういう方法もある」
玉瑶は視線を落とし、薄絹の帳越しに見た茴羅昭儀の姿を思い出した。
蕗按の話を聞いたとき、曜国へ降った王族は、今も何不自由なく暮らしているのだろうと思っていた。けれど、立派な邸に住み、贅沢な食事を与えられていても、会いたい人に会うことすら許されないのだとしたら、それは果たして、自由な暮らしと言えるのだろうか。
「俺の母も、戴衛族の公主だ」
ふいに告げられ、玉瑶は顔を上げた。
「俺には皇帝の血が流れているから、こうしてある程度は好きに振る舞える。だが、母や戴衛族の親族に、いつでも自由に会えるわけではない」
「……殿下も、ですか?」
「ああ。もっとも、翡族の旧王家に比べれば、遥かに恵まれた立場だがな」
瑞王は事もなげに答えた。玉瑶は何と言えばいいのか分からず、口をつぐんだ。
翡族の旧王家が豊かな暮らしをしているのは事実なのだろう。けれど、それだけで彼らが幸せだと決めつけることもできない。一方、故郷に残された翡族の人々が、今も貧しさに苦しんでいることも事実だ。
「……それでも、お会いしてみたいです」
玉瑶は意を決して口を開いた。
「旧王家の方々が、どんな思いで『千灯歌』を歌い継いでこられたのか、知りたいんです」
瑞王はしばし玉瑶を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「いいだろう。俺が口をきいてやる」
「……えっ!?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
「ほ、本当ですか?」
「ああ。茴羅昭儀の御母堂なら、翡国が曜に降った当時の事情についても、何か聞き伝えているかもしれない。調べる価値はある」
「あ、ありがとうございます!」
玉瑶は慌てて頭を下げた。
まさか瑞王自ら、会えるように取り計らってくださるとは。ありがたいと思う一方で、どこか恐ろしくもある。
「清辰。范玉瑶の調査を手伝ってやれ。面会の日取りや送迎についても、お前に任せる」
「……承知いたしました」
清辰が恭しく一礼する。清辰が一緒なら心強い。玉瑶はほっと胸を撫で下ろした。
瑞王府から制楽院へ戻り、央舎の廊下を歩いていると、ちょうど楽堂の一室から受験者たちが出てくるところだった。何気なくそちらへ目を向けた玉瑶は、その中に見覚えのある猫背の青年を見つけた。
「あの……あなた、裴子謙よね?」
「そっ、そうだけど……」
突然声を掛けられ、青年は警戒したように身構える。玉瑶は他の受験者たちが通り過ぎるのを待ってから、小声で尋ねた。
「裴崇礼様のご親戚なのよね? 少し相談があるのだけど」
「そ、相談? 何の?」
「百五十年前、裴家の方が翡国と銀山で戦ったときのことを調べているの。崇礼様なら、当時のことをご存じかもしれないでしょう? お会いすることってできないかしら?」
「えっ、左将軍様に……?」
子謙は困惑したように目を泳がせた。
「ぼ、僕から聞いてみるくらいなら……。でも、お会いいただけるかどうかは……」
「本当!? それだけでも嬉しいわ。ありがとう!」
玉瑶が顔を輝かせると、子謙はますます戸惑った様子で、曖昧に頷いた。
◇◇◇
それから二日後。玉瑶は制楽院まで迎えに来るという清辰を、自室で待っていた。茴羅昭儀の母親との面会が叶うことになったのだ。
午前にやった合わせ練習を頭の中で反芻しながら、二胡を弾いて待っていると、部屋の外から慌ただしい足音が聞こえてきた。次の瞬間、バンッと音を立てて扉が開く。
「ぎょ、玉瑶! 大変よ!」
「どうしたの?」
寝台に横になり、昼寝をしていた阿蕙が驚いたように身体を起こす。部屋に飛び込んできた受験者の少女は、興奮で顔を真っ赤にしていた。
「盧校尉があなたのことを呼んでるんだけど!」




