十 白き山
「そういえば、昭儀は『絆を思い起こさせるような歌詞だった』と仰っていたな。もしかして、これが二番なんじゃないか?」
「……違うと思う。だってこれは、一緒に奏でて初めて完成する曲だもの」
陽峻に答えながら、玉瑶は口元に手を遣った。曜国では、『千灯歌』は翡族が曜国に降った際、新天地への門出を祝って歌われた歌だと伝えられているが、二つの歌詞を改めて思い起こすと、まるで旅立つ人と、それを見送る人の思いを、それぞれ歌っているように感じられた。
「でも、『白き山』って何だろう……」
『白き山には 風が吹く』
蕗按はそう歌っていたが、翡国は雪の降らない南西にあったはずだ。雪山でないのなら、『白き山』とは一体何を指しているのだろう。
「また、なぜなぜ病か」
陽峻が溜息をつく。その横で、玉瑶はすっくと立ち上がった。
「私、調べてくる!」
「おい、二番は後回しだって言っただろ!」
「これは一番だから大丈夫!」
「大丈夫って、お前、勝手に――」
背後から陽峻の声が追ってきたが、玉瑶は振り返らなかった。足早に央舎を抜け、皇城内にある秘書省の官衙へ向かう。
まず調べたいのは、かつて翡国があった場所と、翡族が曜国に降った際の歴史だ。
「范姑娘」
足早に道を進んでいると、不意に聞き覚えのある声がした。振り向けば、そこには清辰が立っている。
「そんなに急いで、どちらへ?」
「清辰様!」
玉瑶は駆け寄り、興奮気味に報告した。
「秘書省へ行くところでした。実は、昭儀様がお望みの『千灯歌』で、大きな発見があったんです!」
「発見、ですか?」
興味深そうに首を傾げる清辰に、玉瑶は蕗按が覚えていた翡族の歌について説明した。その歌の伴奏が、『千灯歌』の二つの旋律とぴったり重なったことも。
「ただ、その歌詞に出てくる『白き山』が、何を指しているのか分からなくて……。歌詞も、旅立つ人と見送る人、それぞれの立場から歌っているように思えるんです。それで、これから地図と史書を調べようと思って」
「白き山、ですか……」
清辰は顎に手を当て、考えるように視線を落とした。
「それは、銀山のことかもしれませんね」
「銀山?」
玉瑶が目を瞬いた、そのとき。
「澄江州には曜国でも有数の銀山がある。その一帯は、かつて翡族の領地だった」
清辰の背後から、よく通る声が響いた。顔を上げると、そこには見覚えのある青年が立っている。
「ず……瑞王殿下!」
玉瑶は慌てて拱手した。全身からどっと冷や汗が噴き出す。一体、いつからそこにいらしたのだろうか。
「顔を上げろ。……これから、秘書省へ行くと言っていたな」
――最初から聞かれていた!
穴があったら入りたい。玉瑶は顔を上げつつ、消え入りそうな声で「はい」と答えた。
瑞王は頷き、淡々と続ける。
「確認したいのは、地図と史書だろう。それなら、瑞王府にもある。ついてくるといい」
「……えっ」
言われた言葉の意味が理解できず、固まってしまう。そんな玉瑶を無視して、瑞王は供を連れて歩き出した。
「范姑娘、行きましょう」
唯一残った清辰が、玉瑶を穏やかに促す。
なぜ一介の楽科挙受験者にすぎない自分が、わざわざ瑞王の私邸に招かれるのだろうか。殿下の真意は分からないが、まさかご厚意を無碍にするわけにもいかない。
玉瑶は顔面蒼白になりながら、清辰の後ろに隠れるようにして歩き出した。
瑞王府は皇城からほど近い、内城の一画にあった。瓦屋根を戴く立派な門をくぐると、高い塀に囲まれて外からは見えなかった壮麗な邸が姿を現した。
玉瑶は圧倒されながら、清辰の後ろに続いて邸の奥へと進んだ。
案内されたのは、壁一面に書架が並ぶ広い部屋だった。奥には大きな卓が置かれ、その上には既に地図や書物が用意されている。
「こちらへ」
瑞王に促され、玉瑶はおずおずと卓へ近づいた。
「探しているのは、翡族の故地だったな」
「は、はい……」
瑞王は広げられた地図の南西部を指さした。
「現在の澄江州。この一帯には、百五十年ほど前まで翡国という国があった。小国ながら銀の産出量が多く、なかでも白洞山は豊かな銀脈を持つことで知られていた」
「白洞山……」
「白洞山は曜国での呼び名だ。翡族では『白き山』と呼ばれていたそうだ」
玉瑶は地図に記された山の名を見つめた。蕗按が歌っていた『白き山』とは、やはりこの山のことなのだろうか。
「当時、白洞山の採掘権を巡って、曜と翡の間にはたびたび争いが起きていた。やがてそれは戦に発展し、翡国は曜の軍勢に追い詰められることとなった」
瑞王は地図から手を離し、清辰に目を遣った。清辰が卓上の書物を開き、玉瑶の前へ差し出す。
そこには、翡国と曜国の戦について記されていた。
戦が長引くにつれ、翡国では兵糧が尽き始めた。そこで翡国王は、自身の妻や子どもをはじめ、戦う力を持たない者たちを曜国へ降らせ、自らは兵士とともに白洞山へ残ることを選んだという。
「……では、王様はご家族と別れて、戦い続けたのですか?」
「ああ。残された者たちは白洞山に籠もり、一年にわたって抵抗を続けた。しかし、最後には無条件降伏を受け入れ、銀山の権利もすべて曜へ明け渡したと記録されている」
「一年も……」
玉瑶は思わず呟いた。
食糧も尽きかけた中で、一年もの間、戦い続けた人々がいた。その一方で、曜国へ渡った人々は、新たな土地で暮らし始めていたのだ。
ふと、『千灯歌』の歌詞が脳裏をよぎる。
『希望を背負い、道を行く』
以前は引っかかった『希望を背負い』という言葉も、今なら分かる気がした。銀山に残った同胞たちの願いを託されたのだとすれば、あえて『背負う』と歌ったことにも頷ける。
そして、蕗按が覚えていたもう一つの歌。
『あの子らの道を、照らしたまえ』
それは、故郷に残った人々が、旅立つ妻や子ども、同胞たちの未来を願って歌ったものではないだろうか。
「……殿下。このとき、白洞山に残って戦った人々は、その後どうなったのでしょうか?」




