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三 制楽院

「何、あの子?」

「清風様はお優しいから、子ども相手に邪険にもできないんでしょ」


 ふいに聞こえた声に、玉瑶はようやく我に返った。

 振り向くと、先ほどはしゃいでいた女官たちが、こちらを見てこそこそと囁き合っている。


「范姑娘、そろそろ列へ――」

「あの、もしかして清風様って清辰様のことですか?」


 凌舟の言葉を遮り、玉瑶は女官たちに声を掛けた。

 女官たちはぎょっとしたように目を見開く。


「素敵な呼び名ですね。清辰様って、宮中では有名な方なんですか?」


 興味津々で尋ねる玉瑶に、女官たちは顔を見合わせた。


「そりゃあ……ねえ? 若くして瑞王府の校尉になられて、その上あの美貌ですもの」

「武官とは思えないほど物腰が柔らかで、それでいて、部下に指示を出されているときは凛々しくて……」

「宮中で憧れない女はいないわよ」


 玉瑶は何度も頷きながら、その話に耳を傾けた。

 何故だか、自分が褒められているようで嬉しい。


「分かります! 私みたいな田舎娘にも親切にしてくださって、清辰様って本当に人徳のある方ですよね」

「……あら。子どもだと思ったけど、意外と話の分かる子ね」

「そうでしょう? 清風様といえば、この間、あの方の姿絵を描いていた子がいてね――」


 女官たちが声をひそめ、楽しそうに話し始める。

 玉瑶もわくわくしながら耳を傾けていると、


「あの、范姑娘。そろそろ列へ戻った方が……」


 気まずそうに凌舟から声を掛けられ、玉瑶ははっとした。


「あっ、そうですね。すみません、私はこれで」


 慌てて拱手すると、女官たちは受験者たちの列へ目を向け、それから玉瑶の抱える二胡を見た。


「あなた、楽科挙の受験者?」

「はい! 范玉瑶と申します」

「そう。頑張ってね、玉瑶」


 にこやかに送り出してくれた女官たちにもう一度礼を言い、玉瑶は凌舟とともに列へ戻った。

 ほどなく引率の役人が戻り、一行は制楽院へ向けて歩き出す。

 殿舎の並ぶ道を抜けると、長い回廊に囲まれた広い中庭が現れた。

 庭には梅の木が植えられ、枝先には白い花がちらほらとほころんでいる。その向こうには二階建ての大きな建物が三棟並び、手前の池には青緑の瓦屋根が映っていた。風が吹くたび、水面に映る屋根がゆらゆらと揺れる。

 あれが制楽院だろうか。

 そのとき、ふと玉瑶の耳に音が届いた。

 かすかに聞こえる琵琶の音。そこへ二胡の伸びやかな音が重なり、少し遅れて箏や笙が旋律を追いかける。

 合奏だ。どの楽器も上手いけれど、とりわけ耳を惹いたのは二胡と琵琶だった。

 それぞれの音が鮮やかに際立っているのに、決して周りの音を邪魔しない。互いの音を引き立て合いながら、合奏全体を見事に導いている。

 これが宮廷楽師の演奏なのだろうか。玉瑶は感嘆の息をついた。

 やがて制楽院の前で足を止めた役人が、三棟の建物を指し示す。


「制楽院は東舎、西舎、央舎に分かれています。東舎は男子寮、西舎は女子寮。央舎には楽堂のほか、譜や楽書を収めた書庫があります。皆さんにはこれから、この制楽院で共同生活を行っていただきます」


 央舎と呼ばれる建物へ足を踏み入れると、右手に伸びる廊下の奥から、先ほどの合奏が聞こえてきた。役人が突き当たりの戸を開けると、中で演奏していた人たちが手を止めて振り返る。

 玉瑶は二胡と琵琶を手にした二人に目を向けた。二胡を持つのは、二十歳前後の目元に泣きぼくろのある優男風の青年。琵琶を抱えているのは、それより少し年下に見える、赤い衣を纏った少女だった。猫のような目をした、快活そうな娘だ。


「こちらは泱陽の合格者です。皆さんより一足先に、昨日から制楽院に滞在しています」

「え……」


 思わず声が漏れた。

 宮廷楽師ではない。自分たちと同じ受験者だったのか。

 二胡を持つ青年は、口元に笑みを湛え、余裕のある仕草で椅子から立ち上がった。


「羅冠の一位も二胡だったんだってね。……誰?」


 ぐるりと一行を見回して尋ねる。

 玉瑶は荷袋を握る手に、思わず力を込めた。


「ちょっと……」


 赤い衣の少女が、たしなめるように声を上げる。


「十家には、羅冠出身者が一番多いって言うだろ? 早いうちに敵を知っておかないとね」


 十家――それは宮廷楽師の中から、三年に一度選ばれる、最も優れた十人の楽師のことだ。百人を超える宮廷楽師の頂点に立ち、曜国の至宝とも称えられる十家。御前演奏や重要な式典で演奏を任されるほか、国の威信を示すため、曜国内外の楽堂を巡ることもある。

 その名を連ねることは、楽師にとって最高の栄誉の一つだった。

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