一 天下の音が集まる場所
曜国は東西に流れる大河を中心に発展した大国だ。首都 泱陽は大河の北岸に築かれ、南北へ伸びる運河がここで交わる。交易の要衝でもあり、西方からは馬や宝石、香料が、南方からは米や茶、絹が、北方からは毛皮や家畜が運び込まれる。河岸には巨大な船着場と倉が並び、毎日何百艘もの船が出入りするという。
長い船旅を終え、船着場に降り立つと、太楽府の紋を掲げた馬車が何台も並んでいた。玉瑶たち楽郷試の合格者は数人ずつに分けられ、馬車へ乗せられる。
「蕗按、船酔いはしなかった?」
同じ馬車に乗ることになった蕗按に声を掛ける。蕗按は小鼓を抱きしめ、頷いた。心なしか目が輝いて見える。馬車の隅に二人並んで腰を下ろすと、蕗按は小さく鼻歌を歌いながら小鼓を指先で軽く叩いた。
「それ、さっきの舟唄?」
船旅をしている間、何度か水夫たちが舟唄を唄うのを聴いた。蕗按が唄っているのは、恐らく船着場に着くときに唄われていた唄だ。
蕗按はこくりと頷く。小鼓を叩く指先に迷いはない。
「知ってる曲だったの?」
玉瑶が問うと、蕗按は首を横に振る。
「一回聴いたら、だいたい覚える」
「えっ、本当に?」
目を瞬く玉瑶に、蕗按は小鼓を叩きながら頷く。
「俺、母さんと客桟で住み込みで働いてた。そこに、たまに旅の楽師が泊まりにくる。俺が叩ける曲、全部盗み聞きして覚えた」
そういえば、蕗按は試験のとき、譜を用意していなかった。試験のために暗譜したのかと思ったが、そもそも譜を見ないで覚えていたのか。
車夫が手綱を引き、ゆっくりと馬車が動き出す。風が冷たく、玉瑶は身を縮こまらせた。
「これがなかったときは、ずっと桶を叩いてた。でも、どうしても鼓を叩いてみたくて……ある夜、こっそり楽師の部屋に忍び込んで小鼓に触った」
小鼓を叩く手を止め、蕗按は視線を落とす。
「気づいた楽師に、汚い手で触るなって何度も殴られた」
「…………」
「痛かったけど……ぜんぜん気にならなかった。鼓を叩けたのが嬉しくて。それからも何度も触って、何度も殴られた」
蕗按は小鼓をそっと、大切そうに撫でる。
「そしたら、母さんが金を借りて買ってくれた」
玉瑶は微笑んで蕗按を見た。それから、羽織っていた上衣を脱ぎ、蕗按の肩に掛けてやる。
「風邪ひいちゃうから。貸してあげる」
蕗按は目を丸くした。だが、すぐに真面目な顔になって首を横に振る。
「……俺は男だから大丈夫。范姐姐が着て」
「子どもが痩せ我慢しないの」
思わず笑った玉瑶に、蕗按はむすっとして上衣を突き返してくる。
「范姐姐だってまだ子どものくせに」
「私は来年成人だもん。梅だって、一枝ほころべばもう春でしょう?」
流れていく景色の中に梅の木を見つけ、玉瑶は得意げに胸を張った。
「さっきのはまだ蕾だった」
「嘘だ、咲いてたよ!」
蕗按と言い合いながら笑っていると、次第に景色が賑やかになってくる。
河岸に並んでいた倉が途切れ、代わりに二階、三階建ての商家が軒を連ね始めた。朱塗りの柱に、色鮮やかな幟。店先には絹や陶器、香木、見たこともない形の果実まで所狭しと並べられている。
通りを行き交う人の数も、羅冠とは比べものにならない。
「わ……」
思わず、玉瑶は馬車から身を乗り出した。
道幅は馬車が何台も並んで走れるほど広い。その両側を、人、人、人――。
荷を背負った商人、籠を担ぐ男たち、華やかな衣を纏った貴人。頭巾を巻いた西方の商人や、見慣れない衣装の少数民族の姿も珍しくない。耳を澄ませば、昭華語だけでなく、玉瑶には分からない言葉まで飛び交っている。
「あっ、見て! あれ戴衛族の古笛じゃない?」
道端で楽師が吹いている笛を見つけ、玉瑶は思わず蕗按の腕を引いた。その少し先では男が箏を奏で、さらに向こうでは数人の芸人が鼓を鳴らしながら舞っている。
あちらから笛。こちらから鼓。店先からは客を呼ぶ声が飛び、どこかの酒楼からは琵琶の音が流れてくる。
幾つもの音が重なっているのに、不思議とうるさいとは感じなかった。
「すごい……」
玉瑶は目を輝かせた。
曜国中の人と物が集まる街。それなら当然、曜の音もここへ集まってくる。
馬車が市街を囲む大きな楼門をくぐる。その向こうには、さらに広い大路と、果てが見えないほど続く瓦屋根の波が広がっていた。
――ここが、泱陽。
そしてこの先に、玉瑶がずっと夢見てきた宮廷がある。




