十三 陽春薄氷
文成の唇が、かすかに震えた。
何か言い返そうとするように口を開きかけ、結局、そのまま俯いてしまう。
「なぜ、嘘をついてまで獏蕗按に罪を着せようとしたのですか?」
「そ……それは」
「あなた自身が、獏蕗按の荷に笛を隠そうとした犯人だからでしょうか」
文成が弾かれたように顔を上げた。
「違います!」
悲鳴に近い声が響く。だが清辰は表情一つ変えなかった。
「あなたは本当は、獏蕗按と范玉瑶が棚を交換したことなど知らなかった。だから、獏蕗按の荷だと思い込み、誤って范玉瑶の荷に笛を隠してしまった」
「…………」
「しかし、窃盗の罪を着せる相手は、どうしても獏蕗按でなければならなかった。だから、危険を冒してまで嘘の証言をし、彼を犯人に仕立てようとした。……違いますか?」
文成は蒼白な顔で黙り込んでいる。
代わりに、試験官の一人が訝しげに声を上げた。
「しかし、彼はただの子どもです。いったい何のために、そこまでして罪を着せるというのですか」
もっともな疑問だった。受験者たちの間にも、困惑したざわめきが広がっていく。
「実は、今回とよく似た事件が、十日ほど前に玟州で行われた楽郷試でも起きています」
清辰の言葉に、ざわめきが止んだ。
玟州では、有力候補と目されていた受験者の楽器が盗まれ、別の受験者の荷から見つかったこと。
盗人とされた受験者は失格となり、楽器を盗まれた者もまた、本番の演奏に失敗して不合格となったこと。
そして、その失敗は、申請したものとは異なる譜で演奏したことが原因だと処理されていたこと。
清辰は一つずつ、確かめるように告げていく。
「そこで、今回も譜の取り違えがあるのではないかと調べました。すると、夏陽峻の申請は『陽春薄氷』の新譜として処理されていました」
「なんだと!?」
真っ先に声を上げたのは陽峻だった。
「俺は確かに古譜で申請したぞ!」
勢いよく周囲を見回し、近くにいた青年へ詰め寄る。
午前中、調子の外れた笛を披露していた受験者だ。
「――おい、お前! 俺が古譜で申請してたの、聞いてただろ!?」
胸ぐらを掴まれた青年が、ぶんぶんと首を縦に振る。
「はっ、はい! 聞きました! 確かに古譜って言ってましたぁ!」
「ほら見ろ!」
陽峻が勝ち誇ったように声を張る。清辰はそんな陽峻を一瞥したあと、玉瑶へ目を向けた。
「范玉瑶。古譜と新譜の違いを説明していただけますか?」
「はい」
突然皆の視線を集め、玉瑶は少し緊張しながらも頷いた。
「新譜は、六節目から古譜より少し速く奏でるよう変えられています。それに、音の高さが異なる箇所もあります。だから陽峻が新譜だと知らないまま本番に入っていたら、伴奏と噛み合わず……演奏は失敗していたと思います」
清辰が静かに頷く。
「楽器を盗まれ、合わせを受けられなくなる。そして、申請したものとは異なる譜が用意されていることに気づかないまま本番を迎え、演奏に失敗する」
そこで言葉を切り、試験官たちを見渡した。
「同じことが、偶然二度も起こるでしょうか?」
答える者はいなかった。
沈黙の中、清辰の視線が一人の男へ止まる。
「――顧明徳」
名を呼ばれた明徳は、口元にゆっくりと笑みを浮かべた。
「あなたは玟州の楽郷試にも、試験官として派遣されていたそうですね」
周囲の視線が、一斉に明徳へ集まる。
「まさか、私をお疑いなのですか?」
明徳は呆れたように眉を上げた。
「私が受験者に命じて、楽器を盗ませたと?」
「まだ、そう申し上げたわけではありません」
「ですが、そう疑っておられるのでしょう」
明徳は困ったように笑い、小さく首を振った。
「お言葉ですが、譜の申請を取り違えることなど、さほど珍しい話でもありません。前回の件と今回が似ているからといって、同じ者が仕組んだと考えるのは早計では?」
「過去の楽郷試についても調べました」
清辰は淡々と答えた。
「少なくとも前回の試験では、譜の申請違いによって不合格となった者は確認できませんでした」
「そうでしたか」
明徳は少し考えるように目を伏せた。そして、何でもないことのように続ける。
「ですが……確か前々回、六年前の試験では、今回と同じように『陽春薄氷』の新譜と古譜を取り違えた受験者がいたはずですよ」
――六年前の試験?
玉瑶は瞬きをした。
楽郷試は三年に一度、一月に行われる。だが、太楽府が『陽春薄氷』の新譜を世に出したのは――。
「……それはおかしいです」
気づけば、玉瑶の口から声が零れていた。




