第4話 父に教わった剣
獣の前脚が土を跳ね上げた。
レオナは両手で剣を構え、岩の前へ出た。背後には水と包帯、予備の武器がある。横へ逃げれば、獣はそのまま物資へ突っ込む。
セナがレオナの腕をつかもうとした。
指先が届く前に、獣が間へ入った。
レオナの唇が動いた。
「父さんに教えてもらった通りにすれば……」
獣が右の前脚を振り上げる。
続く声は小さかったが、吾輩の耳には届いた。
「力で止めるな。正面に立つな。刃を寝かせて、相手の力が進む方へ送れ」
レオナは右足を引き、剣の腹を爪の内側へ合わせた。
前脚が剣へ触れる。
レオナは腰を回し、刃を外側へ滑らせた。
爪が胸当てから外れた。
受け流した。
だが、剣へ残った重さまでは消えない。
柄が両手から抜けた。
剣が岩へ当たり、乾いた音を立てて地面へ落ちる。
獣の肩がレオナの胸へ入った。
レオナの身体が宙へ浮く。
背中から地面へ落ちた。
口が開いたが、息の音は出なかった。
獣は倒れたレオナへ頭を下げた。
左から、フェリシアのメイスが入る。
打撃部が獣の耳の根元を捉え、頭を右へ振った。フェリシアはレオナの前へ滑り込み、バックラーを獣の目の高さへ置く。
「こっちを見なさい」
笑みはない。
獣がフェリシアへ牙を開く。
バックラーの縁が上顎へ当たり、口の向きを外へずらした。
ニルの矢が、先ほどガルドの槍で傷ついた脇腹へ刺さる。
獣が身を捻る。
「ガルド、槍!」
セナが叫んだ。
獣がフェリシアへ牙を向けている間に、ガルドは尾の外側を回った。地面へ落ちた長槍を拾い、柄についた土を払う間もなく穂先を前へ向ける。
レオナは地面に肘をつき、胸当てを押さえた。
息を吸うたびに咳き込む。
それでも、獣の目はもうレオナへ向いていない。
ガルドが生きている。
フェリシアは獣の正面で細かく足を動かし、牙と爪の向きを外し続けた。正面から受けず、触れた瞬間に横へ送る。
だが、昨日から増えた爪痕の一本にまた爪が重なった。
金属が裂ける音がした。
バックラーの縁が曲がる。
フェリシアの左腕が下がった。
獣が前へ出る。
ガルドの槍が横から首へ入った。
硬い鬣に阻まれ、穂先は浅い。
獣が振り返り、前脚で柄を押す。
ガルドは槍を離さなかった。足を開き、押された分だけ後ろへ下がる。
「ニル!」
矢が獣の右目の前を横切った。
刺さらない。だが、獣の瞼が閉じ、頭がわずかに下がる。
フェリシアは曲がった盾を獣の右前脚の下へ差し込んだ。
押し上げるのではなく、足先を岩場の右にある浅い斜面へ送る。
右前脚が斜面へ落ちた。
獣の身体が右へ傾く。
ガルドは槍を一度引き、露出した脇腹へ踏み込んだ。
穂先が、刺さった矢の横から入る。
深く沈んだ。
獣が身体を起こそうとする。
槍の柄がしなる。
ガルドは柄を右脇へ挟み、身体ごと前へ押し込んだ。
穂先が脇腹を貫き、反対側の毛を押し上げる。
獣の前脚から力が抜けた。
巨体が横へ倒れる。
地面が揺れ、岩の上にいた吾輩の前足がずれた。
吾輩は爪を立てた。
獣は口を開いたまま、二度、土を掻いた。
動かなくなった。
森に、五人の呼吸だけが残る。
ガルドは槍から手を離さず、獣の胸を見ていた。
フェリシアも盾を下ろさない。
ニルが距離を保ったまま獣の後ろへ回り、矢をつがえた状態で首の動きを見る。
「終わった」
ガルドが槍を抜いた。
赤いものが鬣の間から流れ、土へ広がる。
セナはレオナの横へ膝をついた。
「喋れる?」
「はい……」
「名前は」
「レオナです」
「覚えてる。確認しただけ」
セナは胸当ての留め具を外し、肩と肋骨へ手を当てた。
「折れてはいないと思う。息は浅くしないで」
淡い光が、レオナの胸から背へ広がる。
レオナは地面に落ちた剣を見た。
「受け流せたのに……」
「受け流したから、その程度で済んだのよ」
フェリシアが近づいてきた。
曲がったバックラーを左腕から外し、土へ置く。
「でも、あなたは前へ出ないと言ったわよね」
レオナは上半身を起こしかけた。
セナが肩を押さえる。
「すみません」
「あなたが倒れたら、今度は誰かがあなたを助けに入るの」
フェリシアはそこで口を閉じた。
ガルドが槍を杖代わりにして歩いてくる。右袖は裂け、腕に細い傷が残っていた。
「俺は助かった」
レオナがガルドを見る。
「あの石がなければ、武器のないところへ牙が来ていた」
フェリシアは曲がった盾を見下ろした。
「だから困っているのよ」
その口元には、まだ笑みが戻らない。
「助かったわ。だけど、次も同じことをしていいとは言わない」
「はい」
「今度は、石を投げる前に私を呼んで」
「……はい」
フェリシアはレオナの剣を拾い、刃と柄を確かめた。刃こぼれはないが、鍔の近くに細い亀裂が入っている。
「剣も見てもらわないと駄目ね」
ニルは森の奥を見た。
「血の匂いが広がる前に移したい。だが、これは五人じゃ運べない」
ガルドが獣の胴を見下ろす。
「全身を持ち帰る。見たことのない魔物なら、現地でばらさない方がいい」
ニルが町へ戻り、大型荷車と作業員を呼ぶことになった。
残る四人は、獣の死体から少し離れた岩場で待った。
レオナは外した胸当てを横へ置き、背を岩へ預けている。吾輩はその隣に置かれた鞄へ入った。
朝より暖かい。
血の匂いは強いが、犬に似た巨大な死体へ近づくよりはましである。
昼を過ぎた頃、車輪の音が森の外から聞こえた。
太い車輪を六つ持つ荷車が、作業員と馬二頭に引かれてくる。獣の脚と胴へ縄を掛け、滑車を木へ固定し、十人以上で少しずつ荷台へ引き上げた。
荷台が沈む。
車輪の半分近くが土へ入った。
町へ戻る頃には、日が傾いていた。
南門の前で人が足を止める。
荷車より高い青灰色の背が門を通ると、通りの声が消えた。
討伐を喜ぶ声より先に、誰もが死体を見上げた。




