第3話 五人しかいない
その夜、レオナは冒険者ギルドの軒下へ座った。
宿屋の札と財布の硬貨を見比べたあと、ここへ戻ってきたのである。今日の依頼は、スライムを一匹も倒していない。報酬も出なかった。
人間は父親のようになる前に、雨を避ける場所を確保する必要があるらしい。
レオナは膝へ外套を掛け、鞄から布の袋を出した。残っていた干し魚は二匹である。
一匹を自分で食べ、もう一匹を半分に折った。
「半分ね」
尾のついた方が吾輩の前へ置かれる。
頭の方がわずかに大きい。
指摘する前に、レオナは口へ入れた。
取り戻すには遅い。
吾輩は尾からかじった。
夜風が軒下へ入り、背中の毛を押した。食べ終えると、吾輩は外套の端へ前足を置いた。
「そこ、使うの?」
石よりは柔らかい。
レオナが外套を引いたが、吾輩は前足へ力を入れた。布が止まる。
「半分だけだからね」
人間は魚にも寝床にも、半分という言葉を使いたがる。
吾輩は外套の端で身体を丸めた。
* * *
朝、ギルドの扉が開く前に、四人の冒険者が軒下へ集まった。
フェリシアは左腕のバックラーを締め直し、ガルドは長槍の穂先を覆う布を確かめている。
ニルは腰の縄を結び直し、セナは治療道具の入った鞄を開いて中身を数えていた。
その前に、支援用の背負い袋を持ったレオナが立つ。
五人である。
白髪の支部長が地図を開き、全員の位置を指で示した。
「ニルが先行。ガルドとフェリシアが前。セナはその後ろ。レオナは最後尾で物資を持て」
レオナの足元には、水筒、縄、包帯、予備の短槍を詰めた背負い袋が置かれている。
「交戦が始まったら、指定した岩場から動くな。負傷者が出たらセナの指示を聞け」
「はい」
「猫は置いていけないのか」
支部長が吾輩を見た。
吾輩はレオナの鞄へ前足を掛けた。
昨日より布が厚く、朝日も当たっている。
「置いていっても、たぶんついてきます」
「戦闘が始まる前に、鞄ごと後ろへ置け」
「分かりました」
人間は吾輩の予定を勝手に決める。
従うかどうかは別の話である。
* * *
五人は南門を出た。
丘へ向かう街道には、昨日スライムが通った跡が残っていた。草の上で乾いた透明な筋が朝日に光り、ところどころで南門の方へ曲がっている。
レオナがその跡を見た。
「町の中には入っていないそうです。門の手前で西へ曲がった跡が見つかったって」
「水のある場所を探したのかもしれないわね」
フェリシアは丘の先へ顔を向けた。
「問題は、あの子たちを追い出した方よ」
森の手前で、ニルが右手を上げた。
全員が止まる。
ニルは土へ膝をつき、昨日の大きな足跡へ指を入れた。
「夜の間に動いてる。森の奥から、またここへ戻ってきた」
「一頭分か」
「今見えるのは一頭だけだ」
ガルドが槍の穂先から布を外した。
「巣が近いなら、待っても逃げん。地形を先に見る」
ニルが森へ入り、残る四人が距離を空けて続く。
吾輩はレオナの鞄から顔を出した。
昨日折れた枝の先は白く、地面へ散った葉も乾いていない。獣の匂いは、木々の間へ広く残っていた。
レオナが昨日隠れた木を指す。
「この先です。あの太い木の向こうにいました」
ニルが木の陰を確認し、さらに左へ進んだ。
森の中ほどに、岩が露出した場所があった。背丈ほどの岩が三つ並び、その右側だけ地面が浅く落ち込んでいる。岩の先には木も少ない。
支部長が指定した支援地点は、そこになった。
レオナは背負い袋を一番大きな岩の陰へ下ろし、水筒と包帯を取り出しやすい位置へ並べる。鞄もその横へ置いた。
「猫さん、ここにいてね」
吾輩は鞄から出て、岩の上へ飛び乗った。
地面より高く、朝日も当たる。
人間の指示とは関係なく、こちらの方がよい。
セナが杖を握り、レオナの横へ立った。
「私が前へ呼ばれたら、水と包帯を持ってきて。魔物ではなく、私を見て動いて」
「はい」
前方で、ニルが二度指を鳴らした。
フェリシアの口元から笑みが消える。
ガルドが槍を両手で構えた。
木々の間から、青灰色の頭が現れた。
大型の獣は、昨日より低い姿勢で歩いている。
肩の硬い鬣が枝へ触れ、細い枝を押し折れた。
ニルが矢をつがえ、獣の前方にある地面へ放つ。
矢が土へ刺さった。
獣の目が矢へ向く。
ガルドが右側から踏み込み、長槍を首の付け根へ突き出した。
穂先が青灰色の鬣へ入る。
硬い毛が束になって滑り、槍先を外へ弾いた。
「浅い!」
獣が前脚を振る。
フェリシアはガルドの前へ入り、爪の内側へバックラーを当てた。盾を傾け、前脚を地面へ流す。
メイスが獣の手首へ入った。
鈍い音がした。
獣は脚を引かない。
身体を沈め、そのまま肩からフェリシアへぶつかった。
フェリシアの靴が土を削る。
左足が一歩、二歩と下がった。
ガルドが槍を引き、今度は前脚の内側を狙う。
獣は身体を半回転させ、鬣で穂先を外した。
巨体に似合わない速さだった。
ニルの矢が耳の根元へ刺さる。
獣が頭を振り、矢を木へ飛ばした。
セナは杖の先をガルドへ向けた。淡い光が男の腕を覆い、先ほど爪が掠めた袖の血を止める。
魔法というものは便利らしい。
魚を増やせないなら、吾輩には関係がない。
獣が地面を蹴った。
今度はニルへ向かう。
フェリシアが横から入り、盾の縁を頬へ当てて向きを変えた。ガルドの槍が脇腹へ入る。
穂先が毛を抜け、皮膚へ届いた。
初めて、赤い線が走った。
獣が吠える。
岩の上で、吾輩の背中の毛が立った。
耳の近くで鳴く必要はない。
獣は傷ついた脇腹を木へ向け、前脚で槍の柄を叩いた。
ガルドの両手から柄が抜ける。
長槍は地面を滑り、獣の後ろへ転がった。
ガルドの前には、何もない。
フェリシアは獣の右側にいる。
ニルは矢をつがえ直している。
セナからは木が邪魔をしていた。
獣がガルドへ顔を向けた。
「ガルドさん!」
レオナの足元にあった拳ほどの石を拾い、獣の顔へ投げた。
石は耳の根元に刺さっていた矢へ当たった。
獣の頭が跳ねる。
「こっち!」
レオナがもう一つ石を拾い、地面へ叩きつけた。
獣の金色の目が、岩場へ向く。
ガルドから離れた。
レオナは剣を抜いた。
「レオナちゃん、駄目!」
フェリシアの声が届く前に、獣が岩場へ走り出した。




