第11話 猫の街ではない
二度目の野営を終えた三日目の午後、隊商は獣人族の街へ着いた。
街は山の斜面に沿って広がっていた。
木造の家々は石垣の上に建ち、人間の町より低い屋根が階段状に続いている。窓は横に広く、通りに置かれた椅子には、背もたれの中央が細く抜かれたものが多かった。
尾を通すためらしい。
猫のために作られた椅子ではない。
着いて早々、期待が一つ外れた。
ただし、匂いは悪くない。
干した肉。
薬草。
木の煙。
その奥から、焼いた魚の匂いが流れてくる。
吾輩はレオナの鞄から顔を出し、鼻先を市場の奥へ向けた。
良い町かどうかは、もう少し見てから決めてもよい。
門の前では、シャノワが黒い耳の男と話していた。
「カイコム、シャノワ」
男はシャノワの顔を見たあと、その背の弓へ目を移した。
シャノワの尾が一度だけ脚へ触れる。
「シビクリ」
男はさらに何か続けた。
「イコッスイシハイ?」
「ツザサボウシビオボテ」
「クスヂフ キンヒクツソラ クク?」
「ランビクヒク」
「キムジサケ」
シャノワは短く返し、交易隊の責任者へ向き直る。
「市場へ入って構わないそうです。荷の確認は、奥の詰め所で行います」
「さっき、ほかにも何か聞かれていましたよね」
レオナがシャノワを見た。
シャノワの黒い耳が、わずかに外を向く。
「帰ってきたのか、と聞かれました。仕事で来ただけだと答えました」
「そうだったんですね」
レオナは、門番が去っていった方を見た。
「シャノワさん。カティッシュ語を、少し教えてもらえませんか」
「カティッシュ語を?」
シャノワは一度瞬きをした。
「そうですね……『ありがとう』なら、キムジサケです」
「キムジサケ」
レオナは音を確かめもう一度繰り返した。
「教えてくれて、キムジサケ」
「キッソクリテ」
「えっ?」
シャノワの耳が立ち、すぐに外側へ伏せた。頬にも薄く赤みが差している。
何を言ったのかは分からない。
だが、余計な言葉が口から出たことくらいは、あの耳を見れば分かる。
獣人は、口より耳の方がよく喋るらしい。
「……すみません。つい、カティッシュ語で返してしまいました。『合っています』です」
「じゃあ、今のも覚えました。キッソクリテ」
レオナが笑うと、シャノワの尾が一度だけ揺れた。
「はい。今度こそ、合っています」
どうやら、二人には通じたらしい。
吾輩には理解できない。
魚の名から教えるべきである。
* * *
市場の端にある詰め所で、護衛の完了確認が始まった。
一台目の布包みと塩樽が数えられ、二台目の木箱も封を一つずつ調べられる。レオナは途中で締め直した縄と、荷車の側面についた浅い傷について説明した。
荷は減っていない。
商人も護衛も、全員そろっている。
最後の木箱を数え終えると、槍使いが二台目の荷車から布包みを下ろした。
「道中で出た魔物も報告しておきたい」
布が開かれる。
詰め所の職員は、ロックルの身体を見て眉を寄せた。
「ロックルですか」
「通常個体より大きい。火のある野営地へ入り、馬と荷を襲ってきた」
職員は身体の長さを測り、硬くなった肩の皮膚へ棒の先を当てた。
「この大きさは、こちらでも記録にありません」
レオナがロックルを見た。
「アイルポリスでも、別の魔物に変異個体が見つかっています。ロックメインとスライムです」
「向こうの変異と関係があると?」
「分かりません。原因も、まだ見つかっていません」
職員は護衛依頼とは別の紙を取り出した。
「異常個体として記録します。死体はこちらで預かり、アイルポリスのギルドへ照会を出しましょう」
「お願いします」
職員は報告書へロックルの特徴を書き込んだあと、護衛依頼の票へ赤い印を押した。
「荷と人員に欠損はありません。護衛依頼、完了です」
レオナは机の上に置かれた依頼票を見た。
「これで、終わりですか」
「はい。荷も人も、予定どおり到着しました」
職員は報酬の硬貨を数え、革袋へ入れた。
「帰還後に所属ギルドへ提出してください。通常の町外依頼を完了した記録になります」
レオナは依頼票を受け取った。
右手の親指が、乾ききっていない赤い印の横で止まる。
紙を二つに折り、革袋へしまった。
「ありがとうございます」
商人の一人が後ろから来て、レオナの肩を軽く叩いた。
「助かったよ。荷縄が緩んでたのも見つけてくれたしな」
「私は、後ろを歩いていただけです」
「後ろを歩く仕事だっただろ」
商人は荷車へ戻っていった。
レオナはその背を見送る。
シャノワが隣へ立った。
「帰ったら、昇格審査を受けられますね」
「受けられる条件が一つ揃っただけです」
レオナは革袋の上から、しまった依頼票へ触れた。
「でも、今度は終わりました」
「はい」
シャノワはレオナを見たまま、もう一度答えた。
「終わりました」
レオナの肩が下がった。
吾輩には、紙の印より魚の匂いの方が重要である。
市場の奥では、先ほどより煙が増えていた。
魚が焼けている。
確認などしている場合ではない。
吾輩は鞄の口から前足を出した。
「猫さん?」
レオナの身体が、市場の奥へ向く。
吾輩は魚の匂いへ鼻先を向けていただけである。
だが、レオナも同じ方向を見た。
「報酬も出たし、一匹なら買えるかな」
実に正しい使い道である。




