第3章〜彼らの「正義」と我らの「正義」〜㉔
国連事務総長と各国の思惑によって、モルタヴィア情勢の和平交渉が行われたロンドン会議は、予定を半日分残して終了することになった。
前日までは、完勝できる手応えがあったにもかかわらず、モルタヴィア共和国政府と国民にとっては、納得しがたい条件での和平条約が締結されたため、彼らを支援するオレの心の中にもモヤモヤした感情が残ったままだ。
それはまるで、試合終了間際までリードしながら、後半アディショナル・タイムの主審の不可解な笛で、相手にペナルティ・キックが与えられ、同点ゴールを決められたサッカーの試合を体験しているようだ。
だが――――――。
頼りになるチーム・リーダーの、
「私と黄瀬くんは、先に向こうに戻るけど、黒田くんは最初の予約便で戻っても良いわよ? こっちで会いたい人も居るでしょう?」
というメンバーに対する配慮が行き届いた一言で、オレは翌日までロンドンに残ることができた。
鳳花さんのお言葉に甘えて、オレは、早速、このポップカルチャーの発信地「スウィンギング・シティ」に滞在中のヨツバに連絡を取る。
「ホントに? 今日、会えるの? じゃあ、オール・ポインツ・イーストのフェスに行こう!」
彼女が声を弾ませながら語るオール・ポインツ・イーストとは、音楽好きから絶大な支持を集める、ロンドンで、もっとも熱い都市型音楽フェスだ。ヨツバによると、
「APEは、ロンドンの夏の終わりを締めくくる最高のイベントだから、この時期にロンドンにいるなら熱気を少しだけでも肌で感じてほしいな」
と言うことらしい。
ロンドン会議で溜まったフラストレーションを発散させるには、ちょうど良い気晴らしになると考えて、その提案に乗ることにする。
そして、(どんなルートを使ったのか定かではないのだが……)「VIP Garden + VIP Pit」というプレミアムバーと限定フードを堪能できる上に、ステージの最前列エリアと芝生やベンチ、追加の快適なシーティング(椅子)が用意された休憩エリアを往復できるプレミアチケットを手配してくれた。
国際会議の会場だったクイーン・エリザベス2世・カンファレンス・センターの最寄り駅、ウェストミンスターから、オール・ポインツ・イーストのフェス会場に近いハックニー・ウィック駅までは、その名が示すとおり、大都市ロンドンを西から東に横断するこ大移動だ。
地下鉄から乗り継いだ高架鉄道の車窓に広がる街並みを楽しみながら、ハックニー・ウィック駅に到着すると、改札を出てすぐに目に飛び込んできたのは、ダイナミックなストリートアートだった。
駅舎のすぐ隣の壁や周辺のビルの側面など、街の至る所がカラフルなアートで埋め尽くされていて、一歩降り立つだけで、この街が、エッジの効いたカルチャーの発信地であることを肌で感じることができる。
かつて工業地帯であった名残を残しながら、ガラスとコンクリートを組み合わせたスタイリッシュで近代的な駅周辺の雰囲気を堪能していると、不意に背中越しに声をかけられた。
「ハイ! そこの男子、一緒にフェスに参戦しない?」
振り返ると、透け感のある軽やかな素材で作られた小花柄のワンピース姿の女子がそこに居た。夕方の心地よい風が吹くたびに、ふわりと揺れるシルエットがとても女性らしい印象で、色は落ち着いたワインレッドを選ぶことで、子供っぽくならず大人っぽさすら感じさせる。
そして、夜の冷え込み対策として、肩にはオーバーサイズのヴィンテージ・レザージャケットをラフに羽織り、ワンピースの甘さを黒のレザーでピリッと引き締めている。ロンドン女子お得意の「甘辛ミックス」という取り合わせだ。
(さあ、今日のファッションを誉め称えて!)
と描かれている表情にすぐに反応して、オレは、言葉をかえす。
「嬉しいな、こんなにオシャレで大人っぽい女子に声をかけてもらえるなんて。実は、嫉妬深い彼女といっしょに参戦するハズだったんだけど……キミに乗り換えても良いかな?」
即興で思いついたセリフに、彼女は、可愛らしくほおを膨らませて応じる。
「服装の誉め言葉としては、ギリギリ合格点だけど―――恋人としては、0点どころかマイナスね。サイテー!」
そう言いながらも、フフッと、どこか楽しげに笑みをこぼすヨツバに、フォローの言葉を付け足す。
「サイテーな彼氏で申し訳ない。忙しいのに誘ってくれて、本当にありがとうな」
「ううん……わたしも、久々のフェス参戦に付き合ってもらえて、嬉しいから。リュウジが居なかったら、一人でも参加しようと思ってたんだけどね」
どうやら、オレの発言は、フェスへの参戦で気持ちがたかぶっている彼女のポジティブさによって、見逃してもらえたらしい。アーティストとして活動を続けるヨツバは、オーディエンスとしてフェスに参加することにも積極的なようだ。
「それじゃ、参戦前に、一杯楽しんでから行こうか?」
そう言って、彼女はグラスを傾けるような仕草をする。
駅からフェス会場(ビクトリア・パークの東側エントランス)までは、歩いて徒歩15分〜20分ほどだそうで、駅のすぐ東側に流れるリー・ナビゲーションという運河が流れていて、その水辺には、倉庫をリノベーションしたカフェやクラフトビールの醸造所、ピザ屋、ヴィンテージショップがずらりと並んでいる。
ヨツバのリアクションが示すように、そこで1杯引っ掛けてから、会場へ向かうのが、フェスの楽しみ方の王道らしい。
「このあたりは、昔は倉庫街だったんだって」
ヨツバは運河の縁に腰掛け、クラフトビールの缶を傾ける。
「あぁ、そうみたいだな。港町っぽい雰囲気があって、なんだか懐かしい気分だ」
高校を卒業するまで暮らした街のことを思いながら、オレは、その頃のことに想いを馳せる。
「そういえば、学園祭のステージ本番前も、こんな雰囲気だったよな?」
「そうだね。フェスやライブのステージも、テーマパークのアトラクションも、本番前の雰囲気が、いちばん楽しくない?」
「その気持ち、わかる! この雰囲気は、今後のPR活動の参考にさせてもらおう」
対岸の古いレンガ棟には鮮やかなグラフィティアートが躍り、水面をオレンジ色に染める夕日がそれらを揺らしている。
オレは彼女の横顔と、行き交うナローボートを交互に眺めた。誘われるままに来たハックニー・ウィックは、オレが思い描いていたロンドンとはまるで別の国のようだ。
「うん! フェス前にチルすぎるのも、悪くないよね」
ヨツバは悪戯っぽく笑い、オレの手元の缶に自分のそれを軽くぶつける。
「あぁ、フェス本番も思い切り楽しもう。あと、今日は、全部ヨツバ任せにしてしまったからな。今度は、オレにエスコートさせてくれ」
オレは、そう言ってから、束の間の心の安らぎを味わうように、クラフトビールを飲み干した。




