第3章〜彼らの「正義」と我らの「正義」〜⑲
その翌日となるロンドン会議の二日目――――――。
オレたち、チーム・ヴェスパの三人は、スマホを片手に、巨大なカンファレンス・センターを忙しくなく動き回っていた。
スマホに、一般的に使われているものよりも高度で詳細な情報を取得できる警備用の位置情報アプリをダウンロードし、リアルタイムでお互いの位置情報を確認しながら、雑誌や新聞の記者、テレビクルーが、どのフロアのどの場所に集まっているのかを把握することに注力する。
これは、ロンドン会議の初日の主役を担ったと言っても良い、モルタヴィアのラドレスク大臣をもっとも効果的なタイミングで、テレビカメラの前に連れていき、インタビューをさせるためだ。
一方、オレたちモルタヴィア共和国側のメンバーが会場を飛び回っていたころ、トランス・ドニストール陣営のパニチェフ首相は、カンファレンス・センターの本会議場で勝負をかけるタイミングを見計らっていたようだ。会場内を慌ただしく移動していたオレは、新聞記者やテレビクルーの様子に変化があったことを察して、彼らとともに、本会議場に向かう。
本会議場は、取材カメラがシャットアウトされていて、議場内では、このロンドン会議の共同議長の一人である国連事務総長が、トラ・ドニ陣営のミロシェンコ大統領に質問を発したところだった。
事務総長の問いかけに応えようと、ミロシェンコ大統領が立ち上がり、口を開こうとした瞬間、大統領の二つ隣の席に座るパニチェフ首相が大きな声で叫んだ。
「議長! その質問は、私が代わりに答えます!」
一瞬、オレには、なにが起きたのかわからなかった。ただ、それは、オレ自身だけでなく、国際会議の出席経験が豊富な各国の代表たちにとっても同じだったようだ。
パニチェフ首相は、続けざまに、自分より立場が上位のはずのミロシェンコ大統領に向かって、
「キミは座りたまえ。この国を代表しているのは、この私、パニチェフだ――‐!」
自らが指名した民間出身の首相の突飛な発言に対し、当然ながら、ミロシェンコ大統領は、怒りで顔を真っ赤にしている。すぐに言葉がでなかったのか、一瞬の間をおいたあと、大統領が反論しようとすると、
「黙れ!」
パニチェフ首相は、ふたたび母国のトップを一喝する。
ミロシェンコ大統領は、怒りをあらわにするように、憤然とした態度で席に着いた。
本議場の全体が、予想外の出来事に静まり返っている。世界中の代表団や国連事務総長の前で、同じトランス・ドニストールの首都ディラスポリからやって来た、民間出身の首相が、大統領に対して叱責し、着席させたのだ。
どうやら、目の前で繰り広げられた光景は、オレのような国際舞台での経験が少ない人間だけでなく、世界各国のベテラン外交官たちにとっても、前代未聞の出来事だったようだ。
気がつくと、そばにいた人権活動家のフェルプスさんが、オレにささやく。
「これは、驚いたな。国際会議の場で、こんな光景は見たことがない。だが、いまのはミロシェンコ大統領もパニチェフ首相もお互い承知の上で行っている、トランス・ドニストール側のお芝居じゃないかな? きっと、上手く仕込んだ台本がある『やらせ』だろう」
「はあ、そういうものですか……?」
「あぁ、この国際会議場は、演劇用の舞台にもなるんだ。世界中から外交交渉の名優が揃えば、一芝居うつ連中も出てくるさ」
だが、オレは彼の言葉をすんなりと受け入れることができなかった。
トラ・ドニ側の大統領と首相の共同脚本にしては、ミロシェンコ大統領の怒りの表情が、真に迫りすぎている。もちろん、モルタヴィアのラドレスク大臣のように、国際的な舞台で、俳優以上の存在感を示す政治家も居るだろうが……。
オレたちが調査したところでは、政治家になる前は、銀行家と官僚というお固い肩書きだったミロシェンコ大統領に、そんな迫真の演技が出来るようには思えなかったのだ。
そして、オレの直感が正しかったということが、このあとのトランス・ドニストール陣営の動きで、すぐに判明する。
やはり、大統領への叱責という突発的な出来事は、パニチェフ首相だけがストーリーを描いたお芝居だったようだ。トランス・ドニストール陣営の首相であるパニチェフは、会議がお昼の休憩に入ると、すぐに次の行動を起こす。
さきほど、衆人環視の前で叱責したばかりのミロシェンコ大統領と会談して、こう告げたのだ。
「あなたは、モルタヴィア紛争の責任をとって、大統領の職を辞すべきだ」
こうした行動は、トランス・ドニストール陣営の内部分裂をさらけだす、外交および内政上の大きな汚点になるだろう。だが、これまでのトランス・ドニストール勢力の非人道的行為の責任をすべてミロシェンコ大統領に背負わせる決意を固めたパニチェフ首相は、この外交舞台で、あえてショッキングな方法を取ることで、ミロシェンコとの決別を図る意図があるのだろう、と推察できた。
ミロシェンコ大統領は、自らが招き入れた政治未経験の民間出身者の申し出に対し、当然のごとく、拒絶の意志を示す。
それでも、パニチェフ首相からすれば、これで、「ミロシェンコ大統領に辞任要求を行った」という既成事実を作ることに成功したのだ。
今後、パニチェフは、
「両国の和平を達成するため、私は、ミロシェンコ大統領に辞任を要求しました」
と主張することができる。本会議場での衝撃的な光景とともに、トランス・ドニストール陣営の中で、劇的な変化が起ころうとしている。本来なら、このことは、翌日のテレビや新聞紙面で、大々的に報道されるはずだったのだが――――――。
実際は、そうはならなかった。BBCなど、イギリスのテレビニュースが、その日のニュースのトップで報じたのは、モルタヴィア共和国に関する情報だった。




