第3章〜彼らの「正義」と我らの「正義」〜⑩
「リュウジ! 起きてよ、リュウジ! お願いだから……!」
耳元で、聞き慣れた声がする。
最近は、自室のPCでディスコールのアプリを通じて耳にすることが多くなった声だ。
(ロンドンにいるはずのヨツバの声が、どうして――――――?)
ボンヤリとした意識の中、重いまぶたをゆっくりと開けると、両サイドから、
「あっ!」
という声が上がった。
「白草さん、黒田くんが目を覚ましたみたい!」
オレの右手側で、手に持ったスマホでヨツバに語りかけている声は、鳳花さんのものではない。
そして、スマホに語りかける声の反対の左手側では、鳳花さんが、
「黒田くん……ホントに……良かった―――」
と、目に涙を浮かべていた。
「あっ、鳳花さん。お疲れさまです」
まだ、意識が朦朧としているとは言え、我ながら間抜けな言葉だと考えていると、スマホのスピーカーから、割れるような声が聞こえてきた。
「リュウジ! 目を覚ましたの、リュウジ? わたしの声が聞こえる? 何か言ってよ!」
「わかった、聞こえてる。聞こえてるから……ヨツバ、声のボリュームを下げてくれ」
そう言ってから、スマホに目を向けると、その向こう側に、かつて見知った顔があった。
「えっ? 紅野か! どうして、ここに?」
オレの声に、先に反応したのは、病室と思われるベッドのそばで、穏やかに微笑む元同級生―――ではなく、スマホの向こうの女子だった。
「ちょっと! わたしに対する反応と違くない! 愛しい恋人がロンドンから話しかけてるんだよ! もっと、感動的なリアクションとかあるでしょ!」
「あぁ、すまない……まだ、ちょっと頭が痛むから、大げさなリアクションとか取れないんだわ。落ち着いたら、あとで、たっぷり話を聞かせてもらうし、こっちの話もさせてもらうから……」
オレは、そう言って、なまった身体にムチ打って、ベッドから起き出す。そして、シーツをまくりあげて、上体を起こし、そのまま素早く土下座の体勢を取って頭を下げる。
「だから、オレを見捨てないでくれ! ヨツバの居ない人生は、オレにとってブラックホールのド真ん中も同然だ! だから――――――」
意識が戻ったばかりだと言うことを差し引いたとしても、自分でもナニを言っているのか、良くわからないが、こういう場面で重要なのは、ノリと勢いなのだ。
「わ、わかったから……みんなの前で恥ずかしい真似はやめて……もう、しょうがないな〜。リュウジは……」
ヨツバは、そう言って、可愛らしくため息をついたあと、
「鳳花サン、アザミ……申し訳ないけど、ウチのリュウジをよろしくお願いします」
と言って、ペコリと頭を下げてから、スマホ越しのオレに対して、クギを差すように語りかける。
「危ない場所には近づかないようにするって言ったわたしとの約束を破ったことは許してないから……リュウジ、覚悟しておいてよ!」
少しだけ、ほおを膨らませて言った彼女が、終話ボタンをタップしたあと、病室には、しばしの沈黙が流れた。
その間、オレは頭の中身と自分の置かれた状況を整理する。
キシナヴィア国際空港のそばで、武装グループに襲われたオレは、急ブレーキの衝撃で頭をしたたかに打ったあと、どうやら意識を失って病院に運び込まれたようだ。
幸いなことに、頭の包帯以外に、目立った外傷は無いように思える。
「え〜と……とりあえず、黒田くんと白草さんが相変わらず仲が良さそうなことがわかって良かったかな……」
たっぷりと、5秒以上の間を置いたあと、紅野アザミが苦笑しながら語ると、直属の上司は、
「私には、こういう事態に巻き込んでしまった責任があるから、多くを語る資格は無いんでしょうけど……」
と、ため息をついたあと、オレに向かってこう言った。
「女子の前で醜態をさらしても、ステディな相手のご機嫌を損ねないようにする黒田くんの強い意志は、十分に伝わってきたわ。土下座という日本オリジナルの謝罪の仕草が、国際的なPRの場でどれだけ有効であるか効果を見極めたくなったもの。黒田くん、とりあえず、病院の手配と白草さんへの連絡をしてくれた紅野さんにも貴方なりの誠意を示しておいた方が良いんじゃない?」
その一言で、ふたたび、高校時代のクラスメートにジャンピング土下座をしたオレに対して、当事者の彼女は、
「もう、そんなに大げさにしないで……」
と、苦笑いの度合いを深めつつ、
「でも、紅野……ホント、どうしてここに……?」
というオレの疑問にスラスラと答える。
「日本で大学を卒業したあと、イギリスの大学院で、国際人権法や国際関係論、平和・紛争研究などを専攻して、修士号を取ったことまでは、みんなにも報告したと思うんだけど……そのあと、国際協力関連の企業で二年間フルに働いて、今年の春に外務省が主催している、若手人材を国際機関に派遣・育成するためのJPOっていうプログラムに応募したの。そのプログラムに合格して東欧に赴任したのが、今年の春先なの。一応、大学からずっと、子どもや女性の権利について、専門的に学んできたからね」
はにかみながら自らの来し方を語る彼女だが、ガチのエリートぶりに、オレは、「うん、うん」「ほぉ〜」と、うなずくことしか出来ない。
「そして、何日か前に、派遣先の団体でモルタヴィアの大統領官邸からルーマニアに逃れた避難民に関する情報の問い合わせを受けて、連絡先を確認してみたら日本人の名前があって、花金さんと黒田くんの名前だもの! もう、びっくりしたわ」
今度は、少しおどけたように語る元同級生の姿を見て、ずい分、明るい話し方をするようになったな、と感じた。オレが担ぎこまれた病院の手配についても、所属団体を通じて、彼女が手続きを行なってくれたと言う。
紅野アザミに対しては、かつて、オレ自身もその人柄に魅かれて交際を申し込み、見事に玉砕してしまったという、甘酸っぱくも少し苦い過去(ヨツバと再会する直前のことだった)があるのだが……将来、こんな才媛になることを知っていたら、高校一年のオレも恐れ多くて、告白をためらっていたかも知れない、と思った。
そんなオレの反応をたしかめつつ、今度は鳳花さんが語りかけてきた。
「黒田くん、どうやら、意識もハッキリしてきたみたいね。積もる話もあるでしょうけど、この国の現状を把握することも忘れないでね」
そう言って、スマホで動画サイトにアクセスし、数時間前に放送されたばかりの地元モルタヴィアのテレビ局が制作したニュース番組を再生させる。
番組には、英語の字幕が施されていた。
襲撃犯たちは、目的の車両が逃走したのを確認すると、あらかじめ用意していたバンに飛び乗り、空港のフェンスを突き破ってまたたく間に霧の向こうへと消えて行ったそうだ。
あとに残されたのは、静まり返った滑走路と、立ち上る黒煙―――。
銃声が止み、遠くから近づいてくるサイレンの音だけが響く中、空港でレポートを行っていた女性記者は震える手でマイクを握り直し、カメラに向かって顔を上げた。その顔は恐怖と泥で汚れ、涙の跡が白く浮き上がっていた。
「―――和平交渉は、たった今、血の海の中で決裂しました。繰り返します、モルタヴィアとトランス・ドニストールの未来は、完全に失われました……」
撮影を続けるカメラの向こうで、両国の国旗が描かれた歓迎の看板が、弾痕だらけのまま風に揺れている。世界に生中継されたその映像は、これから始まる、内戦のさらなる泥沼化を雄弁に予言していた。




