第3章〜彼らの「正義」と我らの「正義」〜⑨
グレーの雲が低く垂れ込めるモルタヴィア共和国の首都キシナヴィア国際空港。滑走路のコンクリートは、前日までの晴天とは一転し、つい先ほどまで降っていた容赦のない雨を吸い込んで、鈍い黒色に光っている。
数ヶ月に及ぶ凄惨な国境紛争を経て、ようやくセッティングされた歴史的な和平交渉。その主役の一人である「トランス・ドニストール共和国」のパニチェフ首相を乗せた特別機が、静かにタラップへと横付けされた。
空港の特別レセプションエリアには、モルタヴィア側の出迎え人であるラドレスク外相をはじめとする政府高官、そして厳重な警備を敷く国家保安局の兵士たちが整列していた。その緊迫した空気の中に、トランス・ドニストール側に同行しているアメリカ合衆国テレビ局UBCのクルーたちの姿もあった。
モルタヴィアの政府首脳のそばで待機するオレと鳳花さんから少し離れた場所では、地元テレビ局の女性記者が、夏とは思えない冷たい風に声を震わせながらマイクに向かって早口でリポートを続けている。
「―――現在、パニチェフ首相を乗せた機体が到着しました。両国の数千人の犠牲者の血を経て、今、歴史的な対話の扉が開かれようとしています」
女性記者の後方では、カメラマンが、重いプロ用カメラを肩に担ぎ、ファインダー越しにタラップの最上部を凝視している。
機体のハッチが開き、SPたちに囲まれたパニチェフ首相が姿を現した。グレーの短髪に、固く結ばれた口元。これまで何度も見せていた余裕のある面持ちとは異なり、険しくも威厳のある表情だ。首相がタラップを一段ずつ降り、ラドレスク大臣が右手を差し伸べた。二人の手が触れ合い、握手が交わされた。
両者は、にこやかに互いの手を握り、穏やかな笑みをたたえている。
パニチェフに密着しているUBCのテレビクルーは、ここぞとばかりに、両国の首脳の手元にクローズアップし、独占スクープ映像の演出に余念がないようだ。
最初の重要なセレモニーを終えた両者は、滑走路に駐車しているお互いの専用車両に乗り込む。
モルタヴィア側は、国連を意味するUNとペイントされた装甲用車両。
一方のトランス・ドニストール側は、同じ装甲用車両とともに、ドイツ製の古びたバンだ。
どうやら、トラ・ドニ陣営は、同行したテレビ局クルーにまで車両の手配が出来ていなかったようで、パニチェフたち数人の要人とUBCの有名司会者アンダーソン、そして、カメラマンが防弾設備が整った装甲用車両に乗り込んだのに対し、後方のドイツ製バンには、テレビ局の残りのメンバーが乗り込んで行くのが見えた。
その姿を見届けて、オレと鳳花さんも、モルタヴィア政府に用意してもらった防弾仕様の後方警護車に乗り込む。
空港を出発する車両は、ひとつの車列となって、モルタヴィア共和国の大統領府を目指すようだ。
先導するモルタヴィア警察の白バイや先頭警護車が、臨時ゲートから滑走路に直結された一般道路に入って行ったのに続き、2番手のラドレスク大臣が乗車している装甲車と3番手のパニチェフ首相が乗車している装甲車も続々と空港の敷地を出ていく。
そして、アメリカのテレビクルーが乗車しているバンが、一般道路に入ろうとしたその時だ――――――。
バババババッ! タタタタタタン!
乾いた高音が、湿った空気を引き裂く。
オレたちの乗る後方警護車両の目の前で、古びたバンに銃弾が浴びせられた!
前方のバンが不自然な角度で急停車する。
「伏せろ!」
オレたちが乗車している警護車両に同乗している警備員が叫ぶのと同時に、窓際に座っていたオレは、距離にして数十メートルは離れているはずの銃撃犯と目があったように感じた。
目出し帽の銃撃犯の銃口が、自分たちの乗る車両に向けられたことに気づいたのは、ほぼ同時だった。
「Pula mea!」
誰かの悲鳴のような叫び声と同時に、連続する凄まじい銃声が響き渡った。空港の整備用車両の影、そして歓迎式典のために並べられていた大型トラックの荷台から、黒いバラクラバ(目出し帽)で顔を隠した武装集団が次々にあらわれ、容赦のない銃撃を開始したのだ。彼らが手にする自動小銃から放たれるマズルフラッシュが、曇天の空港を不吉に照らし出す。
「鳳花さん!」
オレは叫び声を上げながら、とっさに隣に座るリーダーに覆いかぶさった。
防弾仕様の車内にいても、思わず身をすくめてしまう、
チュイン! チュイン!
という風切り音のような銃声が周囲に飛び交っている。
なにかの指示を出す声とともに、破片や薬莢がチリンチリンと音を立て、自分たちの乗る車両の周りに警備兵たちが集まってきているのがわかった。
モルタヴィア側の警備兵たちも応戦を始めたようだが、混乱は極限に達している。武装集団の一部は、モルタヴィア軍の旧式の迷彩服を着用していたのだ。
「どっちが味方だ!?」
「撃つな、モルタヴィア軍だ!」
錯乱した叫び声が飛び交い、指揮系統は完全に崩壊した。この襲撃が、モルタヴィア政府内の「和平反対派」による陰謀なのか、それとも、モルタヴィアに対して融和的と見られる反パニチェフ首相を標榜するトランス・ドニストール側の過激派による自作自演なのか、その場にいる誰にも分からなかった。確実なのは、オレ自身の目の前で命が信じられないほどの軽さで消えて行こうとしているという現実だけだった。
「Pleacă! Pleacă!」
叫び声と同時に、車内にはアクセルを踏み込む音が鳴り響き、同時に車外からは、これまでにない程の音量で銃声が耳に入ってくる。
ガクンッ!
防弾仕様の車両が大きく揺れるとともに、鳳花さんに覆いかぶさっていたオレは、自分の身体が宙に浮くのを感じた。
タタタタタタン! バババババッ!
「黒田くん!」
周囲に鳴り響く銃声とともに車内で聞こえた唯一の日本語の叫び声を耳にすると同時に、オレは意識を失った。




